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1.魔物の宵
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幼い頃、母親に聞かされていたお話。
「"……こうして、メア姫は悪い魔物に連れ去られてしまいました。……ああ、なんということでしょう"。……さあ、もう寝なさい。悪い子は、魔物に連れていかれるよ」
決して、ハッピーエンドとは言えない、童話のような、だけどよく分からないお話。似たような話は村に沢山あって、どれも最後は魔物に連れ去られる結末だった。思えば、子供を寝かし付ける機能をしていたようだけど、よく考えればそんな悲劇の話で眠れる訳は無い。母の語りが上手だったのだ。そう思うことにしよう。
「ねえ、おっかあ。どうして魔物は、姫様を連れ去るの?」
「えっ?」
詳しい話の内容はもう記憶も曖昧だが、これだけは強烈に印象に残っている。魔物が姫や、村娘を連れ去る理由を訊いた時のシーン。
「連れ去って、どうするの?」
「……えっと」
母は、ひどく動揺していた。その表情が鮮烈に、記憶に残っている。
あの時母は、どう答えたのだったか。
ーー
「なぁ、エヴァルタ」
「何です、先輩?」
今日はそよ風が心地好い。エヴァルタは美しい翡翠の髪が揺れて、鬱陶しそうにしている。
今日は彼女は制服ではなく、私服だ。胸元にリボンをあしらったカーディガンに膝丈のスカート。その上から買ったばかりのフード付きコートを着ている。
かく言う私も兵服ではない。もうそれは着ることは無いだろう。
「もう先輩じゃないぞ」
「そうでしたね。……裏切り者の……フロウさん?」
エヴァルタは髪を掻き上げながら、丘の向こうに見える城を背景に、私へ振り向いた。
「そろそろ行こうか。ここもすぐ見付かるだろう。フードを被れ。お前を取り返しに、憲兵が来る」
「違いますよ。先輩を追って来るのです。反逆者を捕らえにね」
「どうだか。奴等にはお前が必要だったろう」
口論もそこそこに、私はエヴァルタの手を取り、城とは反対方向へ歩き出した。
「……姫を連れ去る魔物の気持ち……か」
「え?何か言いました?」
「何でもない。ていうか何でちょっと楽しそうなんだよ」
ーー
この現実世界に、魔物など居ない。物語に出てくるそれらは、総じて比喩だ。魔物の詳細は、盗賊であったり、獣であったり、世捨て人であったりする。各地の田舎で信じられてきた伝説や言い伝えは、当時の人間達の都合で誇張された事実に過ぎない。『メア・ランドバード姫』は1000年前に実在した、ここじゃない外国のお姫様だ。姫は15歳の頃、他国のパーティに招かれた際、途中の森で騎士くずれの盗賊に襲われた。騎士達に助けられて一命は取り止めたものの病に伏せ、17歳の時に病の後遺症で狂ってしまい、40歳で死ぬまで牢獄に幽閉されていた。これが史実だ。
「つまり私は、晴れて魔物に成ってしまった訳だな」
「何ですか先輩、いつもの『思春期病』ですか」
「なんだ、その馬鹿みたいな病は」
私達は飼い慣らした城の馬で街を出る。装飾や鞍などはいつもと変えてある。用意した鞍は人を使って入手経路を辿れないようにしたし、外した装飾はゴミ当番の時に炉で焼いた。蹄鉄も差し換えてある。馬からアシが付くことは無い。
「流石、乗馬はお手のものですね」
「得意科目だったからな」
後ろに引っ付くエヴァルタは、やはりこの状況を楽しんでいるように見える。
「出来れば新たに馬車を買いたい。軽装なふたりが軍用馬で旅など、目立ちすぎだ」
「心配性ですねぇ、先輩」
「お前はもっと危機感をだな」
ーー
もう日が暮れる。身を隠さなければいけない。
「この峠を越えた先に、知人の山小屋がある。手紙を出したのは2ヶ月前だが、匿って貰える筈だ」
「わぁ、用意周到ですね」
「当たり前だ。国を出るまで、果てしなく追われる。計画無くして『亡命』などできない」
ーー
「やあフロウ。珍しく便りを寄越したと思えば、これはなんだい」
小屋で出迎えたのは、初老を迎えた気の強そうな女性だった。
「済まないゼニス。貴女に説明している時間は無い。今夜だけ、我々はここへは寄ってないし、君は誰も小屋へ迎えてない」
数年振りの再会にも関わらず、それを共に喜べない謝罪を含め、私はゼニスにいくらか掴ませる。それでゼニスはもうご機嫌だ。私達が来たことを忘れるくらい。
「良いだろう。……ちゃんと足跡は消しただろうな」
「勿論だよマダム・ゼニス。誰に指南を乞うたと思ってるんだ」
「あたしだろう。フロウ」
満足げに視線を交わし、そのままエヴァルタの手を引いて2階へ上がる。その後梯子を上げて扉を閉めれば、ここは1階建てのやや大きめな小屋になる。
ーー
