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その1

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 知らない人が『家に来る』ことを。我々は『攻めてきた』としている。
 その『知らない人』が友好的かどうかを判断するには材料が足りない。
 今ある材料で判断せざるを得ないのならば。

 やはり『こいつら』は敵なのだろう。

——

「『揺り籠』」
「ああ。……レゾニアとも言う」
 鉄に囲まれた狭い部屋の壁に貼り付けられた古い地図。その中心部に描かれている丸い印を指差して、少年は呟いた。覚えたての言葉を使うように、噛み締めるように。
「レゾニア」
「ああとも。我々の悲願だ。いつか、そこへ辿り着く。否……『還る』。ご先祖様の故郷だよ。我々はもう、始まりが分からないほど遥か昔から、レゾニアを目指している」
 答えるのは老齢の男性。少年を膝に抱え、寝物語のように優しい口調で囁く。
「どんなところ? いつ着くの? なにがあるの? なんで帰りたいの?」
 少年の質問は絶え間無く、マシンガンのように続けられた。男性も嬉しくなり、毎日のように夜遅くまで。少年が疲れて眠りつくまで話していた。
「約束があるんだ。私達の祖先の、『友人』が、レゾニアで待っている」
「約束?」
「ああとも。友人の顔も声も、色々と忘れてしまった私達だが。きっと受け入れてくれる。『大変だったな』と悼んでくれる。偲んでくれる」
「友達がいるのか! 会いたいな!」
「もうそろそろだと言われている。まあ、私が子供の時からだがな。……お前の代で着けると良いな。……アヤム」

——

「アヤムっ!」
「うおっ!」
 バン、と激しい音とともに耳元で響いた声。アヤムは慌てて飛び上がり、勢い余ってハンモックから落ちてしまった。
「ごえっ! 頭ァ!」
「はっはっは! 情けないぞアヤム!」
 声の主は得意気で、高らかに笑う。そのままアヤムの手を引いて立ち上がらせた。
「——ったく、何なんだよセイジ」
 頭を撫でながら起き上がり、セイジの方を見る。背の高い女性だ。だがセイジはアヤムに眼もくれず顔を上げ、上方を見ていた。
「見ろ。いや、見上げろ」
「?」
 ここは草原。アヤムの趣味で、彼の『区画』を『草原にしている』。地面各所に、短く生える草を掻き分けるように備え付けられた『照明』が、地面と空間を照らしている。
 空は透明なドーム状の天井に覆われており、その先——外に見えるのは暗黒。
 アヤム達の住む『宇宙船』は、球形をしている。
「『ベルゼブ界』だ。いよいよ——レゾニアに一番近い銀河団に入る」
 だが今日の暗黒は、いつもと少し違った。
「…………『蝿の銀河』ね。ばっちい」
 まるで羽虫の羽ばたきのような見た目の『光の粒の集まり』が、アヤムの視界を埋め尽くす。これからは草原の照明は使わずとも良いくらいの光の中に、この宇宙船は晒されることになるだろう。
「綺麗じゃないか。ははっ!」
 セイジはその両目も銀河のように輝かせて笑っていた。

——

『我々の種族は?』
「——ニンゲン」
『故郷は?』
「——レゾニア」
『いつから旅をしている?』
「——100万年前から」
『ニンゲンの寿命は?』
「——約200年」
『全部で何人居る?』
「——今は、1億人」
『お前は何者だ?』
「——アヤム・セマニ」
『年齢は?』
「——19歳」
『アヤム・セマニは何代目だ?』
「——…………俺は孤児だよ」

