妖からの守り方

垣崎 奏

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第二篇

30.高位貴族・扇柘榴

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「柘榴さま、ご来館感謝いたします」

 柘榴が裏口から入るのは発情期の時だけで、それ以外で遊びに来る時は正面の番台から入る。今日は普段通り、表で来た。翠月とは、話すだけでも癒される。あんな形で床に入る前から知っていたことだ。

「どうも、黄玉宮の翠月をお願いしたいのだけど」
「申し訳ありません、本日翠月は非番でして」
「そうですか」

(翠月が非番…? たまたまか?)

 翠月の見世は把握していたと思ったが、急な体調不良でも起こしたのだろうか。翠月は何といっても、楼主の内儀だ。高位貴族同士、何か政治的な絡みがあってもおかしくはない。

 皇家の当主が緑翠に代替わりしてから、深碧館の番台にはそれまでに居なかった顔が増えた。この妖が、楼主代理の地位を引き継ぐのは明らかだ。そして、今まで居た楼主代理が、皇家の側近として重用されていることも透けて見える。

「好みとは異なるかもしれませんが、紅玉宮の糸遊をご用意しております」
「一番手では?」
「ご存知でしたか、流石柘榴さまです。いかがいたしましょう」
「折角の準備を無碍にはできませんよ」

 間違いなく、裏がある。気付いてしまった以上、無視はできないし、高位貴族次点として、緑翠の意図は汲み取っておきたい。


 柘榴は、初めて挨拶を交わした紅玉宮の宮番・東雲について、上階への階段を昇った。この階段自体は、黄玉宮も上階にあるため、何度も昇っている。上がり切った先で分岐する紅玉宮は、完全に未知だ。

(この宮番すら、すれ違うことがあったかどうか分からないな)

「座敷を確認して参りますので、こちらでお待ちください」

 黄玉宮なら、階段を上がって立ち止まることなく座敷を踏める。待つのであれば、下階の待合の利用を勧められるが、紅玉宮だと作法が異なるのだろう。腰を下ろせるほどの場所でもなく、東雲に軽く会釈をした後、腕を組みながら手すりに寄りかかりつつ上を見上げた。

 廊下を挟んだ向こうにある黄玉宮と比べて、雰囲気からも随分と攻撃的なのが分かる。柱や欄間の彫刻、襖に描かれた色彩など、扇家の本邸よりもずっと豪華で、御所と同じかそれ以上に派手だろうか。廓だから納得はできるが、落ち着いた雰囲気を醸しだす黄玉宮とは、噂通り対極である。

 この住み分けがあるからこそ、深碧館は最高級館として名を上げた。元から箔はあったが、緑翠が立て直す際、結果的に宮の特徴を突き詰めることになったと聞いている。

(まだ子どもだったろうし、おそらく側近の力だろうけど…)

 緑翠が把握しているかは分からないが、柘榴は緑翠の四歳上で、幼い頃から顔を合わせていてもおかしくない高位貴族のひとりだ。緑翠の姉、翡翠とは会う予定もあると言われたが、結局叶わなかった。高位貴族の当主候補の立場で、年が近く異性であることが、対面を阻んだのだと思っていた。貴族最高位の皇家と次点の扇家が婚姻すれば、両家に権力が集まり、貴族社会からの反発も受けただろう。

 だから、扇家の隠密部隊から報告を受けた時、皇家の事情をすぐには飲み込めなかった。緑翠が妖とニンゲンとの間に生まれ、十二分に迫害される理由を持っていたところに、当主候補だった翡翠から妖力を受け渡されたこと。緑翠は元々持っていた妖力に加え、翡翠からの妖力を受け入れ、皇家内部で抑えられる者がいなくなったこと。そして、妖力を失った翡翠も強力すぎる緑翠も幽閉され、外部との関わりを絶っていたこと。夜光への報告でも半信半疑だったが、夜光には予想できていたらしい。

(飄々としているように見えて、いろんな想いを抱えてるのは間違いない。幽閉されて反抗しなかったのも、きっと翡翠さまが生きていたからだろうし…)

 ほぼ隠居しているものの存命のため、未だその地位を譲ってはくれない扇家現当主の父にも、天皇である夜光にも、「皇家当主を支えるように」と言われている。緑翠が皇家だから懇意にするのは間違っていないが、そうでなくても友として力になれればと、関係が深まるにつれ思うようになった。


 国に伝わる記録によれば、天皇家の側近を務めていたのは皇家と扇家だった。だから、このふたつの家柄には長髪文化が残っている。

 表は廓、裏はニンゲンの保護を家業とし、妖の欲を制御する皇家と、表は生活必需品である反物屋を営み噂を集め、裏ではそれを調査する扇家、そして両家の手綱を握る天皇家。昔からずっと、その三角関係で国は回っていたが、緑翠の数世代前には、皇家の内情は狂い始めていたらしい。皇家が家業を維持しつつ崩れていくのを悟っていたのだろう天皇家は、段々とその比重を扇家に傾かせた。

 父に連れられて深碧館に訪れて以来、緑翠との会話が増えたのは必然だった。急に深碧館を継いだ割に堂々とした佇まいで、年下と言えど頭を下げざるを得なかった。翠月を助けたあの一件から、緑翠の素が垣間見えるようになり、幼い頃から友であればよかったと、最近は特に感じる。

 先日の夜会でも見かけた緑翠の側近と、今日は顔を合わせていない。それでも番台の業務は問題ないようだったし、緑翠も翠月を娶り、忙しい日々を送っているのだろう。緑翠は楼主で、特に内儀である翠月の見世を変更させるなど、造作もない。

(廓の内情まで、探る気もないけど。ただ…)

 翠月以外に床を求めることはないが、今回の見世は言い寄られるかもしれない。本能には、抗えない。ここ数月で、嫌というほど実感した。

 床見世では酷いことをしている自覚もあるが、高位貴族の発情期は、深碧館に来る貴族や出世して地位のある者に比べて桁違いに強い。緑翠も分かっているから、地下での見世を求めた。ニンゲンを守るためには共寝が必要なことも、直近の夜会で悟った。当然保護も目的だろうが、緑翠の発情期の発散も翠月との床で賄えているのだろう。

 翠月は芸者として、割り切ってくれているはずだ。妖力に当たるほどの床になっても、黄玉宮での見世では今までと変わらず接してくれる。

 柘榴も、高位貴族の一員である以上、万が一宿ってしまうようなことがあっては困る。だから、柘榴自身が緑翠との仲もよく理解している翠月とは、床を楽しめる。翠月が、同じ気持ちだとは思わないが。

 今日は特に、黄玉宮での見世ついでの商談を進めるつもりで来たため、床への気分は全くなかった。他の芸者に手を出すようなことはないはずだ。必要としない誘惑を掛けられて、滾らない限りは。

(緑翠さまが、その危険を犯すとは思えないからこそ、裏があるはず。ただし、ここは紅玉なんだよね)

「柘榴さま、お待たせいたしました。こちらの座敷でございます」

 再び現れた東雲が、目の前の襖を開けた。踏み入れた先にいた芸者は、茶髪を盛り紅い髪飾りをふんだんに身に着け、首元から肩ほどまで素肌が見えていた。

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