妖からの守り方

垣崎 奏

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第二篇

9.鴛鴦の契り 2

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 緑翠によって作られた非番の日、朝から籠に揺られて見えてきたのは、大きな湖に浮かぶ島だった。籠の中からでも見えるほどの大きな滝が、山から湖へと落ちている。季節は冬で、向こうに比べれば寒くはないが、翠玉宮を出る前に一枚多く羽織らされた。澄んだ空気の下、水面には針葉樹の山々と積もった雪が映り、綺麗だった。

(この景色があるから、逢瀬と……)

 見世の準備や天月の訪問がなければ、翠玉宮の露台から外を眺めつつ組紐を組むことが多かった。おそらく、それを緑翠が見ていたのだろう。翠月は、本山の近くにどんな景色が広がっているのか全く知らず、想像もしていなかった。考えても、自由に出られはしない。

「あの木々の中に、神社がある」
「神社…」
「そうだ。あの鳥居のあるところから入る」

(ここも、向こうとこの世界を繋ぐ場所…?)

 籠から降り、緑翠に手を握られたまま、翠月から緑翠にぴったりと寄って鳥居を潜った。この世界に入ったニンゲンは、向こうへは戻れない。今更帰ることにはならないと思っていても、少し足がすくんだ。

 境内を歩き、厳かな雰囲気を肌で感じた。緑翠の手をぎゅっと握ると、力が返ってきた。

「ここは夜光さまの下で一番大きな神社だ。こちらでの生を終えた歴代の天皇さまが生活なさっているとされる場所。妖力が溜まっているのを、感じるか?」

(この怖いというか、足を出すのが億劫になるの、妖力のせい…)

 翠月が普段身に浴びているのは、翠玉宮に張られた結界と、緑翠からもらった指輪と簪の妖力だ。緑翠が直接受け渡してくれた妖力が、身体に流れているのもなんとなく分かるようになってきた。淡雪や瑠璃など好意的な弱い妖力には当たらないが、それ以外には当たってしまう。ここに流れている妖力は、どちらでもない。慣れないからだろう、緑翠の言葉を聞いても妙な感じは残る。

「…当たってはないよ」
「俺が、守っているからだ。それは、分かるな?」
「うん」

 緑翠の説明によれば、この大きな神社に来るには旅行のような形になることが多く、高位貴族であれば休暇の滞在先として選ぶ場所らしい。つまり、本来は日帰りで来るような場所ではない。侍女や近侍なども連れ、数日滞在し、神の妖力を感じながら過ごすことが、高位貴族にとっては癒しとなるそうだ。

「俺は幼い頃に一度来たきりで、特別そうは思わないが。結局、翠が居ればそこがどこでも癒しは得られる」

 内儀と公表してからの緑翠は、時間が取れさえすれば、思っていることを口に出すようになった。これもひとつ、翠月が慣れないといけないことであるが、それでも顔が熱くなって、緑翠を直視はできない。身長差のせいで、緑翠が屈んでくれないと目は合わないが。

 この社の厳かさは確かに、一度感じておくのも必要だと、翠月は思った。向こうの世界で毎日のようにもたれていた御神木のある神社よりも、何倍も大きい。こちらの世界で、一番神聖とされている場所に、今、ニンゲンの翠月が立っている。

 神殿にて、緑翠につられて一礼しても、握った手を離されない。墓参の時も思ったが、向こうの世界とは作法が異なる。そのまま目を閉じて、神殿の奥へ向けて心の中で挨拶をすると、手が離れた。隣に立つ緑翠を見ると、袖を探っている。

「あちらの世界では婚姻をすると指輪をはめ合うのだろう?」
「……」

 そう言って、緑翠は器用に指に挟んだ指輪を取り出した。

 緑翠から以前もらった指輪はすでに身につけているし、簪もある。妖は簪を贈ることで指輪と同じ意味をなしていることは、今はもう理解していた。そもそも翠月は十五で、向こうの世界に居れば婚姻はまだまだ先、考えた事もなかった。緑翠からの贈り物を前に、言葉が出なかった。

「互いに、つけ合わないか?」
「…ぜひ、緑翠さま」
「左手を出して」

 素直に差し出すと、柄も何も入っていない金属の指輪が薬指に通された。この世界の装飾品は、植物や石由来のものが多く、金属に見えるものも塗装されているものがほとんどだ。小さなものほど塗装は難しくなるらしい。この指輪は全てが金属製に見え、すぐに珍しい物だと気付いた。寸法もぴったりで、寝ている間にでも測ったと思えば腑に落ちた。

