スカイブルーの夏

浅木

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第六話 選択肢3エンディング①

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 こちらの話は、第三話で3番の選択肢を選んだ際のエンディングになります。

 こちらも長くなってしまったので、選択肢3エンディング①
 ②といった形で分けることにしました。

 分割ばかりで申し訳ないです。
 最後までお付き合いいただけると嬉しいです。

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「ではホームルームを終わります。各自気をつけて帰るように」

 担任が教室を出て行くと、一斉に動き出す生徒達。我先にと教室を出て行く者や、友達のもとに歩いて行く者。
 普段なら佐和と一緒に帰るんだけど……。
 座ったまま、スマホをいじる後ろ姿に声をかけられない。

 昼休み以降、佐和に話しかけるタイミングを窺ってたけど、話しかけようとしたところで席を立ったりスマホを触り始めたり。まるで避けられてるみたいだった。
 最初は考えすぎかなとも思ったけど、3回連続でそんなことが起きたら偶然とは思えない。

 考えられる原因は一つ。昼休みに話した内容……オレが、今でも佐和に好意を持ってるかって話をしてからだ。
 あの時は、佐和に気持ち悪いって思われたくなくて咄嗟にあんな言い方をしちゃったけど、あの発言が佐和を傷つけたのかもしれない。
 それとも、恋愛感情を持ってるんじゃないかって勘違いされたこと自体が嫌だったとか?  
 過去の出来事を振り返ってみると、こっちの可能性の方が高い気がする。

 オレは獅子倉に呆れられるくらい佐和にべったりで大好きだけど、この気持ちは恋愛感情じゃないと思う。小さい頃からの親友で、かけがえのない友達。それ以上の関係は望んでないつもりだし、望まれても佐和だって困るだろうし。

 ただ、他の人から見れば恋愛感情があると思われても仕方ない行動をしてるって自覚もある。それについて佐和は何も言ってこなかったけど、これからはもう少し自重した方がいいのかな。

 この状況を産み出した原因がなんであれ謝りたい気持ちはあるけど、今日は話したくない気分なのかもしれないし、謝るのは日を改めてからにするか。

「先に行くから、気をつけて帰れよ」

 鞄を肩にかけて席を立つタイミングで声をかけてみる。
 無視されるかなと思ってたけど、こくりとうなずいて返事をしてくれた。それだけでも、少し気分が軽くなる。

 下駄箱の前で屈んで靴を履き変えていると、「よぉ、偶然だな」と明らかに不自然な形で声をかけられた。
 この声は顔を見なくてもわかる。

「ついてきたら絶交だからな」
「…っ! つ、ついていく訳ないだろ? 何言ってんだよ。自意識過剰だなぁ~」

 獅子倉の顔は見えないけど、裏返った声で図星だとよくわかる。
 つま先を軽くトントンと地面に打ち付けてから身を起こすと、若干嘘くささの混ざる笑顔で出迎えられた。
「説得力ない顔してんな」頭の中にそんな言葉が一瞬浮かんだけど、獅子倉とじゃれるような気分にもなれず、口には出さなかった。

「な、なんだよ」
「いや、なんでも。ついてこないならいいや。じゃあ、また明日な」
「お、おう。また明日な」

 終始挙動が不自然だったのは気になるけど、オレが本気で嫌がってるのは伝わってるみたいだし、あいつはこないだろう。

 獅子倉の横をすり抜けて、正門とは真逆の校庭に出る。
 ひさしの下から出た途端、太陽の光が肌を焼く。四時近いと言っても夏の太陽はまだまだ元気だ。ちょっと自重してほしいくらいには。
 幸いなことに、校舎裏へ続く道は数メートルもない距離にある。さっさと日陰に入ろう。

 校舎脇の道を進み、曲がれば校舎裏の位置に到着。手紙の差出人が先に来てるかも、と壁から向こう側を覗いてみたけど、そこに先客はいなかった。

 まだ来てないか。
 安堵の中にほんの少し落胆を含んだ息を吐いて、目的地に踏み込む。

 木々と校舎に挟まれた空間は少しだけ暗く、少しだけ涼しい。
 校庭から聞こえてくる生徒のかけ声やホイッスルの音も遠く聞こえて、学校の中なのに学校の中じゃないような、そんなおかしな感覚になる。

