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第二篇
20.夜光の役割 1
しおりを挟む夜光に連れられ帳の奥へ進むと、結界が張り直されたのを感じた。
「ニンゲンは、これも当たってしまうのか」
「おそらく。ただ、ここには常に夜光さまの妖力は漂っていますので、今更かもしれません」
「そうか…、なかなか気が回らず、『何度も妖力を使ってすまない』と、伝えておいてくれ」
「かしこまりました」
緑翠は、夜光が謝ったことに驚かなかった。おそらく、通常であれば夜光は頭を下げない。言葉でも非を認めることもしない。目の前にいるのが緑翠だからこそ、素直に話しているだけだ。
「少々、伝えておかねばならんことがある。おそらく、何も聞いていないだろうからな」
「予想もつきませんが」
「まあ、崩せ。先ほどあのような事態があったが、私の結界の中、つまりこの宮の中では襲われん。私が許可した妖力がなければ入れない」
対面に腰を下ろし、夜光からの話を聞くために、頭を整理する。一旦、翠月と天月の容体は横に置く。
「…それで、話とは」
「私が三月に一度行う、神事についてだ。鳳も巫も関わらない神事がある」
「鳳と巫ですか?」
「ああ、そこからか」
高位貴族の全ての裏家業を、夜光は知っている。夜光が許可しなければ、裏として大々的に動くことはできない。緑翠の人攫いも子払いも、夜光が認めているからやれることで、ただの妖ができることではない。ゆえに、緑翠が知らない裏家業があってもおかしくないはずだが、夜光はそう思っていなかったらしい。
「あの家は表で農業や酒造を、裏で神事を行っている。鳳は神官を、巫は巫女を輩出する家柄だ。意識したことがないのだろうが、お前が私の代理を務める例祭で、お前の支度をするのは巫家、周囲を共に歩くのは鳳家の裏だ」
夜光の言う通り、興味が無さすぎて、あの巫女や神官たちがどこの誰なのか、緑翠は全く気にしていなかった。知る必要すら感じていなかった。
「両家が関わらない神事を知る者は限られる。私と皇妃、そして皇家当主のみだ」
「皇家当主…」
「お前だろう、緑翠。その様子だと、やはり何も聞いていないな?」
「お恥ずかしながら」
現天皇である夜光には、側妃がふたり居るが、皇妃とは圧倒的な権力さがあってもおかしくはない。貴族であれば、幼い頃からそういった事情に触れつつ成長する。緑翠は、その辺りも知識が抜けていて、関わった折に確認していくしかないことだと理解していた。
皇家については朧から聞いているが、朧が知らなければ緑翠も知らない。国で三名しか知らない神事について、緑翠にもその権限が、今から渡されることになる。
「三月に一度、《天命の儀》と呼ぶ儀式がある。神に国政を問うものだ」
(夜光さまともなれば、神とも会話できるのか…)
夜光からの話は、高位貴族としての教育を受けてこなかった緑翠にとって衝撃でしかない。驚いたのを隠したところで、緑翠が無知なことに変わりはない。
「月が揺れる折には、下町の分社の様子を伺いに出向いているだろう」
「ええ、それが裏ですから」
翠月も天月も、下町近くの分社から渡って来たニンゲンだ。ニンゲンが通れるほどの規模を持つ神社は数えるほどで、緑翠が夜光に許可された、月が揺れた際の確認は下町の神社のみだ。国は広くとも、ニンゲンが通った記録がある神社は下町の分社だけで、他からの知らせはなかった。
「あれも、神には時期が読めるらしい。あちらの世界へ渡って様子を見る場合と、こちらの世界で起きる危機。今回の月の揺れがどちらを指すのか、感じ取れるらしい」
「それは…」
「お前にとって、好都合だろう」
「ええ」
分かるのであれば、緑翠は本当に必要な場面でのみ、深碧館を空ければいいことになる。現状、月が揺れればとりあえず神社へ向かい、何も異常がなく帰ってくると、翠月や天月が脅かされている。神社へ行く必要がない日が分かるのであれば、ニンゲンふたりをより近くで直接守ることができる。