——

 1日に1度、この『テスト』を行う。理由は知らない。もうずっと、毎日だ。疑問を持つことも無くなった。
 毎日、自分が孤児だと自覚するのだ。
「セイジは15代目だっけ」
「おう。まあ私の家は結構新しいからな」
 レゾニアを離れた当時、太古のニンゲンには8の『家族』があった。現在の人々は、その家族から派生したのだ。
「『セマニ』は直系の家だろ? 確か」
「……滅んだ家だよ。俺を拾ったじいさんが洒落で付けたんだ」
 現在残っている『直系』は5つ。ふたつはこの100万年の間に滅んでしまった。
「そっか。なあアヤム、お前レゾニアに着いたらどうするだ?」
「? なんだその質問」
「『楽園』って話じゃないか。私は家を作りたい。自分が『初代』って言える家を。だから今、レゾニアの土地を買う権利を得られるよう、カーヌス総督の元で勉強中なんだ」
「まだまだ先の話じゃないか。そもそも俺達の代で着くとは限らないだろ。ベルゼブ界に入ったと言っても、まだこれからだ」
「私は夢の話をしているんだぞ。アヤム。お前もそろそろハタチだろ。決めろよ、進路」
「…………ああ、そうか」
 宇宙船はとても巨大だ。人口の増加と共に何万年も掛けて増築され、今や下手な小惑星より大きくなった。うっかりどこかの惑星に着陸しようものなら、様々な影響をその星に与えてしまうだろう。
 例え目的地に辿り着かなくても。人々は生きねばならない。その願いを、子孫に託して。
「……俺は結婚できれば良いや」
「ぷはっ! なんだそれ!」
「いやいや、真面目にさ。孤児の俺は家の『格』的には最下位だから。それでも女の子ならマシだったけど。……俺に嫁いでもメリット無いからさ」
「…………」
 宇宙船には、宗教がある。それは専ら、自分を慰める為に存在する。暴漢に襲われた女性や、社会に嫌われた者。地位を失った家の生き残り。そして孤児出身の者達。
 レゾニアとの『約束』を果たす役目を負えなくなった者達の受け皿となっている。
「確かに俺の血は受け継がれるだけ子供が可哀想だ。だけどレゾニアに着いてしまえば、もう関係無くなるだろ。俺はレゾニアに着いたら、結婚がしたい」
「良い夢だ! 応援するぜ!」
「ありがとう」
 レゾニアに着いたら。
 『その』夢は、太古の時代から願われ続けてきた。苦しむ者全ての救済。願いを叶える約束の地。
 希望を見出だせるから、人々は。この暗黒の世界の道標として、泳いで行けるのだ。

——

——

「~k/dp」
「$&#%?」
 遠い空を眺める。ずっと。朝から、朝まで。それだけをして、もうどれほど経ったか。だが退屈に思ったことは無い。苦しく感じたことも無い。
 空はそれだけで美しく楽しく、素晴らしいのに。
「-gem『&$"#$#%』」
「&#%G%E$#」
 きらびやかな衣裳を身に纏う。『』内は彼らの言葉を訳すと、最も相応しい意味で『巫女』という意味だ。彼女は自らの立場を再度呟き、会話する相手の男性はそれを肯定した所。彼らは兄妹であるらしい。
 彼女はヒトの見た目に限りなく似せているが、節々に異なる部分が見える。
「#$&%&(WE"#$」
「'%$%%%HH#$""%」
 ニンゲン達……アヤム達には初見で理解できないだろう言語で彼らは話す。
 彼らの手先や足先からは毛が生えている。動物のような毛皮に見える。腕や脚自体は綺麗な白人のものだ。丁度肘、膝から先が『動物』となっており、指や爪もアヤム達の知る肉食獣に近い。
 髪の毛も同じような毛で、巫女の方はしなやかな猫科を思わせる絹のような白い毛が、まるで川のように流れている。
 白い肌。その胸元には機械のようなものが眼に見えて埋め込まれている。丁度心臓の位置に、心臓のサイズの機械。稼働しているようで、細かいパーツがモーターのように動いている。
「(#$#$aepf。ha/:hk『DFSWWQW$$』a、%&%&」
「…………"$%634,000a?」
「/-。+ESF&'$(((」
 その日。巫女の予感は皆に知れ渡ることとなる。
 このレゾニアに、『友人』が訪れると。
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