「はぁ……」

 校舎の壁に寄りかかって、今朝もらった手紙を開く。
『放課後、校舎裏で待ってます』としか書かれてないけど、何時くらいに来るんだろ。行き違いになったりしてなきゃいいけど。

 青い空を見上げて、流れる雲を目で追いかける。白くくっきりとした輪郭のある雲は妙に綺麗で、心が惹き付けられる。
 昔は雲の上を散歩したいって思ってたなぁ。成長してからは、無理だからって端から望まなくなっちゃったけど。

 壁に寄りかかってるだけでも数滴の汗が頬を伝ってきて、肩口でそれを拭う。直射日光があたらなくてもむわっとした熱気は変わらない。
 あー、冷たい水が飲みたい気分。

 持って来た麦茶は全部飲んじゃったから、買うとしたら二階の食堂まで行かなきゃならないのか。

 食堂はオレがいる位置から正反対の端っこにあるから、どんなに頑張っても片道5分は空けることになる。その間に差出人がきて入れ違いになったらちょっと困る。

 スマホで時間を確認する。時刻は16時半に近い。もう三十分くらい待ったことになるのか。
 ここまで遅くなると、オレが来た時には既に入れ違いになった後ってことも考えられるよな。

 壁際から一歩前に出て、背中を軽く叩いて埃を落とす。熱中症になったら大変だし、ちょっとくらい離れてても大丈夫だろ。

 大きく伸びをして脇道に出ようとした時だった。校舎の影から黒髪の人物が現れる。

「まだ来ないの?」

 そう声をかけてきたのは学生鞄の他に薄黄色のトートバッグを肩にかけた佐和だった。オレの周囲に人影がないか探してるみたいだ。

 まさか佐和が来るとは思わなくて、一瞬だけ思考が停止する。
 呼び出しの内容がわからないとはいえ様子を見に来るような性格じゃないと思ってたし、何より、昼休みの一件から変な感じになってたから。

 困惑したまま気持ちが残るまま、「来てないんだ」と苦笑する。

「これだけ待っても来ないんだから、イタズラじゃない?」
「それはわからないだろ、まだ来てないだけかもしれないし……」
「もう来てるかもしれないじゃん」
「それは確かにあるかもしれないけど……」

 不思議に思いつつ、佐和の顔をじっと見つめる。
 オレが待たされたところで自分には関係ないことなのに、ここまで首をつっこんでくるのも珍しい。
 はっきりと目が合ったけど目を逸らしたり焦るようなこともなく、普段と何も変わらない。今日は暑いから心配してくれてるだけなのか?

「心配してくれてありがとな。でも、このまま帰るのはやっぱ気が引けるし、もう少し待ってからにするわ」

 オレの笑顔を見るなり、佐和が小さくため息を吐いて下を向く。

「可愛い女の子なんて来ないよ。あの手紙出したの俺だから」
「え?」

 想定外の出来事に、思わず素っ頓狂すっとんきょうな声が出る。鏡を見なくても自分の顔が間抜け面だろうなってことはよくわかる。

「だから期待し過ぎるなって言ったでしょ」
「確かに……」

 思い返せばそれらしい反応がいくつかあった気がする。獅子倉に手紙をもらったと言った時も、ちょっと嫌そうな反応してたし。

 こんなふうに佐和から呼び出されるなんて初めてのことだから、何か面と向かって伝えたいことがあるのかもしれない。
 それをそのまま口にしてみたけど、佐和はそっけなく「別に。ただからかっただけ」と肩をすくめた。

 違う。これは明らかにウソだ。佐和はオレのことをよくからかうけど、オレがほんとに傷ついたり嫌な気持ちになるようなことはしない。いつも一緒にいたからそれだけはわかる。

