妖からの守り方

垣崎 奏

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第一篇

64.気にかかる近侍

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 奥の間で伸びている現当主とその側近を放置し、緑翠は廊下に出た。久々の実家への帰省が日帰りになるわけがなく、寝泊まりのために、緑翠が深碧館に移るまで使っていた離れが用意されているはずだが、どちらに行けば辿り着くのかは覚えていなかった。

 朧の妖力を追おうにも、おそらく朧自身が隠しているのだろう、上手く探れない。緑翠がやろうとすることを、皇家もやろうとするだろうから、朧のその判断は正しい。自力で進むのを諦めて、誰かに声をかけようと目に入ったのは、あの近侍だ。

「お前、離れの位置は分かるか」

 緑翠の問いに頷き、歩き始めた近侍を追って進む。目に入った明らかに手入れがされていない裏庭には、見覚えがあった。緑翠が本邸に足を踏み入れたのはほんの数回で、姉の側仕えが来る以外は、朧とふたり、離れで生活を送っていた。

 離れに足を踏み入れると朧が居て、どうやら寝泊まりができるように、整えてくれたようだ。戻った緑翠を見て、「お茶をお持ちします」と、近侍を伴って出ていった。おそらく、近侍が先に毒見をして持ってくるのだろう。実家では、口にするものにも気をつける必要がある。ここは、緑翠にとっては敵意しかなく、それは皇家側も同様だ。


 結界を張ってしまえば、内部に仕組まれた妖力は上掛けされるため、外部からの侵入も不可能になる。緑翠は、朧と近侍だけが通り抜けられるように、離れの建物全体に結界を張った後、内部を少し見て回った。懐かしいかと聞かれれば、肯定する。ただ、良い思い出があるかと言えば、そうではない。

 この建物から出なかったことで、緑翠は皇家の憎悪から逃げられていた。その間、本邸に住んでいた姉が、背負ってくれていた。緑翠がこの屋敷から深碧館に移って、姿を見せなくなってからの方が酷かったことも、今日の会話で感じ取れた。


 とっくに捨てられていると思っていた、緑翠が幼い頃によく読んでいた本も、書斎に残っていた。朧や姉の側仕えに仲介を頼み、本に手紙を挟んで、姉と交換していた。会えない日々を、それで補っていた。手紙自体は見つからないよう、返事を書いてすぐに燃やした。姉との思い出の品は、深碧館に置いてあるあの写真のみだ。

 この本だけでも深碧館に持ち帰ることができるように、近くにあった籠にまとめようと手を伸ばすと、その中には見覚えのある玩具が入っていた。蓋がされていて、埃を被ることも色褪せることもなく、記憶のままだった。

「……残っているなんて、驚きですね」
「朧」
「こちら、毒見も済んでいます。お疲れ様でした」
「ああ」

 一度台所へ寄った朧には、もうこの屋敷で何が起きたのか、耳に入っているだろう。現当主に印を残したことも、知っているはずだ。

 離れは寝間と書斎、風呂があるのみで、台所は本邸にしかない。よって、翠玉宮に住み始めてからも食堂が遠いことに違和感はなかった。それに、温めたければ妖力を使えばいい。離れにも結界はあるが、今も昔も緑翠自身が結界を掛けてしまえば、内部の妖力は外部に漏れない。

 緑翠が次期当主として動くことになり、朧は楼主代理としてだけでなく、側近としての動きもしなければならなくなった。深碧館に戻れば侍女たちが身の回りの世話をしてくれるが、この屋敷にいる間は朧が担当するのだろう。働き手の全員が、祖父の服従を受けている。緑翠に仕えたいと思う者はいないはずだ。


 *


 その日の夜の風呂や食事など、長く皇家の屋敷で生活していない緑翠と朧にとっては不自由な面も多いだろうと予想していた。意外なことに、初めに当主の元へ緑翠を案内したあの近侍が、他の働き手や一族の目を掻い潜りながら、緑翠の妖力での支配なしで朧と共に世話を焼いてくれた。夕食の盆を下げに来た近侍に、「話す時間はあるか」と聞くと、少し考えるように顎に手を置いてから、頷いた。