「ただ、厄介なのは、神は気分が大きく振れる。酒を飲み交わすだけで、国政について助言を頂けないこともある。月の揺れについても何度か伺ったことがあるが、『皇は上手くやっている』としか言われたことがない。緑翠がニンゲンを抱えられるようになったのを、神も好意的に見てはいるが、協力的ではない」
(本当に、目の前にして話すような言い振りだな…)
「…何か、できることは?」
「神社は神の住まい。慶事などが行われる場所でもあるが、久しく行われていない。高位貴族で儀式を行う者が出なかったからな」
「つまり…」
「お前たちの式を、国一の神社で執り行う。そもそも最高位貴族の《婚礼の儀》など、しない選択肢はない」
「…ある程度、覚悟はしていました。時期を調整する必要があるだけです」
話の区切りで、夜光は一度、茶を持ってきた近侍を結界の中へ通した。まだ、夜光からの話は続くのだ。
「…身内の話で少々言いづらいのだが」
「伺ってもよければ」
「榊家を知っているか」
緑翠の記憶が正しければ、夜会の場にも入れるほどの、地位を持っているはずの家だ。夜光の姉妹を娶ったのではなかったか。
「夜光さまの…」
「そうだ。姉が嫁ぎ、高位貴族に名を連ねることになった家で、裏はまだない。歴史の浅い家柄だ。表は優秀な酒造で、この夜会にも出していた。神が気に入るようなら、裏として献上させようと思っている」
裏家業がなくても、高位貴族としては認められる。その例を、緑翠は初めて意識した。考えてみれば、裏家業など、どの高位貴族にもあるようでは困るのだ。
天皇家は代理がきかないことから、皇子を多く残す。その分、嫁ぎ先も用意される。すでに高位貴族となっている家柄に入ることが多いが、そうでない場合もあって当然だろう。
「その家が、いかがいたしましたか」
夜光が、らしくなく溜息を吐いた。身内といっても、夜光の姉が嫁いだだけで、夜光自身はそこまでの内情に関わることは避けたいらしい。
「姉と言っても、十以上離れていてな。すでに適齢の男子がいるのだが、どれも貴族令嬢には余るのだ」
「何が、ですか?」
「色欲だ。発情期以外でも、女癖が悪すぎて、婚姻を結んでくれる女がいない。本妻候補がいても、同時に妾候補もいるような者でな」
「廓での発散ではなく、完全に屋敷に?」
「そうだ、ゆえに本妻候補に嫌われる」
表立って妾を持つ者は、本妻に性的な興味を持てなかったり、持てたとしても本妻が共寝についていけなかったり、発情期の発散に苦しむ場合が大半だ。若ければ、まだ夫婦で解決することもできるが、年齢が上がると本妻だけでは処理できなくなっていく。男の方が子孫を残す本能が強いのは、廓の多くが男向けで、御客がそれなりに年を重ねても廓が繁盛することからも明らかだ。
「妖力もそれなりに持っていて、その分発情も強い。とにかく寝床に入りたがるらしい」
「それで?」
「貴族の令嬢では手に負えず、芸者を本妻にしてもいいと言い出している」
「深碧館には来たことがない方には送り出せませんが」
「それだけ金を積ませればいい。楪や蘭、扇のように代々続く高位貴族でもないし、裏もない。とにかく婚姻して子を宿し、表と高位の地位を継がせたいだけだ」
歴史のある高位貴族ほど、天皇家を娶った時期は早い。緑翠は、最近高位となった欲の強い貴族に、見合う深碧館の芸者を思い浮かべた。高位貴族へ交渉するなら、本来であれば星羅か淡雪だが、今回に関しては、綺麗に当てはまる芸者がいる。
「床見世が得意な芸者でも?」
「むしろ、その方がいい。他の誰へも目が行かない、骨抜きにできるくらいの」
「良い者がいます、使いを?」
「できれば、兄弟全てに宛がってほしい」
「複数ですか」
「三兄弟だ」
(三兄弟……)
頭の中で思わず反芻してしまうほどだ。こんなに都合のいい話があるだろうか。
「…願ったり叶ったりです。こちらも少々改革したかったところなので」
「そうか、また調整を頼む」
「かしこまりました」
夜光が、また近侍を入れた。今回は茶菓子を持って来させ、緑翠にも食べるように勧めてきた。翠月が隣で休んでいることもあり、丁重に断って、茶を一口啜ってから、夜光の話を促した。
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