「佐和がからかい半分でこんなことするやつじゃないってことは知ってるからな。本当は別のなにかがあるんだろ?」
「俺のぜんぶ知ってるわけじゃないでしょ」
「確かに全部は知らないけど、そういうことは絶対しないやつだっていうのは断言できる」  
「何それ。俺のこと美化しすぎなんじゃないの?」

 呆れたように佐和はため息をついて、「もう、かわいいさっちゃんじゃないんだよ」と馬鹿にしたように笑って見せる。
 明らかに普段の言動じゃない。まるで、オレの怒りを誘おうとしているかのような態度。隠し事をするのは昔からあんまり得意じゃなかったけど、ここまでわかりやすいのは片手で数える程度だ。そんな時、たいてい深刻な状況が多い。
 普段なら佐和が望まなければ無理に踏み込んだりしないけど、今回は引いちゃいけないタイミングな気がする。
 
「そうやってオレを怒らせようとしたって無駄だぞ。佐和に煽られてもオレは怒らないから」
「そーゆーオレはお前のこと知ってるぞって感じ、鬱陶うっとうしいんだけど」

 針のような視線と刺々しい言葉。それらはオレの心の柔らかい部分をグサッと刺してきて、ちょっと涙が出そうになる。けど、めげちゃダメだ。
   
「確かに、ちょっと鬱陶うっとうしいかも。ごめん。……でも、佐和が話したかった内容が知りたいから。よっぽど大事な用事なんだろ? でなきゃわざわざ呼び出したりしないだろうし……。何か悩みでもあるのか? それとも、言いたいことがあるとか?」

「……」
 
 佐和は無言でオレを見つめる。いや、睨みつけてると言った方が正しいかもしれない。それでも怯まずに笑顔で佐和の視線を受け止めていたら、小さな声で「絶対に言わない」とつぶやいてそっぽを向いてしまった。

 やっぱり、用があったってことだよな。何の用だろう。わざわざ手紙まで書いて呼び出すくらいだから大事なことなんだろうけど、正直、全く見当もつかない。

「オレにできることは限られてるかもしれないけどさ、佐和が困ってるなら助けたいし、何か悩みがあるなら力になりたいんだ。だから……」

「言わないって言ってんだろ! いい加減にしろよ!」
 
 周囲に響くほどの大声。言葉や声の大きさだけなら威嚇してるように聞こえるその声は、ところどころ震えてて、泣きそうになりながら必死に強がっているように聞こえた。
 
 佐和のこんな声を聞くのは初めてで、慌てて謝ろうとするけど、口をパクパクさせるだけでうまく言葉が出てこない。それでも、どうにか謝罪の言葉だけは伝えたくて、動揺しきっている自分の心を落ち着かせる。

「……俺の気持ちなんてわからないくせに」

 顔を伏せたまま、振り絞るように佐和が呟く。かたく両手を握っている姿が必死に感情を押さえ込もうとしているように見えて、心がズキズキ痛む。
 佐和はオレの考えを見透かせて、オレも佐和の気持ちが少しはわかると思ってた。
 でも、それはオレの傲慢ごうまんで、本当は少しもわかってあげられてなかったのかもしれない。

「佐和の気持ちを全然わかってあげられなくてごめん。何もわからないのに力になりたいだなんて傲慢ごうまんもいいところだよな。佐和のことをわかりたいから、オレなりに色々考えてわかったつもりだったけど、やっぱりちょっと難しいみたいだ。これまで嫌な気持ちにさせた分、これからはそんな思いをさせたくない。だから、ちょっとずつでもいいから、佐和の思ってること、感じてることを教えてくれないか?」

「……」

 沈黙が流れる。

 佐和はオレの言葉を聞いてどう思ったんだろう? 何も言わないのは更に傷口を広げたからじゃないよな?
 普段ならそこまで気にならない「間」が色々な想像を掻き立てて、とても長く感じる。
 早く返答が欲しいと騒ぎ立てる心を押さえつけて沈黙を守った。

