妖からの守り方

垣崎 奏

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第一篇

78.好かれた柳 2

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 見回りと風呂を終え寝間に入ると、珍しく疲れた表情で日記をつけている翠月がいた。姫初めで黄玉宮から戻るのが遅かったのだろうが、久々まともに顔を合わせ、あえて露台に誘った。

 新年というきっかけを借りて、伝えたいことがある。板張りの上で月が見えるように後ろから抱え、胡座の上に膝を立てて座らせる。触れるほどに近づくのは、いつ振りだろう。翠月は、抵抗しなかった。触れられたくなければ、抜け出すこともできるはずだ。

「月が綺麗だな」
「……そうですね」

 揺れていない月を見ながら翠月が作ったその間が、緑翠を脱力させた。何故、深夜にここへ誘ったのか、翠月は分かっていない。

「翠月」
「はい、緑翠さま」

 膝の上に重ねられた翠月の手に、緑翠も手を置く。

「俺の、内儀にならないか?」
「内儀……」
「楼主の妻だ。皆の話題になっているだろう?」
「……」

 ここまで分かりやすく固まるのを、見たことがなかった。翠月が妖力に当たってから、緑翠は故意に距離を縮め、簪も与え、緑翠が翠月を囲っていると自覚させるような動きをしてきた。

 おそらく、伝わっていなかったから、翠月は離れた。翠月も同じように考えていると信じたかったのは、緑翠の恣意だ。言葉では、ひとつも確認していない。

 そして今、またこの距離を許されている。嫌われているというよりは、変わった緑翠の態度に戸惑っていると、思いたかった。緑翠の推測であり、希望だ。

「皇との因縁も蹴りがついたし、俺も身を固める準備ができた。相手は、翠月がいい」
「……」

 翠月が、一瞬緑翠を見たが、すぐに目を外した。思わず、重ねた手に力が入った。何を考えているのだろう。心が揺れているとしても、ここで視るのは卑怯だろう。

 緑翠も、この決心をするまでには時間がかかり、心も揺れ続けていた。同じように翠月が動揺しても、不思議ではない。むしろ、この判断をしなければならないのは酷だろう。翠月は、緑翠よりも随分と年下だ。それでも、分かってくれると期待できるほどに、聡い。

(翠月は芸者で、俺は楼主。それ以前に、ニンゲンと、妖だ)

「…困るか?」
「……見世で、御客が『娘を』と言っていました。妖ならまだしも、人間ニンゲンの私が、とは…」
「翠月」

 緑翠の声で振り返った翠月の唇に手を添え、口を寄せた。目を開けて映った、驚きに見開いた翠色の瞳に、緑翠は微笑んだ。

「何か、感じないか?」
「……あったかいです」
「それが、証拠だ。俺が気を許していないと、その感覚は与えられない。妖力の受け渡しを伴っているから」

 細くて小柄な翠月の腹に手を回し、抱き締める。背中側からではあるが、肩に顔を埋めれば、翠月の匂いしかしなくなる。翠月は、ここに来てから、少しふっくらしたような気もする。より、着物が似合うようになった。

 表情が見えなくなってしまったが、明確に伝えておく必要がある。

「俺は妖で楼主、翠月はニンゲンで芸者だ。翠月を守る手段として、共寝は避けられない。ニンゲンは、妖なら誰とでもできるわけではない。俺は妖で、床に関して他の相手を選べるが、この距離を保ちたいと思うのは翠月だけだ」

 自らの感情に気付いてから、そこまで時が経ったわけではない。正式に皇家当主と認められ、高位貴族や夜光から身を固めるように言われる前に、緑翠が自ら心を決められてよかったとさえ思う。

 朧や宮番の手を借りずに、ひとりで決断したことは多くない。翠月を内儀にすることも、姉の応援があったから言えることだ。当然、楼主として最終判断を下すことはあるが、それは事前に情報を集めてもらっている。今回のように、緑翠が感情で判断することは、相当に稀だった。

(俺が心を決められていれば、翠月は妖力に当たらずに済んだかもしれない)

 もし、翠月を黒系宮配属にしていれば、月白か烏夜が仕事として貫くことになったはずだ。敵意のある妖力でなければ、受け渡しは成立すると考えていいのだろう。ただし、相愛関係にある方が難易度は下がる。床は、元々それを確かめるためにあるのだから。

「……脅すようですまない。翠月に妖力を渡せるのは俺だけだ。どうしても、嫌な理由はあるか?」

 腕の力を緩めると、振り返った翠月と目が合った。小さく首を横に振る翠月に、心底安堵した。抱き寄せているから、緑翠が大きく息を吐いたのも感じられただろう。

「…何か、今までと変わりますか」
「俺たちの間は何も変わらない。だが周知したら、芸者も御客も、俺たちに向ける目は変わるだろうな」
「……」

 翠月が何か言葉を探しているのは分かるが、拒否権もない。身請けですら、双方の同意を求めるが、翠月はニンゲンで、生きていくには緑翠からの妖力の受け渡しが絶対に必要だ。

 緑翠が一方的に組み敷いてしまえば、受け渡しは成立してしまう。翠月がどう思っているかは、緑翠が知っても知らなくても、関係がない。

(当然、知りたいとは思うが、どう声を掛けても、言わせてしまうだろうな…)

「翠月、これからも俺のそばに居てくれるか?」
「…はい、緑翠さま」

 額に口を寄せる。頬から唇へ。拒否せず受け入れてくれることが、翠月の好意だと見ていいのだろうか。ずっと啄んでいたくなるが、姫初めの時期で、夜も深い。

「何か困れば、絶対に話してくれ」
「かしこまりました」
「ふたりのときは砕けてもいい。天月と話すように」

 再び目を開く翠月に、緑翠は笑い、再度腕に力を込めた。
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