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暗部
第15話 毒矢のシャルナ
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黒髪。だが全ての髪ではない。所々に『濃い紫色に変色した』部分がある。小川のようにさらさらと整えられており、髪質自体はアイネより良さそうに見える。そんな綺麗な黒髪が、『紫の絵の具を少し溢した』ように染められている。腰に掛かるほど長く伸ばしており。しかも毛先まで枝毛も無くきちんと手入れされているようだ。
緑色の瞳。カラーコンタクトなど無いこの世界では、はっきりと『色』の付いた瞳は珍しい。
だが目付きは最悪だ。他人を見下し、嘲り、嗤ってやる目をしている。ひと度、眉が寄れば『世界全てはくだらなく』、ひと度、口角が上がれば『世界全てが素晴らしい』。そんなはっきりとした性格を表すような表情。
そばかすもにきびもシミも何ひとつ無い。アイネの肌も年齢相応に麗しいが、彼女のものはさらに、『赤ん坊』とも言えるような『妖しい』美しさを持っている。
身長は、アイネと同じくらいか、少しだけ低い。アイネと比べても細身であるが、胸はアイネより豊かであるようだ。
帝国七将軍の一角、シャルナリーゼ・ホードバリス。人呼んで『毒矢のシャルナ』。現在20歳。
女性として初の将軍であり、また最年少で将軍になった逸材でもあった。
——
「あの……シャルナリーゼ将軍」
「かたっくるしいな。『シャルナさん』で良いぜ、アイネっち」
「……シャルナさん」
「あー。なんだ?」
「えっと……」
アイネはシャルナに手を引かれ、雨の降り頻る『貴族街』を歩いていた。当然、傘も持たず。殆ど拉致同然であった。
「まず、雨の中傘も差さずに外へ出れば風邪を引きます」
「おー」
「そして、これはどこに向かっているのでしょうか」
「おー」
「また、私達はほぼ初対面ですので、色々と説明して欲しいのですが」
「おー」
「…………あの」
アイネは、しばらくして諦めた。シャルナは『聞きたいことしか耳を通さない女』なのだと理解した。こちらの都合など何も考えない。否、『考えるべき』などとは全く思わない。
「くしっ!」
「!」
寒い。身体が冷えてきた。ラットリンはゼフュールの手当てをしている。アミューゴはわたわたしている。残りふたりのメイドは買い出し中だ。
本来ならばラットリンが護衛として付くべきなのだが、それは『失礼』に当たる。
何故ならシャルナは『将軍』だからだ。
「…………」
「……? あの、どうしました?」
急に、ばたりと立ち止まった。どこかの建物の前でもない。ただの道の真ん中だ。
「……くしゃみ、可愛いな」
「………………。そうですか」
この、『聞きたいことしか聞かない耳』は。本当に、一体何なんだと。
「で、どこに向かっているか教えてくれませんか」
「あー。まずあたしの家だよ。隠れ家だ」
「……隠れ家? 将軍は、皆様『貴族街』に別荘というか、お屋敷を構えていますよね」
「そこはダミーだ。あたしの場合はな。まあ、あたしは普段からその辺とか、酒場とか色町とかふらふらしてっから、帝都来た時に一度でも寄りゃ怪しまれない。『普段の行い』って奴だな」
「……?」
手を掴まれ、まだ進む。徐々に入り組んだ細い道になっていき、アイネがもはやひとりで帰る自信を無くすくらい、来たことも見たこともないような路地までやってきた。
「……なあアイネっち」
「はい?」
ふたりは、ひとつの小さな家に辿り着いた。ここはどこだろうか。『貴族街』か、『市民街』か。あるいはどちらでも無いのだろうか。
シャルナは家の戸に手を掛け。
「『強い女』って、何だろうな」
「……はぁ……?」
以上の特徴を持つシャルナが。
不思議なことにアイネには、優しい表情を見せる時があるのだ。