 握りしめていた拳から徐々に力が抜けて行って、息を吐きだす。視線は合わないままだけど、それだけで少しホッとしていると、小さな声で「昼休み」と呟いた。

「俺のことが好きなんじゃないかってきかれたでしょ。その時の返答、けっこう傷ついたんだけど」

 緊張しているみたいにたどたどしく伝えられた言葉はオレが気になっていた時のことで、やっぱりかと納得する。
 オレがテンパってたなんて知らないだろうし、あんな言い方をされたらそりゃ傷つくよな。佐和に同じこと言われたら、オレも多分耐えられない。

「オレもその言葉について謝りたいと思ってたんだ。本当にごめん」

 そう言いながら頭を下げる。そのまま、あの言葉を放った理由を説明する。

「中学の時にさ、何回か男に告白されたことあるだろ?  その話をしてるときに『気持ち悪い』とか『キモい』って言ってたから、オレが恋愛感情として好きだって思われたら、隣にいてくれなくなるような気がして、誤解を解こうと必死だった。それがよくなかったんだよな、もう少し考えてから話せばよかったって今でも思ってる」

 全てを話し終えた後、ゆっくりと顔を上げる。いつの間にか佐和は顔を上げていて、大きな瞳を丸くさせていた。
 今の話のどこに驚く要素があったんだろう?  
 想定外の反応を受けて、心の中が少しだけざわめく。そんなオレの心を更に揺るがすように、佐和は口を開いた。

「なんとも思ってなければそこまで必死にならないと思うけど……。もしかして、俺のこと好きなの?」

 ドキッと心臓が跳ね上がって心臓の音が大きくなる。この質問って、やっぱり恋愛感情としてってことだよな? 友達としてはもちろん好きだけど、恋愛感情って意味ならどうなんだろう……。

 佐和の瞳がじっとオレを見つめ続ける。何かを期待するような眼差し。それでいて、どこか不安そうな色も見える。
 
 自分の感情がはっきりとわからないから、オレの素直な気持ちを言葉にしてみた。

「友達としてはもちろん好きだよ。それ以上の感情かって言われると、ちょっとわからないけど。誰かとどこか行こって思った時、真っ先に浮かぶのは佐和の顔だし、おいしいものを見つけたら今度佐和もつれてこよって思うし。それから……他の子と話してるのを見ると、佐和をとられたみたいでちょっとモヤモヤするし……」

 最後の部分は面と向かって話すのに照れが出て、ちょっと笑いながら話しちゃったから、オレの気持ちがちゃんと伝わってればいいんだけど。 

「それが正直な気持ち?」
「正直過ぎて、ちょっと照れたくらいには正直な気持ちだな」
「そっか」

 そう呟いた佐和の表情は数時間ぶりに和らいでいるように感じて、オレも体から力が抜けていくのを感じる。 

「じゃあ、俺も正直な気持ちを教えてあげる」

 佐和の正直な気持ち。
 オレのことをどう思ってるか最後に教えてくれたのっていつだっけ?  8歳くらいが最後だった気がする。
 面と向かって言われるとなんだか緊張してきて、それを紛らわせるように笑顔を作る。

 佐和は目を伏せると、おもむろにオレの手をとって自分の左胸にあてがった。

「えっ、えっ」

 そんなことをされるとは思ってなくて、素っ頓狂すっとんきょうな声が口から飛び出る。速まりつつあった鼓動が更に速度を増し、うろたえるオレに反して、佐和は笑みを浮かべていた。
 こんな顔をみたら余裕があるんだろうなってオレは考えると思う。でも、手のひらから伝わる鼓動はオレよりももっと速くて、全く余裕なんて感じられない。
 ……これって。

「これが俺の気持ち。空に触れられるだけで、こんなにドキドキして体が熱くなる。……気持ち悪いでしょ?」

 そんな自分が嫌だと自嘲じちょうするように佐和は笑うけど、瞳の奥は決して笑ってない。むしろ、悲しみを帯びているようにさえ感じる。
 これまで佐和が感じていた悲しみや苦しみの片鱗を見た気がして、胸が締め付けられた。

 オレはなんて声をかけたらいいんだろう。嫌われたくないからってしてきた言動のすべてが佐和を傷つける刃となっていたなんて……。
 かける言葉が見つからない。気持ち悪いなんてそんなことないのに、たくさんの言葉が喉につっかえて、否定することもできない。 