「……今の、ゼニス・マクファーレン教官ですか?あの」
「元教官だ。お前の入隊前だったな、引退したのは」
「有名ですよ。鬼のマクファーレン」
「私も例に漏れず、絞られたのさ。お陰でこうして夜を越せるが」
もう日は暮れていた。灯りの無い2階で、手探りで布団になりそうな布やらを集める。
「すぐに寝よう。私達はここには居ないし、明日は早いから」
「はーい」
ーー
「冷えますね。もっと近寄って良いですか?」
エヴァルタの甘い囁きが聞こえた。私は耳を貸さない。彼女は訓練兵時代、同期のアイドルだったようだが、碌なことにならないのは既に知っているからだ。というより、私をからかっているのは明らかだ。
「……もう、良いですよぅ」
彼女は、訓練兵時代に自分が同室の女子達からなんと呼ばれていたかを知らない。
『寝相爆弾』だそうだ。
因みに私もアダ名があったが、言いたくないので割愛する。
ーー
さて、何から説明をしたものか。私は何者なのか、エヴァルタは何者なのか。この世界はどうなっていて、何故逃亡しているのか。
まず私だが、名前がフロウ・ラクサイア。国立士官訓練学校第36期卒、【落陽の街】駐屯兵科第一詰所曹長代理だった。昨日まで。つまりお巡りさんをやっていた。出身は南の方の田舎だ。12の時に徴兵されて都市部までやってきた。現在21だ。そして今日から魔物だ。
特技は特に無い。強いて言えば、馬の扱いくらいか。趣味は演劇観賞だ。吟遊を聴くのも好きだ。
次にこの、眠りについて早々私の顔を蹴り上げた寝相爆弾だが、名前はエヴァルタ・リバーオウル。国立士官訓練学校第38期卒、【落陽の街】落陽城城主付き近衛秘書だった。これも昨日まで。つまりお城の殿様の秘書をやっていた。それも非常時に戦えるメイドだ。基本的に能力が高く、尚且つ容姿が優れていないと就けない役職だ。エリートなのだ、彼女は。現在確か19。
彼女は綺麗な翡翠の髪と瞳をしている。『翡翠の一族』だ。一族と言っても、彼女の両親は翡翠色ではない。この世界では、『黒・茶・金』以外の色をした髪の人間は非常に珍しい。それでいて、皆一様に特異な能力がある。誰から生まれてくるか分からないその突然変異の髪の子を、総じて『一族』と括っている。『翡翠』はそのひとつだ。因みに私は黒色で平凡だ。
エヴァルタの特異な能力。それが今回の、『亡命』の切っ掛けのひとつであることには違いない。だがそれを説明するには、もう少し時間が必要だろう。
今回はこの辺りにして、私も休むとしよう。
「"……こうして、メア姫は悪い魔物に連れ去られてしまいました。……ああ、なんということでしょう"。……さあ、もう寝なさい。悪い子は、魔物に連れていかれるよ」
決して、ハッピーエンドとは言えない、童話のような、だけどよく分からないお話。似たような話は村に沢山あって、どれも最後は魔物に連れ去られる結末だった。思えば、子供を寝かし付ける機能をしていたようだけど、よく考えればそんな悲劇の話で眠れる訳は無い。母の語りが上手だったのだ。そう思うことにしよう。
「ねえ、おっかあ。どうして魔物は、姫様を連れ去るの?」
「えっ?」
詳しい話の内容はもう記憶も曖昧だが、これだけは強烈に印象に残っている。魔物が姫や、村娘を連れ去る理由を訊いた時のシーン。
「連れ去って、どうするの?」
「……えっと」
母は、ひどく動揺していた。その表情が鮮烈に、記憶に残っている。
あの時母は、どう答えたのだったか。
ーー
「なぁ、エヴァルタ」
「何です、先輩?」
今日はそよ風が心地好い。エヴァルタは美しい翡翠の髪が揺れて、鬱陶しそうにしている。
今日は彼女は制服ではなく、私服だ。胸元にリボンをあしらったカーディガンに膝丈のスカート。その上から買ったばかりのフード付きコートを着ている。
かく言う私も兵服ではない。もうそれは着ることは無いだろう。
「もう先輩じゃないぞ」
「そうでしたね。……裏切り者の……フロウさん?」
エヴァルタは髪を掻き上げながら、丘の向こうに見える城を背景に、私へ振り向いた。
「そろそろ行こうか。ここもすぐ見付かるだろう。フードを被れ。お前を取り返しに、憲兵が来る」
「違いますよ。先輩を追って来るのです。反逆者を捕らえにね」
「どうだか。奴等にはお前が必要だったろう」
口論もそこそこに、私はエヴァルタの手を取り、城とは反対方向へ歩き出した。
「……姫を連れ去る魔物の気持ち……か」
「え?何か言いました?」
「何でもない。ていうか何でちょっと楽しそうなんだよ」
ーー