「俺にも」

 白くて、翠月よりも骨張った綺麗な指に、一回り大きい指輪を滑らせた。緑翠は、その手を空にかざした。

「ニンゲンは、これで絆とするのだな」
「…私には分からないけど、たぶんそう」
「分からない?」
「向こうで、こういう関係になるがいなかったから」
「いなくていい。考えるだけでも気が狂う」

 そう言って、緑翠は口角を上げる。こんなに柔らかい表情、翠玉宮でしか見ない。基本は楼主と内儀で、ずっと硬くて難しい顔をしている。珍しいと思ったのも束の間、すぐに真剣な目に戻った。

「少し、試したいこともある」
「うん?」
「可能性として考えていたことだが、これで翠も俺が無事かどうか分かるかもしれない」

(なるほど、こっちが本題ね…)

 指輪については、天月から聞いたのだろう。おそらく、これから緑翠が試そうとしていることに、揃いで何かを身に着ける必要があったのだ。

「妖でなくても?」
「俺の妖力が翠の中に溜まるわけではないが、毎日のように分けているし、元々の俺の妖力は寝れば回復する。妖力を出せるほどにはならないが、俺の妖力を込め、追うことを許可された物があれば、俺の気配は感じられる可能性がある」

 緑翠の左手が、指輪の位置が重なるように、翠月の左手を包んだ。おそらく、妖力を新しい指輪に込めたのだろう。頭の中でキーンと音が鳴り、その高音に思わず顔をしかめた。

「共鳴するのが分かったか? 今の音が、俺たちの印だ」
「印?」
「服従の意はない。その指輪からは、俺の妖力を常に感じられるはずだが」
「うん、あったかい」

 翠月は一度、緑翠の手を解き、その指輪を確認するように口元へ当てた。金属製なのに、ほのかに熱を持っている。物理ではなく、妖力が宿っているからだろう。

「緑翠さま、ありがとう」
「ん…、少し散歩をしたら帰ろう」
「うん」

 再び翠月の手を取った緑翠が、ゆっくりと歩き始めた。翠月に合わせて足を出してくれるが、その顔は翠月を振り返らず、ぎゅっと握った手は、心なしか汗ばんでいるような気がした。


 *****


 あの神社は、聖域すぎて、妖力が漂いすぎていた。本来であれば、当然妖力に当たるため、ニンゲンは立ち入れない。妖である緑翠と共寝をし、簪や指輪を持つ翠月が、おそらく神に、妖の世界に認められたからだろう。

 神社からの帰り、緑翠はまっすぐ翠玉宮へ入り、翠月を広間へ誘った。見世終わりの見回りには早く、試しておきたいことはまだ残っている。

「翠、俺と共鳴した特別な日だ。祝い酒でもしないか」
「祝い酒…」
「送り出しでしか飲んでいないだろう?」

 緑翠にとっては、翠月が神に受け入れられた日だ。祝わずにはいられない。最高位貴族である緑翠が、ニンゲンの翠月と共に生活することを、夜光からだけでなく神にも許されたのだ。

「あの時も、お酒は避けてた。飲める気がしなくて」
「御客から飲まされることもある。飲んだ時にどうなるのかは、知っておいた方がいい。今日なら、俺が傍にいる」

 春霖・秋霖を呼び、軽いつまみと共に持って来させた。杯を合わせ、緑翠が先に口をつける。

 天月が見世で飲んでいるのは知っているし、ニンゲンにとってもこの世界の酒は美味いものだと思っていたが、翠月にとっては違ったようだ。幼いからなのか、数口ですぐにふらふらと身体を揺らし、緑翠にもたれてしまった。

(戻しはしないか…、いや、眠ってしまう方が考え物だ)

 深碧館で用意している酒は、当然上級品で飲みやすい物で揃えている。御客からも評判が良く、瑠璃のように食事だけを楽しむ者も多い。

 妖でも酒に弱い体質の者はいるが、それでも見世は成り立つ。食事の際に、芸者が摂らなければいいだけだ。翠月は御客に酒を勧めることはあっても、自らが飲むことはしてこなかった。翠月の見世の主は、舞と楽ゆえ、翠月が何かを口にする機会はなくても成立する。

 逆に天月は、自らも飲むことで、御客を楽しませる芸者だ。共に食事をし会話を弾ませるから、御客が満足する。あまり見世に得意を感じていない天月は、そういった手段で日々を過ごしているのだ。翠月の座敷とは、異なる。

 そっと翠月の身体を抱え寝間へ運び、普段よりも体温の高いその身体に身を寄せ、見世の終わりが近づくまで目を閉じた。
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