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第一篇
70.十年前 1
しおりを挟む朧と、翠玉宮の書斎にふたりきりだ。翠月は、この時刻ならまだ座敷にいるため、緑翠が呼んだ。翠月の寝間での様子がおかしいのは気になるが、見世は普段通りこなしているらしい。黎明からも、気になる報告は上がっていない。
「……俺の過去を全て知っていても、翠月を内儀へ?」
「不安ですか」
「まあ」
「翠月さまを追う目だけは、全く異なっていますので。付け加えるのなら、幼い頃に翡翠さまを追っていた目と同じですよ」
緑翠が息を止めてしまうほど、自覚のない仕草だった。皇家の屋敷にいた頃からずっと側で緑翠を見ていた朧だからこそ、気付いていたのだろう。
「…深碧館に来てすぐ、まだ若かった緑翠さまは謀った芸者に座敷へ誘われ、楼主という立場上、芸者を傷つけられず、床に連れ込まれてしまった後はすぐに芸者を黒曜宮へ、それでも真似をし翠玉宮へ入りこもうとした芸者もたくさんいました。この宮全体と寝間に結界をかけて、それ以降は守られましたが……、そのように、芸者を遠ざけた貴方さまが……」
目頭を押さえる朧から、目を逸らした。あまり、思い出したい記憶ではない。あの経験も、今では活かされていると考えるべきだ。そうでなければ、緑翠が深碧館をここまで立て直すことはできていなかっただろう。
「齢十五でそのような経験をされ、この女性ばかりの廓から逃げ出さずに、立ち直られた。いきなり皇の妖として表に立たされ継がされたと思えば、年長の芸者に言い寄られ逃げられなかったのですから」
十年経った今でこそ、胸を張って楼主と名乗れる。移り住んだ頃の深碧館は、酷い在り様だった。
「そんな貴方さまが、思うところも多いでしょう、ニンゲンの女性を初日から翠玉宮に連れ込むなんて。保護は当然、夜光さまに認められた裏家業ですから、やらなければならない義務があります。それ以外にも何かお感じになったのでしょう? 幼い頃から知る私は、貴方さまがひとりの女性をお決めになったことが、嬉しくて仕方ありません。翠月さまも、無理に貫かれていますから、傍で癒せるとしたら貴方さまでしょう。皇家次期当主は、誰が何と言おうと緑翠さまですよ」
「……」
***
「……初めてお目にかかる。本日より深碧館の楼主となる、皇 緑翠と言う。皆の衆、よろしく頼もう」
「皇に、男児が?」
「ちゃんと宝石の名前持ちだ」
「まだ幼い、深碧館も落ちたな」
「今まで見たことがないぞ?」
「先々代は先代をここで育てていたが、先代の子、当代は…」
「いたのは女児じゃなかったか」
「男児は赤ん坊の頃に処刑されただろう?」
「そうそう、先代は女の妖ばかりの廓が嫌いで、鬱憤晴らしにニンゲンを孕ませたっていう…」
「それで先々代は、息子も孫もニンゲンも処刑。皇って家は怖いね」
「ならあの男児は養子か」
「そうだろうな、分家の子か?」
噂は、どんどんと広がっていく。緑翠に聞こえていないと思い込んだまま、深碧館の御客たちが好き放題に話していて、多少事実と異なって伝わるのも当然の結果だろう。
「おやおや、何の騒ぎですかな」
「柘榴さま! 深碧館の楼主が代替わりを」
「ほう……、皇に男児がいたのだな。そのうち息子も来させるつもりだ。よろしく頼む」
「どうぞ御贔屓に」
緑翠は、楼主として堂々と立っていればいいと朧から聞いていた。七歳以降、皇家の屋敷から出た事がなく、下町の風景は緑翠の興味をそそった。反対に、御客には面前にも関わらず意識が向かず、会釈を返す程度だった。
***
初めて深碧館の正面に立った緑翠をかばった、明らかに貴族に見えたあの男。当時、御客を覚えることに気が向いておらず宝石を確認する癖がなかったが、おそらく今は表で取引のある柘榴の父だろう。宝石の名前は多くないし、親子で同名でも、おかしくはない。思い起こせば、立ち姿や雰囲気が似ている。
あの男が「皇に男児がいた」と言ったから、あの場が鎮まった。緑翠が皇家だと、一旦は皆が受け入れた。
年齢の割に背が低く身体の小さかった緑翠は、見た目でまだ幼いからと、舐められ続けてもおかしくなかった。ゆえに、成長して御客として深碧館に来るようになったあの男の息子は、実際に顔を合わせた緑翠を疑った。
継いだ時には、とても今のような最高級館と呼べる場所ではなかった。他の廓と同じく借金を手玉に、芸者がやりたくもない見世をやらせる廓だった。統制が取れておらず皆が皆、勝手気ままで、芸者が楼主に対してああいった事を起こせてしまう環境だった。
(……そういえばあの夢も、翠月と隣り合わせで眠るようになってから、見なくなった)
代替わりの時と同様に、台詞も覚えているくらい、具体的なものだ。実際に起きたことが、悪夢として蘇る。
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