——
——
中は、普通の『家』だった。アイネが生まれ育ったような所とよく似ている。あんな屋敷じゃない。玄関と客間と台所と浴場とトイレと寝室。それだけ。この世界で『一般市民』として一人暮らしをするならば『これだ』、というような家だった。
「まず風呂だな。沸いてるぜ」
「えっ……」
「なんだ、脱げよ。風邪引くぞ」
「……えっ」
シャルナは家へ入るなり即座に全裸になった。一切の躊躇無く、全ての衣服を素早く脱ぎ捨てた。
その顔の肌のように綺麗で瑞々しく美しい裸体を——
「——!」
「……おー。吃驚したか」
否。
アイネは一瞬目を逸らしてしまい、そして『それは失礼だ』と思い至り、また目を向けた。
シャルナの身体を。
シルエットに異常は無い。中肉中背よりで細身、胸はアイネより豊か。
だが。
その『傷痕』が。『縫い痕』が。『火傷痕』が。
アイネの両目を釘付けにした。
身体中に、痛々しい『痕』がある。胸に縫合痕。下腹部には入れ墨のように消えない傷痕。そして背中に、地図のように大きな火傷痕。
「……『色々』やらねえと、あたしがあたしで居られねえんだ」
そしてシャルナは、まるで息子を見る母親のような慈愛に満ちた表情でその『痕』を撫でた。
「……『暗部』と、関係が……?」
「あー、まあな」
アイネは、シャルナが口にした言葉を気にしていた。
『暗部』。俗称だろうが、エンリオも言っていた。
人間を材料とする『魔剣』の製造に関わっていると。そして。
その技術を総称する『魔の道』に。
アイネの『正体』についてのヒントがあると。
「風呂上がったら行くぞ。地下にある」
「……地下」
——
それは、『穴』だった。家の奥にある大きな、凡そこの家には不釣り合いなほど大きな両開きの扉を開くと。
地の底の世界へ繋がる大きな横穴があった。どうやら丘の横腹を抉っているらしい。
まさに、帝国の『闇』とも言うべき、真っ暗闇の道だった。
「ここが、『暗部』ですか」
「ああ。あたしの庭さ」
生乾きの髪を弄りながら、シャルナが穴へと進む。数歩進んで、こちらへ振り返った。
「いくぞ?」
「……!」
扉の先は既に外で、雨足は止むどころか強くなってきている。どこかで雷の音も聞こえた。
稲光に反射して、シャルナの緑色の瞳が、闇の中で妖しく光る。
「…………はい」
この状況で、アイネに『退く』選択肢は無かった。
——
暗闇を進む。明かりなど一切無い。帝都ならば、夜でもどこかの灯りは付いているものだが、ここは地下だ。真の闇。方向感覚も、平衡感覚も、何もかも分からなくなる。
「ちっと我慢してな。すぐだぜ」
シャルナが、アイネの手を引いてくれている。彼女の緑眼には見えているようだ。そもそも何故明かりのひとつも持って入らなかったのかと疑問に思ったが、シャルナが必要無いなら、彼女が明かりを持つ筈が無い。アイネは納得した。
「…………」
視覚も嗅覚も聴覚も無い。今、アイネの世界には『シャルナの手の感触』のみが存在していた。嫌でも、そこに集中する。
強く握られている。だがそこに若干の『気遣い』を感じる。アイネの歩行速度に合わせてくれているのだ。彼女が転ばないように。
すべすべして丸く柔らかい手。女性の手だ。母も姉妹も知らないアイネにとって、珍しい体験だった。
「…………」
この時。
同時にシャルナもアイネについて思いを馳せていた。
「(……『外れ』か? いや……)」
彼女には、アイネを連れてきた理由がある。単なる思い付きと遊び……も半分あるが、彼女は『将軍』である。
「(『異常』なんだよ。ある意味あたし以上に。町娘だぞ? 特に軍に携わってた訳でも無い。そんな経験も無い。ただの町長の、娘。
それが、いきなり陛下に宮殿まで呼ばれて、半年後に『軍師相当』だと?
あり得ない。軍師になるのに。その地位を得るのに『どれだけ』の『何』が必要なのか、こいつは本当に理解できてるのか?