「空は俺がいいやつだって言ってくれるけど、俺はいいやつなんかじゃないよ。ずっと空をだましてたんだから」

 弱々しい声はところどころ震えていて、大きな瞳がみるみる潤んでいく。それでも、佐和はオレから顔を背けなかった。

「今まで、ウソついててごめんね」

 瞳から溢れた涙が頬を伝って、逃げるように校舎裏から離れようとする。
 咄嗟にその腕をつかんで、自分の元に引き寄せた。
 バランスを崩してオレの方へ倒れこんでくる佐和を抱きとめて、そのまま抱きしめる。

「ちょっ……離して!」

 オレの腕から逃げだそうと身をよじる佐和。それでもオレは離さなかった。ここで手を離したら、もう会えなくなってしまうような、そんな気がしたから。

「ぜったいにやだ。オレの前からいなくなるつもりなんだろ?  そんなの絶対やだからな!」
「……」

 佐和の動きが一瞬だけ止まって、図星なんだと確信する。それなら、なおさら離せるわけない。

「空だってやでしょ、自分のことが好きな男が側にいるなんて」
「どんな形の好きだって佐和に言われるなら嬉しいし、気持ち悪いなんて全く思わない。むしろ、佐和がオレの隣にいてくれない方がやだから!」

 佐和に対する離れたくないって気持ちや、何も知らなかった能天気な自分に対する怒りと罪悪感。いろいろな感情がぐちゃぐちゃに混ざり合って、自分でもよくわからなくなってくる。
 佐和がオレに好意を抱いてくれてたって事実はまだ現実味がないけど、佐和の好意が気持ち悪いとは一切感じなかった。それよりも、佐和がいなくなることの方がよっぽど悲しくて苦しい。

「さんざん佐和を傷つけて、苦しめてきたオレがこんなことを言うのは我儘だってわかってる。でも、佐和がいなきゃだめなんだ。佐和がそばにいてくれなきゃ……」

 佐和がいない毎日なんて考えたくもないのに、頭の中で勝手に佐和のいない日常が再生される。
 隣を見ても誰もいない。いつもみたいに話しかけても誰も答えてくれない。
 心にぽっかり大きな穴が開いたような喪失感。それだけで目頭が熱くなってきて、それをなんとか振り切ろうとしたら、今度は佐和と過ごした日々が勝手に再生され始めた。
 一緒にご飯を食べたときのこと、動物園に行った時のこと、花見に行った時のこと。どれもすごく楽しくて忘れたくない思い出。それは佐和がいてくれたからだ。他の誰が一緒でも、ここまでの感情にはならない。
 ……ああもう、なんで止まらないんだよ。

 過去の記憶が次々によみがえってきて、元々ぐちゃぐちゃだった感情がさらに掻き乱される。
 緩みかけていた涙腺から涙が溢れて、ぼろぼろ零れた。

 オレが鼻をすする音を聞いて、それまで逃げ出そうともがいていた佐和が動きを止める。

「……泣いてるの?」

「離れたくないなって思ったら、楽しかった記憶とか色々思い出しちゃって」

 笑って誤魔化す余裕もなくて、涙声になりながら答える。羞恥心は残ってるけど、理性で制御できないくらい感情が先行してて、もうどうしようもない。

 お互い鼻をすする音だけが聞こえる。
 佐和は何も答えてくれなくて、もうどうしようもないかもしれない。そんな考えが脳裏をよぎった時、佐和が「……ふふっ」と笑った。

「そんなことで泣かないでよ、バカ」

 口では悪態をつきながら、佐和の手がオレの背中をトントンと叩く。まるで小さい子をあやすような仕草だし、こんなふうにぼろぼろ泣いたことも合わさって、凄く情けないし恥ずかしい。
 けど、抱きしめ返してくれたってことはオレの気持ちが少しでも伝わったってことなのかもしれない。それだけで、こんな醜態を晒したことなんて些細なことに思えた。
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