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第二篇
29.久方の人攫い 4
しおりを挟む烏夜も月白も、数度、ニンゲンを世話係や近侍として教育したことはある。皆、名も覚えていないほど短い付き合いで、妖力の受け渡しをする前に居なくなった。月白と合わなくても、烏夜も地下にはいる。このふたりと合わない場合を考えるのは、ひとまず止めた。
陵と会話するのを聞く限り、怯えた様子もなく打ち解けていた。陵自身が瑪瑙宮や黒曜宮の環境に慣れていけるかどうかが鍵を握るだろう。何より、逃げ出さずに留まる意思を持ってくれないと、妖力の受け渡しには進めない。
(療養中の元芸者と、過激遊戯の宮だからな…)
あちらの世界で、「こういった場所に触れることはなかった」と、天月も翠月も話していたことがある。ふたりの年齢が若いこともあるが、そもそも床について公に会話することがなかったらしい。
妖には発情期があるため、欲の発散のために廓の商売を国が作ったと説明すると、陵も納得した。男である以上、芸者をやるとしたら男色の蒼玉宮しか道がなく、陵は改めて拒否した。
裏家業については、伝えなかった。きっと、その辺りは地下の宮番が頃合いを見て話すはずだ。地下にいれば、おのずと裏には触れることになる。
*
黒系宮の宮番と陵の対面を終え、何か聞きたげな天月とともに、翠玉宮の広間に戻ってきた。翠月は露台にいて、陽に当たりながら茶菓子を頬張り、組紐を組んでいた。
「おかえりなさい、意外と早かったね」
「陵がどういう経緯で来たか、早く知りたくて。翠月も聞きたくない?」
「うん、教えてもらえるなら」
普段通りの見世がある日なら、天月は準備のために蒼玉宮に戻っている頃だ。予約見世に余裕があるのか非番なのかは、緑翠の知るところではない。あの宵が、見世好きの天月を非番にするとも思えないが、可能性があるとすれば、君影の周期だろうか。
緑翠が気にする妖の発情期は、現状、柘榴のみだ。皇家当主として考えることも増え、見世に関しては小望に任せている。朧も補助はしているだろうが、小望の仕事ぶりを見るに、朧はほぼ見世には関わっていないだろう。
翠月が丸台を片付けるのを待っている間に、春霖・秋霖が緑翠と天月の分の茶菓子を出してくる。天月が翠玉宮に来ている折には、緑翠は書斎で記録をつけていることが多い。こうして三名のみで顔を合わせて話すのは、珍しい。翠月も腰を下ろし、一息吐いたところで、口を開いた。
「妖が、陵を取り囲んでいた。中心になっていた輩は、天河石を下げていたよ」
「っ……」
天月の本名であるのは、緑翠も覚えている。宝石名だったから、別の名前を名乗らせた。
「…渡ってきてしまった陵を、奴隷にするつもりだったんだろう」
ニンゲンふたりの表情を見ながら、緑翠は言葉を選んだ。敵対した妖力に酷く当たったことのあるふたりには、重く伝わる内容だろう。
宝石持ちではあったが、妖力はそこまで強くなかった。おそらく、鳳家や巫家と同じく、落ち目の高位貴族だ。妖力が弱ければ、働き手に対する服従も弱くなる。ニンゲンを屋敷に置くことで、明確な格下の存在を作り、周辺へ権力を誇示したかったあたりが動機だろうか。
(間に合ってよかったものの…、想像したくはないな)
「助けたんですね?」
「俺は昨夜、裏として面もしていたからな。ニンゲンに対して強めに出られた。妖力を使わずとも、俺が箔のある人攫いだと分かって逃げていった」
「陵は放置ですか?」
「そうだ」
翠月が身体を震わせたのを、緑翠は見逃さなかった。天月は緑翠があちらの世界で誘い、共に本殿を渡って来たが、翠月は神社の外に降り立ってしまい、陵と同じく囲まれていたところに、緑翠が声を掛けた。
「翠、おいで」
翠月の手を軽く引き、胡坐の上へと収める。少し頬の赤い翠月だが、見回りの折には、宵に収まった天月の姿を見ることもある。緑翠には、天月が目の前にいることは気にならなかった。
「他の妖のところに行くよりは、ずっといい」
「間違いないね」
「どちらにせよ、陵は俺が迎え入れた。本題は、分かるな、天月」
翠月から目を逸らすように茶を啜った天月と、目を合わせた。おそらく、黒系宮へ連れて行ったことで、悟っている。
