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第一篇
82.現天皇・夜光 3
しおりを挟む深碧館まで戻る籠の中で、翠月は未だ緊張したままのようで、膝の上で手を握りしめている。震えてはいないが、気にかかる。
「翠月、平気か?」
「はい、何も…。緑翠さまがニンゲンとの混血だったことに驚いているだけです」
「伝え忘れていたようだ。すまない」
「いえ……」
「何故、それを伝え忘れたのだろうな」
「え? 私の知るところでは…」
「翠月は知らなくて当然だろう。俺の考えだ、読まれても困る」
そう言って笑ってみるも、翠月の表情は変わらない。余程、衝撃だったのだろう。
「翠月には、それを一番に話すべきだった。こんな折になるなんて」
「このまま知らずに過ごすよりはよかったです」
「…そうか」
あの話をした時は、緑翠は皇家の屋敷から帰ったところで、翠月も睡眠不足で弱っていた。だからといって、ニンゲンとの混血であることを話しそびれるだろうか。緑翠の妖力で守っていかなければならないことも、翠月がニンゲンであるがゆえに、考えることだ。
(翠月の体調に気を取られた……?)
考えつつしばらく籠で揺れていても、翠月の様子は変わらない。他に翠月を乱す物は、何があるだろう。
「…夜光さまと会うのは俺も初めてだった」
「代理を務めているのに?」
「ああ。翠月は初めて会った夜光さまをどう思った?」
「高位の方すぎて、圧というか…」
「国で一番偉い御方だ、あれくらいの威圧感は必要だろう。位的には俺が二番手だが?」
「う…、床の話が出たこともびっくりしました」
翠月から改めてその話題が出て、思わず顔をしかめてしまう。
「…翠月と床を同じくするのは絶対に許可できない。翠月は座敷でも床まで進んだことはないだろう?」
「はい」
「それで御客が満足する、見世が成立している。わざわざそれ以上のことをする必要はない」
「…はい」
納得のできていなさそうな翠月を引き寄せ、簪に口を寄せた。芸者として床を望むのも分かっているが、緑翠はそれを許可できない。それが、楼主としてではないのは、もう伝わっているだろうか。
ニンゲンとの子が天皇家に生まれることなど、あってはならない。ニンゲンである翠月が妖の妃になど、なるはずがない。最高位貴族の皇家に混血が生まれただけでも、あの騒ぎだ。夜光はああ言いつつも、誰よりも一番知っている。
(俺の本気を確かめたとしか…)
緑翠は自身の経験もあり、翠月も無理に貫かれていると思うと、翠月を床に誘えず、未だ踏み出せずにいた。手を触れ口を寄せることには、翠月も慣れただろう。翠月を妖力から回復させるために刺激した時は勃っていたし、緑翠の準備は問題ないはずだ。
妖力に当てられる懸念もあって、早い方がいいのは分かっている。意識のある状態の翠月に、受け入れられるかどうかが、最大の心配事だった。
*
「緑翠さま」
「ん」
「緊張なさっているところですか」
朧が書斎に入ってきた。緑翠は今、左手首の組紐に触れているところだった。再び、邪魔をされたくない折に朧はやってきた。その言葉から、何をしようとしているのか、知られているのも分かった。
「…用件は?」
「あの近侍と、無事に会えました。変わらず話はできなかったのですが、手紙を預かっています。お渡しだけ」
「返事は?」
「内容次第で。もし必要があれば、私が手渡します。ただ、翠月さまとの関係を先に」
「……ああ」
当然だろう。翠月がこちらの世界で守られるために、緑翠は翠月と共寝をしなければならない。見かけ上はそう言うが、裏家業としての義務など、ないに近い。緑翠は、男として、翠月を欲している。
陽が落ちる頃、飛脚によって届いた夜光からの便りに、緑翠を皇家当主として、そして翠月を妻として認めることの両方が記されていた。改めて、覚悟を決める。翠月にも、正式に夜光に認められ、他の高位貴族にも通達されたことを見世の前に伝えた。
*
番台に立って受付を済ませる御客を眺めていると、すっかり緑翠と翠月の関係は広まっているのが感じられた。「釣り合わぬは不縁の基」「縁の目には霧が降る」「合わせ物は離れ物」など、最高位貴族の婚姻だというのに、様々言い例えて揶揄する御客が多い。不敬だとは思うが、深碧館は廓で、多少許される部分も残す必要がある。
翠月には耳馴染がないのか、見世の合間に顔を合わせると座敷で聞いた言葉の意味を聞いてきた。隠してもいずれ知られてしまうだろうと、由来となった話を聞かせたが、翠月の表情に変化はなかった。ただ、緑翠には、少なからず翠月が哀しんでいるような気がした。
深碧館の働き手たちは、紅玉宮の芸者を除いて好意的だ。翠月がニンゲンであることは疑いようのない事実だが、それを皆が受け入れて生活を送っている。少なくとも、翠玉宮と黄玉宮の往復であれば、翠月は守られるだろう。
翠月は黄玉宮で見世を続ける。特別な仕事が増えると言えば、商談の折に同席する可能性があるくらいだろうか。
翠月が、御客としての妖以外にも会うかもしれない。商談に来る御客は、身請けを考えている者で、基本的には深碧館のことをよく理解しているが、たまに常識外れな交渉を持ちかけてくる御客もいる。自ら考えられる翠月には、危機察知にも気を配るよう言い聞かせる必要がある。芸者として最年少なことに、変わりはないのだ。
(翠月は、好奇で動くこともまだ多いからな…)
*
見世終わりの見回りと寝支度を終え、寝間に戻る前に、緑翠は書斎で艶本を見ていた。翠月に対して迷いは消え、妖力の受け渡しのために抱いておきたい。それだけの思いで、ここまで下半身に集まる熱を説明できているとは思えなかった。
(やはり、翠月は俺を惑わせる)
そう確信し、緑翠はひとり納得し口を緩めた。
翠月は元の名を翡翠と言うが、その名を呼ぶことはできない。姉と同じ名であると同時に、宝石名だからだ。だからといって、《翠月》は偽名である。深碧館の御客ですら、翠月と呼ぶ。
(何か、別の…、俺だけが呼べる名が欲しい)
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