妖からの守り方

垣崎 奏

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第一篇

66.翠月の夢見 2

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「はよ」
「……おはようございます、緑翠さま」
「気分はどうだ?」

 普段通り先に起床し、朝の仕事をこなした後、寝間に戻って翠月が目を覚ますのを待っていた。緑翠が不在にしていた間よりはぐっすり眠れているといいが、翠月に聞かないことには分からない。頭を振りながら身体を起こす翠月を支え、緑翠の胡座の上に小さな身体を収めた。普段なら、緑翠を覗き込む翠月も、今朝は目線を下げたままだ。

「何を、思い詰めている? 上手く眠れていなかったのだろう?」

 抱き締めようかとも思ったが、少しでも表情が見える方がいい。顎を上げさせ顔を見ると翠月は涙目で、うろたえてしまった。

(ここまで心を揺らすもの…、一体、俺が離れた間に何があった?)

「……緑翠さまがいない間、妖力に当てられた時と同じ夢を見ました」
「どんな夢か、話せるか?」

 当てられていた際に夢を見ていたことも初めて耳にしたが、それよりも内容が気になった。その夢が、翠月を苦しめているのだろう。翠月が目を瞑って、緑翠を真っ直ぐ見てから、口を開いた。

「……男の子と私が楽しそうに手を繋いで、走り回っていたかと思えば、火に囲まれて燃えていく……」

 頬に手を添え、流れる涙を消してやる。緑翠は、身体を固くしないように、ゆっくりと息を吐いた。思い当たる場面があるが、何故それを、翠月が見るのか。

「…何度も夢に出てくる男の子は、緑翠さまと同じ淡い緑色の瞳と銀髪を持っていました」

(俺の、妖力に触れているからか…?)

 翠月は、その夢の正体を知りたいと思っているのだろうか。皇家との関係はもう考えずに済む。緑翠は、自らの好きに生涯の相手である内儀ないぎを選べる。目の前にいる翠月ニンゲンには、明かしても構わない話だ。

「…翠月が見たその夢は、現実にあったものだ。俺の身の上話になるが、聞くか?」
「聞いても、いいのなら」

 翠月を寝かせ、布団を掛け直してやる。緑翠も掛け布団の上から隣に寝転び、腰のあたりに手を置く。

「辛ければ、目を閉じて眠ってしまってもいい。妖力に当たった時以外は、俺がいればその夢を見なかったのだろう?」
「はい」

 緑翠から目を逸らさない翠月の額に、また口を寄せてしまう。緑翠にとって過去の一部ではあるが、つい先日やっと決別できたことでもあり、他の誰かに話す経験は初めてだ。翠月がいたから、その決断ができたと言っていい。遅かれ早かれ、翠月には聞いて欲しいと思っていた。

「…俺が七つの時の話だ。屋敷の者に内緒で、姉さまとふたりで下町に出て、攫われた。当時は高位貴族の皇家の子として恥ずかしくないように、俺も高価な着物を身に着けていたから、身分が高位なことは分かりやすかったし、従者もつけていなければ狙われて当然だろう」

 翠月は、緑翠の過去をどのような心持ちで聞くのだろうかと、視たくなるのを抑える。おそらく、翠月が緑翠の過去を夢に見るのは、緑翠からの妖力の受け渡しのせいだが、天月や宵からそのような話は聞いたことがない。緑翠の立場や過去が特殊だからと、考えるのが妥当だろう。

「その時の俺は、姉さまが妖力に当たりやすいことを知らなかった。輩に攻撃されたその場で身動きが取れなくなって、小屋に閉じ込められた」

 言葉にしてすぐ、緑翠は後悔した。翠月も、小屋に閉じ込められた経験がある。翠月自身は目にしていないにしても、天月を思うと軽く口に出していい内容ではなかった。翠月に変化が見られないのが救いか。

「妖同士でも妖力に?」
「…ああ、妖の中でも妖力の差で圧倒されることはある。姉さまは、多くを持ってはいなかった。気絶することは滅多にないし、妖力を全く扱えないニンゲンが一番弱いのは変わらない」

 翠月の手を握る。妖力で、相手を服従させることができると知ったら、怖がるだろうか。翠月のことだ、現状ニンゲンである翠月や天月が緑翠と服従関係にないし、ふたりに向けられた言葉ではないと悟るだろう。

「その時、辛そうな姉さまをどうにかしたくて近づいたら、姉さまの妖力を奪ってしまった」
「え?」

 翠月の唇に指を当て、何が起きたのかを想像させた。血縁関係の近い者との口付けは、発情期処理のために行っている場合もあるが、貴族の中では禁忌として扱われ表には出ない。深碧館の中だけであれば、緑翠の権限で例外を認めてやることもあるが、その実態を知る者は少ないだろう。

 あの時緑翠が伸ばした手を、思惑通りに姉は取ってくれた。予想外だったのは、それを姉が引いて、唇同士が触れるように仕向け、口寄せたことだ。

「俺は妖力を使って、燃える小屋から姉さまと脱出した。姉さまは、俺に輩を倒してほしくて、俺の扱える妖力を強めるために故意にその手段を取ったと、今では分かる。だが、本家の妖はそう思わなかった。俺が姉さまを唆し下町へと陥れ、危険な目に遭わせた上、元に戻らない程に妖力を消費させたと。俺は妾の子で、本家はずっと追い出す理由を探してたからな。姉さまとはそれ以来会わせてもらえなかった」
「それ以来…?」
「十八年になるな」

 翠月の一生よりも長い年月だ。混乱している様子の翠月を撫でながら、整理する間を少し与え、続きを話す。

「……ただでさえ少なかった姉さまの妖力を俺が奪った後、姉さまは本家から必要のない妖として扱いを受けた。体力的にも外には出られず、嫁げなかった。本家も妖力の低い者には皇家を継がせられず、十年前に俺がこの廓を継承したことで、実質の後継が決まった」

 それが、高位貴族として生を受けた者の運命だ。自らの意思は関係なく、どの家に生まれたかでどう立ち居振る舞うのか、決まってしまう。

 皇家として認められなかったのは、姉も同じだ。姉との事件時、緑翠が七歳、姉は十歳だった。当主に返った祖父が新しく子を儲けられなかったのなら、後継が緑翠になることは暗黙の了解だったとしてもおかしくない。

 緑翠が深碧館を継いだ十年前の時点で、姉は十八。貴族の娘なら、嫁ぎ先の目処は立っていなければならなかった。ゆえに、十五の緑翠が廓を継ぐことになった。

「…今回、寝たきりだった姉さまを看取ってきた」
「っ、え…?」
「深碧館から離れたのは、そのためだ。本家からの呼び出しなんて、ずっと断っていたが、姉さまが関わっていたから無視できなかった。姉さまが亡くなったことで、正式に後継の座が俺に回った」

 翠月の額にまた、口を寄せる。分かりやすく表情を変える姉や天月と違って、翠月は微妙な動きしか見せない。近くで触れ合うようになってからは、その感情を妖力なしでも読めている気がして、翠月の様子を見て騒がしかった緑翠の心が、落ち着きを取り戻していく。

 姉との決別は、翠月との将来を意味する。進んで良いと、やはり言われている。
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