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第二篇
3.瑠璃の診察
しおりを挟む昼の時間帯に裏口から瑠璃を迎え、翠月と対面させた。内儀となった以上、翠月にも、皇家の家業を少しずつ知ってもらう必要があるのは当然だが、それ以外にも目的はあった。
「高位貴族には、裏家業があることは前に話しただろう?」
「はい」
「こちら、楪瑠璃さま。天月や君影に指名をくださる方で、医師として手伝っていただいている。翠月には知っておいて欲しい」
翠月が、緑翠の後ろから一歩前に出る。瑠璃に対して、立ったままではあるが、礼を取った。
「はじめまして、翠月と申します」
「いいのですよ、内儀さま。貴女は最高位貴族当主さまの奥方ですから、私に頭を下げることは必要ありません」
戸惑った翠月が緑翠を見るが、緑翠は少し口角を上げて応えただけだった。翠月の所作が間違っていたわけではなく、瑠璃が気遣ったのだ。所作は天月よりもずっとできるのに、それに驕らないのが、翠月である。
「それから、私が女であることも、お伝えしておきましょう」
「……」
一度瑠璃に向き直った翠月が、また緑翠を見て、どういうことかと目で訴える。瑠璃は翠月よりも背が高いし、声も低い。男色で女禁制の蒼玉宮の上客で、翠月は瑠璃のことを男と疑っていなかったのだから、仕方のない反応だろう。
「そのままの意味だ。俺も宵も分かって蒼玉宮に上げている。黒系の宮番は知っているが、芸者や上階の宮番は知らないから、話を合わせてくれ」
「…かしこまりました」
翠月の切り替えの速さは、緑翠も見習いたいと常々思うほどに見事である。ここに来た初日から、動揺を見せることが少ない。初めて聞いた情報でも、すぐに整理してしまう。
(一番の動揺は、俺が招いたもの…。俺が、説明してやらなかったのが悪い)
瑠璃が瑪瑙宮の座敷をひとつひとつ回り、順に手に触れ、妖力を使って体調を探って行く。その後を、緑翠と翠月でついていく。どの程度近付いていいのか、翠月が図りかねているのが分かる。何か問いたそうな視線を感じ、耳を寄せてやる。
「緑翠さまと、同じ妖力の作用ですか?」
「俺には心を視ることしかできない。揺れを感じるだけだ。瑠璃さまは、身体の不調を診ていらっしゃる。対処まで理解されている方で、物理的に手当や手術もされる御方だ」
瑠璃に気を遣い小声で聞いた翠月に、同じく小声で返した。こくこくと頷いた翠月は、確実に内儀として皇家の仕事の把握を進めていた。
翠月は感情が見えにくいが、やりたいことには明確に興味を示す。見世に関することなど、例えば痛みがあっても休もうとしない。
こうして昼間にも連れ出すようになったが、当然緑翠としては、翠月の負担になっていないかが気にかかる。内儀として認められ周囲が落ち着いて、寝間の様子を見る限り、変わったところはないのだが、それでも心配なのだ。
特別張り切る必要はないと言っても、翠月は聞かないだろう。だからといって、どう思っているのかを話してくれる性格でもない。妖力を使わずに、感じ取ってやる必要がある。
診察とは別の方向へ頭を回していたところに、瑠璃の声がかかった。
「今回も、特に異常は見られません」
「毎度感謝します。まだお時間は?」
「ええ、お付き合いいたします」
地下にあるふたつの書斎のうち、広い方の烏夜の書斎を借りた。茶を出してもらい、烏夜には下がるように言った。普段は来客があれば見送りまで立ち会うため、珍しいと思ったはずだが、あの表情を見るに、何について話すのかは悟ったのだろう。
「それで、楼主さまと内儀さま、三名のみでのお話とは」
「翠月の、身体を診てほしい」
「え?」
「宿すことに耐え得る身体なのかを、知っておきたい」
「内儀さまは今知られたようですが」
「緑翠さまが必要だと思うのなら、従います」
「かしこまりました。ご存知の通り、命を宿すことには危険も伴います。ここで異常がなくても、何が起こるかは神のみぞ知る世界」
「承知の上」
「内儀さま、薄着になって横になっていただいても?」
翠月は、緑翠と瑠璃の前で上掛けを脱ぎ、寝転んだ。まずは上から下まで、瑠璃が視診していく。
翠月が内儀になり、緑翠には後継が必要で、そのためのこの診察だ。ニンゲンも妖も、身体の作りはさほど変わらないと聞いている。妖力と発情期を持つかどうかの違いだけと言ってもいいだろう。
貴族の婚姻適齢は、子を宿すための身体が出来上がる十八頃とされる。翠月の年齢で宿すには、早いと思う者しかいない。実際に宿った場合、体内で育てるのは翠月なのだ。宿す行為に緑翠が必要でも、その後生まれ落ちるまでは翠月の身体の負荷になる。緑翠は、翠月自身にも、知っておいて欲しかった。
「素肌に触れます。妖力を使いますので、当てられる感覚があれば教えてください」
「はい」
瑠璃が翠月の手に触れる。瑠璃に診察されると、どのような感覚を覚えるのだろうか。緑翠は、深碧館に来てからは医師を呼ぶほどに体調を崩すことがなく、診察されたことがなかった。
