妖からの守り方

垣崎 奏

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第二篇

4.平民の拗れ

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 地下から上階へ階段を上がり、番台裏にある翠玉宮への戸へ向かう途中、何やら騒がしかった。見世は始まっていないから、柘榴のような商屋を除いて、深碧館内へは立ち入れない。後ろ姿から、対応しているのは藍玉宮の宮番・暁だろう。

「ここに居ると聞いたんだ! 病気で、出てこられないと!」
「落ち着いてください。本日の対面はできませんよ。こちらにも相応に準備が必要ですから、まずはお話をお聞かせ願えますか」

 そう声を掛けている暁が振り返り、緑翠と目が合った。聞こえてきたやり取りで、察した。十年も楼主をやっていれば、大抵のことには対応したことがある。身請け相談のひとつだが、例外だ。翠月は、一般的な交渉に慣れてくれれば内儀として十分で、この騒動には関わって欲しくないと、緑翠は瞬きをする間に思った。

「翠、先に戻っていて」
「分かりました」

 番台で、深碧館の関係者以外も見えたからだろう、少し硬めに返事をした翠月を戸まで送ってから、男に向き直った。

 おそらく、この男は元芸者と想い合っていたが、何か要因があって元芸者が廓に送られたのだろう。平民にはよくあることで、実家が祝い金を用意できないことを理由に、婚姻を認めないことがあると聞く。いくら婚姻を望むふたりが金について納得していても、親が体裁を気にして円滑に進まないこともある。

 ゆえに、例祭のような、多数の妖が入り乱れる場で救われる命もある。駆け落ちなど、親元から離れることへの処罰を、夜光は行っていない。双子も含め、あえて放っているのだ。

(平民など、高位貴族に比べれば、身分に囚われず生きていけるというのに……)

 廓の楼主である以上、大小様々、噂を耳にするが、基本平民に関しては放置だ。高位貴族が興味だけで手を出すと、痛い目を見る。最高級館の深碧館は、高位の御客しか相手にしない。花街には他にも廓があるし、用があれば下町を歩くこともあるが、真剣に考えるのは表家業と裏家業に直接関わることのみだ。

 応接間に案内され、話を聞いてもらえると分かって落ち着いた様子の男から、暁同席で状況を聞いた。予想通り、平民同士の婚姻で、親が金に納得しなかったそうだ。

 確かに、全盛期の身体の特徴も当てはまる元芸者がいる。廓で、婚姻のための金を稼げと親に言われ深碧館へやってきて、婆の稽古に合格し無事芸者となったが、稼ぎ切るよりも前に、心が持たなかった。

 緑翠の記憶が正しければ黄玉宮所属で、下位ではあったが芸者になれるほどに器量はよかったのを覚えている。ただ、好いた男以外を相手に見世、つまり仕事として誘惑することはできなかった。そういった芸者も、居るのは事実だ。

「心を病んで、見た目は時の経過以上に変わっています。それでも、身請けを行う気がありますか」

 瑪瑙宮で伏せたまま賭してしまうよりは、どこかに嫁げる方が、まだ良い一生が見えるだろう。元芸者にとって、それがいいと思えるなら進めてやるのも楼主の仕事だと、少なくとも緑翠は思っている。他の廓では、病気の者の面倒を見ることはなく、毒などで処理すると聞いたことすらある。

「ええ、ここ数年、ずっと探していましたから。他の廓ではなく、深碧館であったことにほっとしています」

 花街にある廓の中で、高位貴族が運営し表家業として箔があるのは、この深碧館だけだ。他の廓の状況を正確に詳しく知っているわけではないが、法外な借金を負わせ芸者にさせるなど、良い話は聞かない。

 深碧館なら、芸者希望であれば一旦は婆による教養稽古を受けられるし、芸者の道だけでなく世話係や侍女として働くこともできる。この男の想っていた女妖は、短期間で深碧館から出ることを望み、芸者を選んだのか。何に重きを置くかは、その妖次第だ。

深碧館ここに居る間に、心変わりしていたとしても?」
「伏せているだけで救いがないのなら、僕が貰い受けたいです」

 その目からは、強い意志を感じ取った。決して、冷やかしに来たわけではないと、緑翠はその男を認めてやった。

「ちなみに、身請け金が必要となりますが、どのようにお考えで」
「……ある程度は貯めておりましたが、深碧館となると不足するかと。ひとまずは、生きていると分かっただけでも」

 男がゆっくりと息を吐く。番台で見た時はかなり取り乱していたが、深碧館が最高級館であることは忘れていなかったようだ。

 可能性を信じて探し回った末、どこからかの噂で深碧館に辿りついた。普段なら、緑翠とは直接話すこともない立場の妖だ。緑翠は最高位貴族で、ある程度の地位を持った相手としか、交渉をしない。深碧館の御客を限っているから、当然の話だ。

「見ての通り、僕は楼主で貴族、滅多に平民と顔を合わせることはありません。きっと、殿方は運がいいのでしょうね」
「……」

 普段緑翠が話す相手は、それなりに権力のある妖だ。目の前に居る妖は平民で、落ち着いて話せば話すほど、状況を理解し、緑翠の高位ぶりに青ざめていく。長居させると面倒だ。

「また後日、彼女の意志も確認した上で連絡を入れましょう」
「…ありがとうございます」
「希望を持つにはまだ早いことは、伝えておきます。まずは顔合わせをして、双方の意志を確認してから、金の交渉に入りますので」
「はい、ありがとうございます」

 おそらく、問題なく進むだろう。この妖と緑翠が対面するのは、今回のみだ。

「今日のところは、これで」
「強引に押し掛けてしまい、申し訳ありませんでした」
「その言葉が出せるほど落ち着いたのであれば、考える価値もあります」

 暁に男を見送るよう頼んだ後、緑翠は再度黒系宮に戻った。瑪瑙宮の宮番・月白に事の次第を話し、元芸者に会うためである。

 平民への身請けなど滅多にない。最高位貴族である緑翠が立ち会う必要もない。送り出しもしない。そこを許可してしまえば、最高級館である深碧館の箔が薄れる。月白に、暁とともにこの身請けを成立させて欲しいと、緑翠は伝えた。正式な身請けでない以上、楼主代理の朧ですら絡む必要がない話だ。
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