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第二篇
16.天皇家での夜会 1
しおりを挟む見世のある日に黄玉宮へ向かう翠月を、緑翠が都度意識しているなど、伝える気はない。結界で確認した後、大きく息を吐いて、露台から下町の長屋を眺める。その先に見える山々は青々とし始め、羽織を着れば少し汗ばむような季節に移りつつある。
溜息の理由は、手元にある手紙だ。御所での夜会に、皇家当主として招待された。妖の公の場に、ニンゲンの翠月を連れたくはないが、婚姻を済ませ公表もしているため、共に出席しなければ夜光への不敬にあたる。
夜光も、緑翠が気乗りしないのは分かって、招待状を送ってきている。最高位貴族が婚姻したとなれば、呼ばざるを得ないのだろう。とっくに、深碧館に関わる者は緑翠と翠月を夫婦として扱っているものの、翠月との関係は未だ婚姻、つまり将来の約束をしたのみで、《婚礼の儀》を済ませると晴れて正式な夫婦となるらしい。貴族の、面倒な習わしだ。
「朧」
「はい、当主さま」
「……」
あえて当主と呼ばれ、茶を運んできた朧を睨んだ。
「よっぽど、悩んでらっしゃる」
「翠月を、連れていくのか? 貴族とは言え妖ばかりの席に?」
「夜光さまはすでに翠月さまをご存知。御客も多い場です。何かあれば味方になっていただけるのでは?」
「それはそうなんだが…」
「後は、貴方が守るだけでしょう、緑翠さま」
(全くもって、その通りではあるが…)
緑翠は混血、妾の子であったことで、宝石の名を持つにも関わらず、そういった公の行事を避けられてきた。ゆえに、緑翠自身が慣れていない。共寝での妖力の受け渡し以外に守れている実感がない今、妖の行事にニンゲンで妻の翠月を連れなければならず、気が重かった。
「…近侍として、黎明を借りられるだろうか。もしくは宵」
「護衛という意味では、体格的に宵が適任でしょう。ただ、天月と離すことになりますね。黎明であれば、黄玉宮の座敷は問題なくとも、紅玉宮がこれぞ好機とばかりに黄玉宮に攻撃しますが」
深碧館の運営を、どうするか。小望に任せきるには、まだ日が浅く不安が残る。最近の紅玉宮は、東雲だけでは抑えられず、黎明の支えも必要だろう。
御所へ行くには、今回は夜会である以上、朧の出席も必須だ。皇家当主が側近もなしで他の貴族の前に姿を見せるなど、いくら配慮があれど許されないだろう。最高位貴族としての威厳は、保たなければ国が揺れる。
「…宵と天月、ふたりを連れていくか。宵は護衛、天月は同じニンゲンで翠の近侍として」
そうすれば、宮番は東雲と黎明が残り、藍玉宮の暁もいる。小望への応援も、この三名になら期待できる。何とか一晩、見世を回してくれると思えた。
「…ニンゲンをふたりとも公に出すのは…、いえ、折衷案として、同意いたします」
*
夜会自体は、半年に一度ほど行われているもので、その時々の招待で出席者が変わるらしく、婚姻の済んでいない者には絶好の出会いの機会だそうだ。皇家は長期間出ておらず、朧の知識が不確かなのも頷ける。
髪を結い帽子を被った緑翠と、同じ籠に乗っているのは翠月と朧のみだ。宵と天月は別の籠で、緑翠たちの真後ろをついてきている。名目上、護衛と近侍であるため別れているのは珍しいだろうが、御所へ向かう籠を襲うなど容易に想像できるものではない。深碧館の外に出ることのないふたりが、少しでも楽しんでいるといいのだが。
籠から降り、以前顔を合わせたことのある夜光の側近に案内される。楼主と内儀、楼主代理、宮番と芸者なこともあり、それなりに皆整った姿であるのは確かだ。すれ違った妖からは、その者が貴族であれ働き手であれ二度見され、芸者に比べれば落ち着いた着物をまとってきたが、ニンゲンの匂いもあり注目の的だった。
最高位貴族である緑翠をはじめとした一団は、屋内で待機することを許された。天月が、その内装に目を奪われている。深碧館も壁や天井に絵が描かれ、欄間や柱は彫られているが、ここはその比ではなかった。廓よりも更に豪華だ。御所は天皇の住まう屋敷で、国で最も金のかかった建造物に違いない。
茶を出してもらい、五名で卓を囲んだ。それぞれが話すことはあっても、一同に会することはなく、特に何を話すでもなく呼び出しを待った。
*
「緑翠さま、ご挨拶に参りました」