事実。こいつには実績がある。それに異論は無い。だがそれは、陛下に『期待された』という、言わば『特権』があったからなせたことだ。こいつの『才能』の見せ場を、陛下に作っていただいた訳だ。
リボネでの『復興』。
ティスカでの『平定』。
フェルシナでの『予言』。
その実力は申し分無い。あたしの秘書に欲しいくらいだ。
その『実力』と。
陛下に発見された『経緯と運』。
聞けば孤児らしいじゃねえか。
そう来たら、あたしの予想はひとつだ。
……行方不明になった『ベリンナリン姫』だろ。皇家次女。年齢もぴったり。そいつを確かめたい。こいつに『グイード』の血があるのか)」
シャルナの緑眼には、アイネがどう映ったのだろうか。
緑色の瞳。カラーコンタクトなど無いこの世界では、はっきりと『色』の付いた瞳は珍しい。
だが目付きは最悪だ。他人を見下し、嘲り、嗤ってやる目をしている。ひと度、眉が寄れば『世界全てはくだらなく』、ひと度、口角が上がれば『世界全てが素晴らしい』。そんなはっきりとした性格を表すような表情。
そばかすもにきびもシミも何ひとつ無い。アイネの肌も年齢相応に麗しいが、彼女のものはさらに、『赤ん坊』とも言えるような『妖しい』美しさを持っている。
身長は、アイネと同じくらいか、少しだけ低い。アイネと比べても細身であるが、胸はアイネより豊かであるようだ。
帝国七将軍の一角、シャルナリーゼ・ホードバリス。人呼んで『毒矢のシャルナ』。現在20歳。
女性として初の将軍であり、また最年少で将軍になった逸材でもあった。
——
「あの……シャルナリーゼ将軍」
「かたっくるしいな。『シャルナさん』で良いぜ、アイネっち」
「……シャルナさん」
「あー。なんだ?」
「えっと……」
アイネはシャルナに手を引かれ、雨の降り頻る『貴族街』を歩いていた。当然、傘も持たず。殆ど拉致同然であった。
「まず、雨の中傘も差さずに外へ出れば風邪を引きます」
「おー」
「そして、これはどこに向かっているのでしょうか」
「おー」
「また、私達はほぼ初対面ですので、色々と説明して欲しいのですが」
「おー」
「…………あの」
アイネは、しばらくして諦めた。シャルナは『聞きたいことしか耳を通さない女』なのだと理解した。こちらの都合など何も考えない。否、『考えるべき』などとは全く思わない。
「くしっ!」
「!」
寒い。身体が冷えてきた。ラットリンはゼフュールの手当てをしている。アミューゴはわたわたしている。残りふたりのメイドは買い出し中だ。
本来ならばラットリンが護衛として付くべきなのだが、それは『失礼』に当たる。
何故ならシャルナは『将軍』だからだ。
「…………」
「……? あの、どうしました?」
急に、ばたりと立ち止まった。どこかの建物の前でもない。ただの道の真ん中だ。
「……くしゃみ、可愛いな」
「………………。そうですか」
この、『聞きたいことしか聞かない耳』は。本当に、一体何なんだと。
「で、どこに向かっているか教えてくれませんか」
「あー。まずあたしの家だよ。隠れ家だ」
「……隠れ家? 将軍は、皆様『貴族街』に別荘というか、お屋敷を構えていますよね」
「そこはダミーだ。あたしの場合はな。まあ、あたしは普段からその辺とか、酒場とか色町とかふらふらしてっから、帝都来た時に一度でも寄りゃ怪しまれない。『普段の行い』って奴だな」
「……?」
手を掴まれ、まだ進む。徐々に入り組んだ細い道になっていき、アイネがもはやひとりで帰る自信を無くすくらい、来たことも見たこともないような路地までやってきた。
「……なあアイネっち」
「はい?」
ふたりは、ひとつの小さな家に辿り着いた。ここはどこだろうか。『貴族街』か、『市民街』か。あるいはどちらでも無いのだろうか。
シャルナは家の戸に手を掛け。
「『強い女』って、何だろうな」
「……はぁ……?」
以上の特徴を持つシャルナが。
不思議なことにアイネには、優しい表情を見せる時があるのだ。
——
——
中は、普通の『家』だった。アイネが生まれ育ったような所とよく似ている。あんな屋敷じゃない。玄関と客間と台所と浴場とトイレと寝室。それだけ。この世界で『一般市民』として一人暮らしをするならば『これだ』、というような家だった。
「まず風呂だな。沸いてるぜ」
「えっ……」
「なんだ、脱げよ。風邪引くぞ」
「……えっ」