天月は緑翠が深碧館を継いでから、初めて季節を一巡できるほど馴染んだニンゲンで、天月の後に来た翠月の世話も頼んでいた。蒼玉宮の一番手で、天月自身は見世が好きだが、それを減らして価値を上げつつ、非番の日には別の仕事を任せられる。
「基本は月白さんが面倒を見ますが、僕も見るんですね。翠月は女ですし」
「そうしてくれると助かる。平気か?」
「えっと…、ああ、名前ですか?」
緑翠が気を遣ったことに、天月は驚いたらしい。その明るい表情に、緑翠は翠月の髪をわざと揺らすように息を吐いた。
「同じ名前なだけで、僕ではないですからね。僕はもう、天月ですし」
*
廓の見世は、何事もなく進んだ。番台に顔を出した後、上階を歩いて普段通り見回った。
天月が渡って来た折とは異なり、陵は妖力に当たって寝込むこともなく翌日の昼のうちに瑪瑙宮へ移ったため、ニンゲンがひとり増えたことを知る御客はいない。匂いや噂を嗅ぎ付けた紅玉宮が何か言ってくるかもしれないが、黒系宮配属の近侍にまで干渉はしないだろう。天月や翠月が目の敵にされるのは、ふたりが上位芸者であるからだ。
翠玉宮の書斎に戻って軽く日記をつけ、風呂に入ってから寝間へ向かう。襖を開けると、翠月は机に向かっていた。
「緑翠さま、おかえりなさい」
「ん、何かあったのか」
「ううん、少し聞きたいことがあって」
迷わず隣に腰を下ろし、翠月を胡坐の上に収め、髪に口を寄せる。話してもいいと許可する合図を送っても、翠月はなかなか口を開かなかった。何か、聞きにくい疑問を持っているのは、伝わって来た。
「……翡翠さまは、どうして亡くなられたの?」
「何がきっかけで、聞きたいと思った?」
「小望が、私に似ている妖だったって。それから、仲の良い姉弟だったと。でもそれ以上は教えてくれなくて」
「ああ、俺がいない間に話したのか」
「うん」
緑翠の顔を見ようと、翠月が振り返ってくる。姉の話となれば、冷静でいられないのはもう知られている。侍女たちによって綺麗に梳かれた黒髪を撫でながら、一度額に口を寄せた。
「前に、姉さまは俺に、最後を預けたと話したのを覚えているか?」
「うん」
以前、寝間で話した折も、翠月が同席していた夜光への報告でも、濁した部分だ。妖である夜光には、姉が緑翠に何を預けたのか、容易に想定ができたはずで、言葉での確認はされなかった。
「俺が、姉さまの妖力を奪った」
「…え?」
「生きるために残していた、最後の妖力を、俺が吸い取った。姉さまからは三度、妖力をもらった」
「それは……」
「姉さまの最初で最後の希望だった。一度目は生まれた折、赤ん坊だった俺が愛しくて口を寄せてしまったらしい。二度目は、前に翠が見ていた夢の場面。小望は先に聞いていて、俺が皇の屋敷に来れば、姉さまが消えることも分かっていたよ」
衝撃を受け俯く翠月を、緑翠は久々見た。緑翠に直接聞きたがったということは、小望が何か含みのある言い方をしたのだろう。あのおしゃべり好きな元近侍なら、有り得る。
「…妖は、自分の妖力が無くなると死んでしまう?」
「そうだ。平民でも、妖力を全く持っていない妖はいない。使える量を持ち合わせているかどうかに差はあるが、全く持っていないのはニンゲンだけだ」
顔を上げない翠月の頬に触れ、顎を上げさせる。力は要らない。翠月は、緑翠のしたいようにさせてくれる。唇を寄せると、やはりあたたかかった。
「血縁同士の妖力の受け渡しは親から幼子へは有り得るが、兄弟でのやり取りは禁忌で、表に触れることはない」
「表に…」
「そういうことだ、知られなければ、行っても分からない。皇は、そんなことばかりしている家だ。高位貴族の中でも、例外が過ぎる」
「怒られない?」
「夜光さまはすでに知っていらっしゃる。後は、俺がどう生きていくかで証明するしかない」
「そう、ですか」
「何も教えないうちに、巻き込んだな」
「少しずつでも、知れたら」
腕の中に居る小さな翠月を、抱き締める。ニンゲンの匂いも、各々少しずつ違いはある。翠月の匂いを、全身で感じる。
「おそらく、これからもこういったことはある。俺も、何を話して何を話していないのか、覚えていないこともあるだろう。小望や朧と話す中で、気になれば尋ねてほしい」
「うん、ありがとう、緑翠さま」
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