妖力を使った診察をするのは瑠璃の楪家くらいだろうか。生活で手一杯の平民に対しては、悪徳な医師も多いと聞く。花街最高級館を生業とする緑翠には、知っていても関わりのないことではある。
どの高位貴族も、何かしら歪を持っているのだろう。おそらく反物屋の扇家や飛脚の蘭家も。現状を崩すほどの変革は、夜光の役目だ。不都合は見逃すこともあるし、よっぽど改善が必要であれば便りで伝えることもできるが、実際に行動に移す高位はいないだろう。夜光は許してくれるだろうが、他の貴族に目をつけられることが余りにも面倒を呼ぶ。
「…当てられてはいませんか」
「はい」
「安心しました。少しお聞かせ願います。身体を重ねた後、お痛みはございませんか?」
翠月が寝転んだまま、目を向けてきた。緑翠は、頷いた。何か相談したいことがあるなら、これを機会に話していい。翠月は、臍の下辺りを摩りながら答え、瑠璃は緑翠にも伝えるように口を開いた。
「ああ、やはり。おそらく、緑翠さまよりも浅いのです。あまり深くされるとお痛みとして残ります」
「やはりそうか。どうにかなるものか?」
「こればかりは……」
「承知した。加減するしかないのだな」
緑翠と共寝をする度に、翌朝の翠月は下腹部を痛がる。すでに、分かっていることではあった。加減しようとはしているが、毎度逆手に取られ、緑翠は煽られてしまう。最後の最後で名を呼ばれ、結果無体を働いてしまうのだ。無理もないと、緑翠は自らを庇いたい部分もある。翠月に出会うまで、女と身体を重ねる自らを想像できなかったのだから。
(……淡雪には、やはりもう少し牽制を掛けておけばよかった)
「失礼ですが内儀さま、おいくつで?」
「十五です」
「ああ、それで腑に落ちました。宿すのは待つ方が良いかと。少なくとも、もう一年か二年は。内臓の発達を待つ方が良いです」
「承知した」
「もちろん、全く宿せないわけではありませんし、まぐわいも可能です。適齢よりも負荷がかかりますから、緑翠さまであれば間違われないかと」
「……」
緑翠があまり面白くなさそうな表情をしていると思ったのは、翠月だけだろう。翠月は、緑翠の出生も聞いて事実を知っている。緑翠は、妾の子で血の半分はニンゲンでもあるが、それでも皇家にとっては必要な後継だった。子を宿して後継を育て、重荷を下ろして安心したいと思っているのも、翠月はなんとなく察しているかもしれない。翠月は、年齢の割に聡い。
「楼主さま、少し小耳に挟みたいことが」
「ああ」
翠月がいる中でわざわざそう言い出すということは、翠月は直接聞かない方がいい事なのだろう。内儀として、廓の運営に関わるのは確かだが、朧や宮番もいる中、内儀の立場はこれから確立されていく。裏家業として関わる瑠璃も、それに気付いている。
緑翠がちらりと見やると、翠月は目を瞑り、自らの手で耳を塞いだ。宮番の同席がない中で、ひとり座敷の外に出る気はないのだろう。それを確認した瑠璃が緑翠の耳元で、声を潜めて伝えてくる。
「伝わっているか確認したいのです、発情を抑制する薬はすでに出回っていますが、逆に増強する薬も現れています」
「初めて聞く」
「芸者の方々に、御客からもらうものを口にしないように、お伝えし直すのがいいかもしれません。特に、下位の芸者には」
「宮番に、すぐに」
「夜光さまも、自然に反することを推奨したいわけではないはずですが、研究の中で偶然生まれてしまうものもありますゆえ」
「感謝する」
芸者以外の働き手も含め、深碧館に居る者を全員守り切ることには限界がある。それを悟っていながら、緑翠が実現できる範囲はどこだろうかと、楼主として考えていた。
*
裏口から瑠璃を見送り、烏夜の書斎へと戻ってきた。翠月は内儀になる前にも黒系宮へ降りたことがあるが、今回は内儀としての仕事のひとつだ。慣れないことをして疲れているのなら、稽古や見世の準備で妖の多い藍玉宮へすぐに戻る必要はない。少し、茶を飲んで休憩しようと誘った。
「瑠璃さまと何を話したか、気にはならないのか?」
「聞いていい事か、分からない」
「それを判断するのは俺で、翠ではない」
「聞いて答えてもらえなかったら、線を引かれた気分になるから。楼主さまだし、私に話せないこともあるのは分かってるつもり」
「……」
(迂闊に、聞くべきではなかったな…、俺よりずっと、本当に割り切りが上手い)
緑翠は後悔しながら、瑠璃から聞いた内容を翠月にも伝えた。翠月も芸者で、被害を受ける可能性がある。ニンゲンで、感じられないものもあるから、余計に緑翠は不安になるが、悩んだところで翠月の見世に張り付いても居られない。守るには、限界がある。それが事実で、翠月には自衛をしてもらう必要があるのは、見習いの頃から変わらないのだ。
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