「見つからないように、動いてくれているのだな?」

 この近侍は、何故か緑翠に仕えられている。この屋敷にいる働き手は全員、祖父の妖力による服従を受けているはずで、この近侍は例外なのだ。緑翠の質問に頷いた近侍に、さらに問いかける。

「お前、名は?」

 答えられないのか、首を横に振る。緑翠が話しかけてからというもの、近侍が口を開くことはない。声を聞いたのは、当主である祖父に向かって、緑翠の到着を伝えたあの時だけだ。

「俺とは話せないのか?」

 この質問に、近侍は答えない。心を視ても、何も揺れていない。近侍の意思ではなく、祖父の妖力によって会話ができないと考える方が自然だろう。それでも、緑翠に仕えられるのは何故か。他の働き手は、緑翠に近づこうともしない。

「…俺は、姉さまの葬儀を終えればすぐに深碧館へ戻る。妖力での服従が中途半端で自我の残るお前は、ここにいても報われないだろう」

 連れ帰ることもできると、服従から逃れられる選択を示しても変わらず、近侍の心に揺れは見えない。何故、緑翠に仕えることに関しては服従を躱せているのだろう。

「ここを出られない理由があるな? 気にかけておくから、何かあれば便りを出すといい。俺からの連絡は皇に探知される。できるな?」

 近侍が頷いたのを見て、緑翠は少し安心した。あえて、言葉の途中で近侍の意思を聞くことはしなかった。この近侍がここを出られない理由を聞いたところで、意思疎通は頭の振れる方向と表情のみだ。緑翠が誘導する会話しかできない。

「他にも自我の残った、お前のような働き手はいるのか?」

 思った通り、近侍は首を横に振る。何故、この近侍だけが緑翠の味方をするのだろう。皇家の屋敷で近侍として働く妖が、緑翠に反抗しない。この屋敷で働く妖としては、異端だ。

(もしや…)

「…お前、姉さまの側仕えだったのか?」

 緑翠は、唇を噛み締める近侍を目にすることになった。おそらく、緑翠がこの屋敷に訪れれば姉が亡くなることを、聞かされていたのではないか。そう思えるほど、悔しそうな表情だ。

「…そうか、今までご苦労だった。俺には朧がいるし、無理はしなくていい。辛いなら、寝間に戻っていい」

 そう伝えても、近侍は再び、首を横に振った。この近侍が姉に恩を感じているのなら、姉が生きる選択を奪った緑翠に仕えるのは、相応の覚悟がないと難しいだろう。変わらず心を揺らさない近侍は、姉から、緑翠の滞在を支えるようにでも言われたのだろうか。

「分かった。明日以降、姉さまの見送りの準備を手伝ってもらえるか」

 近侍が頷き、頭を下げて出て行った。少し駆けていくような足音が聞こえ、引き留めすぎたと後悔した。あの近侍は、一族や他の働き手に勘づかれずに離れへ来る。生前の姉のことなど聞いてみたいことは浮かぶが、今日以上に話せる折は来ないのかもしれない。


 ***


 離れから近い門に馬車を回してもらい、深碧館に戻る準備をする。本と玩具の入った籠を運び込み、荷物を確認する。立ち会うのはあの近侍だけだ。

「俺の妖力を上掛けすれば、お前は自分の意思で動きやすくなるが、この家に仕え続けるには邪魔になるだろう。現当主が落ちて、俺が完全に継いだ折には、上掛けして名乗ってもらおうと思うが、構わないか」

 目を合わせて、頷いてくれた。その瞳は薄い緑で、期待で光っているようにも見える。姉がこの近侍を側に置いた理由も、分かった気がした。


 帰り道、行きと同じく朧とふたり、御者もいて、完全に防音なわけではないが、翠玉宮に戻っても、おそらく数日空けた分の仕事が積まれているだろう。落ち着いて話せるのはいつになるか分からないからこそ、朧は話しかけてきた。

「あの近侍、私の後継に如何でしょう」
「俺も、それを考えていた」

 働き手全員を服従から解き放ってしまうと、今までの恨みで攻撃されるだろうが、あの近侍は自我がある。おそらく、ある程度元気だった頃の姉が妖力を分けたのだろう。御者がいるため詳細な意見の共有はできないが、朧も考えていることは同様だった。

「皇家の後継指名や深碧館関連等、落ち着いた頃に一度話がしたいですね」
「ああ、機会を作ろう」
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