シャルナは家へ入るなり即座に全裸になった。一切の躊躇無く、全ての衣服を素早く脱ぎ捨てた。
その顔の肌のように綺麗で瑞々しく美しい裸体を——
「——!」
「……おー。吃驚したか」
否。
アイネは一瞬目を逸らしてしまい、そして『それは失礼だ』と思い至り、また目を向けた。
シャルナの身体を。
シルエットに異常は無い。中肉中背よりで細身、胸はアイネより豊か。
だが。
その『傷痕』が。『縫い痕』が。『火傷痕』が。
アイネの両目を釘付けにした。
身体中に、痛々しい『痕』がある。胸に縫合痕。下腹部には入れ墨のように消えない傷痕。そして背中に、地図のように大きな火傷痕。
「……『色々』やらねえと、あたしがあたしで居られねえんだ」
そしてシャルナは、まるで息子を見る母親のような慈愛に満ちた表情でその『痕』を撫でた。
「……『暗部』と、関係が……?」
「あー、まあな」
アイネは、シャルナが口にした言葉を気にしていた。
『暗部』。俗称だろうが、エンリオも言っていた。
人間を材料とする『魔剣』の製造に関わっていると。そして。
その技術を総称する『魔の道』に。
アイネの『正体』についてのヒントがあると。
「風呂上がったら行くぞ。地下にある」
「……地下」
——
それは、『穴』だった。家の奥にある大きな、凡そこの家には不釣り合いなほど大きな両開きの扉を開くと。
地の底の世界へ繋がる大きな横穴があった。どうやら丘の横腹を抉っているらしい。
まさに、帝国の『闇』とも言うべき、真っ暗闇の道だった。
「ここが、『暗部』ですか」
「ああ。あたしの庭さ」
生乾きの髪を弄りながら、シャルナが穴へと進む。数歩進んで、こちらへ振り返った。
「いくぞ?」
「……!」
扉の先は既に外で、雨足は止むどころか強くなってきている。どこかで雷の音も聞こえた。
稲光に反射して、シャルナの緑色の瞳が、闇の中で妖しく光る。
「…………はい」
この状況で、アイネに『退く』選択肢は無かった。
——
暗闇を進む。明かりなど一切無い。帝都ならば、夜でもどこかの灯りは付いているものだが、ここは地下だ。真の闇。方向感覚も、平衡感覚も、何もかも分からなくなる。
「ちっと我慢してな。すぐだぜ」
シャルナが、アイネの手を引いてくれている。彼女の緑眼には見えているようだ。そもそも何故明かりのひとつも持って入らなかったのかと疑問に思ったが、シャルナが必要無いなら、彼女が明かりを持つ筈が無い。アイネは納得した。
「…………」
視覚も嗅覚も聴覚も無い。今、アイネの世界には『シャルナの手の感触』のみが存在していた。嫌でも、そこに集中する。
強く握られている。だがそこに若干の『気遣い』を感じる。アイネの歩行速度に合わせてくれているのだ。彼女が転ばないように。
すべすべして丸く柔らかい手。女性の手だ。母も姉妹も知らないアイネにとって、珍しい体験だった。
「…………」
この時。
同時にシャルナもアイネについて思いを馳せていた。
「(……『外れ』か? いや……)」
彼女には、アイネを連れてきた理由がある。単なる思い付きと遊び……も半分あるが、彼女は『将軍』である。
「(『異常』なんだよ。ある意味あたし以上に。町娘だぞ? 特に軍に携わってた訳でも無い。そんな経験も無い。ただの町長の、娘。
それが、いきなり陛下に宮殿まで呼ばれて、半年後に『軍師相当』だと?
あり得ない。軍師になるのに。その地位を得るのに『どれだけ』の『何』が必要なのか、こいつは本当に理解できてるのか?
事実。こいつには実績がある。それに異論は無い。だがそれは、陛下に『期待された』という、言わば『特権』があったからなせたことだ。こいつの『才能』の見せ場を、陛下に作っていただいた訳だ。
リボネでの『復興』。
ティスカでの『平定』。
フェルシナでの『予言』。
その実力は申し分無い。あたしの秘書に欲しいくらいだ。
その『実力』と。
陛下に発見された『経緯と運』。
聞けば孤児らしいじゃねえか。
そう来たら、あたしの予想はひとつだ。
……行方不明になった『ベリンナリン姫』だろ。皇家次女。年齢もぴったり。そいつを確かめたい。こいつに『グイード』の血があるのか)」
シャルナの緑眼には、アイネがどう映ったのだろうか。
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