この現実世界に、魔物など居ない。物語に出てくるそれらは、総じて比喩だ。魔物の詳細は、盗賊であったり、獣であったり、世捨て人であったりする。各地の田舎で信じられてきた伝説や言い伝えは、当時の人間達の都合で誇張された事実に過ぎない。『メア・ランドバード姫』は1000年前に実在した、ここじゃない外国のお姫様だ。姫は15歳の頃、他国のパーティに招かれた際、途中の森で騎士くずれの盗賊に襲われた。騎士達に助けられて一命は取り止めたものの病に伏せ、17歳の時に病の後遺症で狂ってしまい、40歳で死ぬまで牢獄に幽閉されていた。これが史実だ。
「つまり私は、晴れて魔物に成ってしまった訳だな」
「何ですか先輩、いつもの『思春期病』ですか」
「なんだ、その馬鹿みたいな病は」
私達は飼い慣らした城の馬で街を出る。装飾や鞍などはいつもと変えてある。用意した鞍は人を使って入手経路を辿れないようにしたし、外した装飾はゴミ当番の時に炉で焼いた。蹄鉄も差し換えてある。馬からアシが付くことは無い。
「流石、乗馬はお手のものですね」
「得意科目だったからな」
後ろに引っ付くエヴァルタは、やはりこの状況を楽しんでいるように見える。
「出来れば新たに馬車を買いたい。軽装なふたりが軍用馬で旅など、目立ちすぎだ」
「心配性ですねぇ、先輩」
「お前はもっと危機感をだな」
ーー
もう日が暮れる。身を隠さなければいけない。
「この峠を越えた先に、知人の山小屋がある。手紙を出したのは2ヶ月前だが、匿って貰える筈だ」
「わぁ、用意周到ですね」
「当たり前だ。国を出るまで、果てしなく追われる。計画無くして『亡命』などできない」
ーー
「やあフロウ。珍しく便りを寄越したと思えば、これはなんだい」
小屋で出迎えたのは、初老を迎えた気の強そうな女性だった。
「済まないゼニス。貴女に説明している時間は無い。今夜だけ、我々はここへは寄ってないし、君は誰も小屋へ迎えてない」
数年振りの再会にも関わらず、それを共に喜べない謝罪を含め、私はゼニスにいくらか掴ませる。それでゼニスはもうご機嫌だ。私達が来たことを忘れるくらい。
「良いだろう。……ちゃんと足跡は消しただろうな」
「勿論だよマダム・ゼニス。誰に指南を乞うたと思ってるんだ」
「あたしだろう。フロウ」
満足げに視線を交わし、そのままエヴァルタの手を引いて2階へ上がる。その後梯子を上げて扉を閉めれば、ここは1階建てのやや大きめな小屋になる。
ーー
「……今の、ゼニス・マクファーレン教官ですか?あの」
「元教官だ。お前の入隊前だったな、引退したのは」
「有名ですよ。鬼のマクファーレン」
「私も例に漏れず、絞られたのさ。お陰でこうして夜を越せるが」
もう日は暮れていた。灯りの無い2階で、手探りで布団になりそうな布やらを集める。
「すぐに寝よう。私達はここには居ないし、明日は早いから」
「はーい」
ーー
「冷えますね。もっと近寄って良いですか?」
エヴァルタの甘い囁きが聞こえた。私は耳を貸さない。彼女は訓練兵時代、同期のアイドルだったようだが、碌なことにならないのは既に知っているからだ。というより、私をからかっているのは明らかだ。
「……もう、良いですよぅ」
彼女は、訓練兵時代に自分が同室の女子達からなんと呼ばれていたかを知らない。
『寝相爆弾』だそうだ。
因みに私もアダ名があったが、言いたくないので割愛する。
ーー
さて、何から説明をしたものか。私は何者なのか、エヴァルタは何者なのか。この世界はどうなっていて、何故逃亡しているのか。
まず私だが、名前がフロウ・ラクサイア。国立士官訓練学校第36期卒、【落陽の街】駐屯兵科第一詰所曹長代理だった。昨日まで。つまりお巡りさんをやっていた。出身は南の方の田舎だ。12の時に徴兵されて都市部までやってきた。現在21だ。そして今日から魔物だ。
特技は特に無い。強いて言えば、馬の扱いくらいか。趣味は演劇観賞だ。吟遊を聴くのも好きだ。
次にこの、眠りについて早々私の顔を蹴り上げた寝相爆弾だが、名前はエヴァルタ・リバーオウル。国立士官訓練学校第38期卒、【落陽の街】落陽城城主付き近衛秘書だった。これも昨日まで。つまりお城の殿様の秘書をやっていた。それも非常時に戦えるメイドだ。基本的に能力が高く、尚且つ容姿が優れていないと就けない役職だ。エリートなのだ、彼女は。現在確か19。
彼女は綺麗な翡翠の髪と瞳をしている。『翡翠の一族』だ。一族と言っても、彼女の両親は翡翠色ではない。この世界では、『黒・茶・金』以外の色をした髪の人間は非常に珍しい。それでいて、皆一様に特異な能力がある。誰から生まれてくるか分からないその突然変異の髪の子を、総じて『一族』と括っている。『翡翠』はそのひとつだ。因みに私は黒色で平凡だ。
エヴァルタの特異な能力。それが今回の、『亡命』の切っ掛けのひとつであることには違いない。だがそれを説明するには、もう少し時間が必要だろう。
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