聞き慣れた声に振り返ると、襖が少し開けられていた。朧が迎えに、宵や天月も含め、その高位貴族を迎え入れるために席を移動する。卓からは離れた敷居近くに、緑翠同様、高位貴族らしく髪を結った柘榴が腰を下ろした。
「緑翠さま、この度の夜会へのご出席、大変嬉しく思います」
「どうも」
「僕へはその返しで許されますが、特に深碧館と関わりのない方へはご注意なさってください」
「…どういう意味だ」
柘榴が、緑翠の元に寄り、気付いた翠月が天月の方へ寄って、緑翠から距離を取った。隠密として、緑翠にだけ先に伝えるべき何かがあるのだろう。
「尻尾はまだ見えませんが、不穏ですよ、今回の夜会は」
「不穏?」
「すみません、それ以上は何も。ただ、『お気をつけて』とだけ」
「承知した」
「それから、これは奥方にも関係があるのですが」
「はい?」
急に呼ばれた翠月が、慌てて顔を向けた。何か天月と話していたのだろうか、天月も柘榴を見ている。宵と朧は、何やら難し気な表情で座敷内に意識を向けていた。
普段、柘榴は翠月を芸者として名で呼ぶ。奥方と言ったからには、何か皇家に関わる用件なのだろう。
「ご婚姻のお祝いに、うちの反物を贈りたいのです。もっと早くお話しするつもりが、様々狂いましたので…、儀式などの予定は?」
「…まだ何も」
「それではこれから、奥方によく似合うものをうちで仕立てましょう」
(はあ……)
柘榴に任せれば間違いないのは、以前頼んだ指輪でも実感しているし、今日の翠月の着物も九重屋のものだ。断る理由がない。
「また、深碧館にて詳細を」
「ええ、ぜひ」
互いに、表の顔を合わせた。宵や天月もいるからか、柘榴は普段よりも大人しく、より高位貴族らしく見えた。
柘榴が座敷を後にしてから、朧が茶を注ぎ直した。宵が湯呑をがさつに音を立てて置き、口を開いた。
「…知らない気配が多すぎて、落ち着かない」
「夜会とは、こういうものなのだろうな」
「深碧館には、妖力をあまり持たない者の方が多いですから…」
妖三名で、茶を啜っているニンゲン二名を見る。今のところ、結界や漂う妖力に当たっている感覚はないのだろう。ふたりともが首を傾げ、「どうしました?」と聞いてくる。緑翠は、首を横に振って応えた。
他にも、挨拶があると思っていい。何せ緑翠は、この夜会に初めて出席する。しかも、最高位貴族当主として来たのだ。この場で、夜光に次いで位が高い。皆が皆、緑翠が深碧館を継いだ時のように、自らを認識してほしいと寄ってくるだろう。
*
「緑翠さま」
「瑠璃さま、いつもご贔屓に」
柘榴との挨拶があってから、朧が来客を迎え入れるのは変わらないが、翠月・天月と宵には奥の間に居てもらうよう指示をした。ニンゲンの匂いは消せないが、襖や廊下からは離れている方がいい。深碧館はニンゲンに慣れた妖ばかりで、今この場にいる妖とは異なる。柘榴からの指摘がなければ、今も挨拶に同席させていただろう。
「こちらこそ。天月もいらしたのですね」
「いつもありがとうございます、瑠璃さま」
離れていても、天月は言葉を返し礼をした。蒼玉宮の一番手で、その辺りの粗相の心配はない。天月に微笑んだ瑠璃が、ちらりと翠月を見やった後、緑翠の耳元に寄った。
「内儀さまは、あの後落ち着かれたのですね」
「今のところ、何事もなく過ごせている」
「そうですか」
「気遣いに、感謝する」
瑠璃が来た折には、その話が出るだろうと思っていた。柘榴との床が始まったことも、瑠璃の耳に入っているだろう。
「地下の方、そろそろお腹も目立っているのでは?」
「その件、また使いを」
「では、お待ちしております。今宵、ぜひお楽しみください」
「ああ」
朧が瑠璃を見送った。序列的に、次にやってくるのは孔雀だろうが、あの男が形式ばった礼をする想像ができない。一応、高位貴族としての所作はできるものの、やりにくそうにするため、蒼玉宮で見る折は崩れていることがほとんどだ。
緑翠の予想通り、孔雀が挨拶に来たが、緑翠に対してというよりは、天月が目的だったようだ。「来ているのは匂いで分かった。また座敷で会おう」と、気障に去っていった。深碧館の御客ゆえ許せるものの、その性格を知らなければ、不快に思ったに違いない。
(いや、急に出席した最高位貴族に、無礼を働きたくなる者がいてもおかしくはないか…)
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