妖からの守り方

垣崎 奏

文字の大きさ
上 下
79 / 120
第一篇

78.好かれた柳 2

しおりを挟む
 
 見回りと風呂を終え寝間に入ると、珍しく疲れた表情で日記をつけている翠月がいた。姫初めで黄玉宮から戻るのが遅かったのだろうが、久々まともに顔を合わせ、あえて露台に誘った。

 新年というきっかけを借りて、伝えたいことがある。板張りの上で月が見えるように後ろから抱え、胡座の上に膝を立てて座らせる。触れるほどに近づくのは、いつ振りだろう。翠月は、抵抗しなかった。触れられたくなければ、抜け出すこともできるはずだ。

「月が綺麗だな」
「……そうですね」

 揺れていない月を見ながら翠月が作ったその間が、緑翠を脱力させた。何故、深夜にここへ誘ったのか、翠月は分かっていない。

「翠月」
「はい、緑翠さま」

 膝の上に重ねられた翠月の手に、緑翠も手を置く。

「俺の、内儀にならないか?」
「内儀……」
「楼主の妻だ。皆の話題になっているだろう?」
「……」

 ここまで分かりやすく固まるのを、見たことがなかった。翠月が妖力に当たってから、緑翠は故意に距離を縮め、簪も与え、緑翠が翠月を囲っていると自覚させるような動きをしてきた。

 おそらく、伝わっていなかったから、翠月は離れた。翠月も同じように考えていると信じたかったのは、緑翠の恣意だ。言葉では、ひとつも確認していない。

 そして今、またこの距離を許されている。嫌われているというよりは、変わった緑翠の態度に戸惑っていると、思いたかった。緑翠の推測であり、希望だ。

「皇との因縁も蹴りがついたし、俺も身を固める準備ができた。相手は、翠月がいい」
「……」

 翠月が、一瞬緑翠を見たが、すぐに目を外した。思わず、重ねた手に力が入った。何を考えているのだろう。心が揺れているとしても、ここで視るのは卑怯だろう。

 緑翠も、この決心をするまでには時間がかかり、心も揺れ続けていた。同じように翠月が動揺しても、不思議ではない。むしろ、この判断をしなければならないのは酷だろう。翠月は、緑翠よりも随分と年下だ。それでも、分かってくれると期待できるほどに、聡い。

(翠月は芸者で、俺は楼主。それ以前に、ニンゲンと、妖だ)

「…困るか?」
「……見世で、御客が『娘を』と言っていました。妖ならまだしも、人間ニンゲンの私が、とは…」
「翠月」

 緑翠の声で振り返った翠月の唇に手を添え、口を寄せた。目を開けて映った、驚きに見開いた翠色の瞳に、緑翠は微笑んだ。

「何か、感じないか?」
「……あったかいです」
「それが、証拠だ。俺が気を許していないと、その感覚は与えられない。妖力の受け渡しを伴っているから」

 細くて小柄な翠月の腹に手を回し、抱き締める。背中側からではあるが、肩に顔を埋めれば、翠月の匂いしかしなくなる。翠月は、ここに来てから、少しふっくらしたような気もする。より、着物が似合うようになった。

 表情が見えなくなってしまったが、明確に伝えておく必要がある。

「俺は妖で楼主、翠月はニンゲンで芸者だ。翠月を守る手段として、共寝は避けられない。ニンゲンは、妖なら誰とでもできるわけではない。俺は妖で、床に関して他の相手を選べるが、この距離を保ちたいと思うのは翠月だけだ」

 自らの感情に気付いてから、そこまで時が経ったわけではない。正式に皇家当主と認められ、高位貴族や夜光から身を固めるように言われる前に、緑翠が自ら心を決められてよかったとさえ思う。

 朧や宮番の手を借りずに、ひとりで決断したことは多くない。翠月を内儀にすることも、姉の応援があったから言えることだ。当然、楼主として最終判断を下すことはあるが、それは事前に情報を集めてもらっている。今回のように、緑翠が感情で判断することは、相当に稀だった。

(俺が心を決められていれば、翠月は妖力に当たらずに済んだかもしれない)

 もし、翠月を黒系宮配属にしていれば、月白か烏夜が仕事として貫くことになったはずだ。敵意のある妖力でなければ、受け渡しは成立すると考えていいのだろう。ただし、相愛関係にある方が難易度は下がる。床は、元々それを確かめるためにあるのだから。

「……脅すようですまない。翠月に妖力を渡せるのは俺だけだ。どうしても、嫌な理由はあるか?」

 腕の力を緩めると、振り返った翠月と目が合った。小さく首を横に振る翠月に、心底安堵した。抱き寄せているから、緑翠が大きく息を吐いたのも感じられただろう。

「…何か、今までと変わりますか」
「俺たちの間は何も変わらない。だが周知したら、芸者も御客も、俺たちに向ける目は変わるだろうな」
「……」

 翠月が何か言葉を探しているのは分かるが、拒否権もない。身請けですら、双方の同意を求めるが、翠月はニンゲンで、生きていくには緑翠からの妖力の受け渡しが絶対に必要だ。

 緑翠が一方的に組み敷いてしまえば、受け渡しは成立してしまう。翠月がどう思っているかは、緑翠が知っても知らなくても、関係がない。

(当然、知りたいとは思うが、どう声を掛けても、言わせてしまうだろうな…)

「翠月、これからも俺のそばに居てくれるか?」
「…はい、緑翠さま」

 額に口を寄せる。頬から唇へ。拒否せず受け入れてくれることが、翠月の好意だと見ていいのだろうか。ずっと啄んでいたくなるが、姫初めの時期で、夜も深い。

「何か困れば、絶対に話してくれ」
「かしこまりました」
「ふたりのときは砕けてもいい。天月と話すように」

 再び目を開く翠月に、緑翠は笑い、再度腕に力を込めた。
しおりを挟む
お読みくださいましてありがとうございます
    ☆読了送信フォーム
選択式です!気軽な感想お待ちしております!

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

ハイスペック上司からのドSな溺愛

鳴宮鶉子
恋愛
ハイスペック上司からのドSな溺愛

今日の授業は保健体育

にのみや朱乃
恋愛
(性的描写あり) 僕は家庭教師として、高校三年生のユキの家に行った。 その日はちょうどユキ以外には誰もいなかった。 ユキは勉強したくない、科目を変えようと言う。ユキが提案した科目とは。

とある高校の淫らで背徳的な日常

神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。 クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。 後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。 ノクターンとかにもある お気に入りをしてくれると喜ぶ。 感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。 してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

自習室の机の下で。

カゲ
恋愛
とある自習室の机の下での話。

処理中です...