妖からの守り方

垣崎 奏

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第一篇

62.緑翠の姉 3

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 待機していたのだろう、先ほどと同じ近侍に連れられ、屋敷の奥へと進む。朧はすでに雑務処理に向かったのか、姿が見えなかった。緑翠と同時に深碧館に移り住んだ朧には、この屋敷に同僚もいたはずだ。挨拶など、行く暇を与えてもらえているだろうか。

(いや、そんなことをする相手はもう残っていないか)

 出迎えに来ていた働き手は若い者が中心だったが、年配の者も数名見かけた。緑翠にとって見覚えのある顔はいなかったが、朧にとっては異なるかもしれない。ただ、十年の時が経ったこの屋敷に、緑翠を好意的に迎える雰囲気は感じられなかった。それはきっと、朧にとって向けられるものも同じだろう。


 襖の前で、近侍が緑翠の方を振り返る。手で座敷を示し、会釈をして去っていった。緑翠と、会話を禁止されているのかと思うほどの不愛想だが、この屋敷内ではそれが、妖力によって当然のように行われている。

 もう一度、深呼吸を試みる。姉とは何年も会っていない。現在の姉が、緑翠の記憶と同じとは限らない。臥せているということは、皇に抵抗する考えを持つ妖なのは間違いないが、長年皇家で暮らすうちに、その偏った思考に多少なりとも飲まれている可能性を、捨てないでおく。

「…姉上、緑翠です」
「どうぞ、入って」

 か細い声を確認してから、緑翠は座敷へと入った。妖力が多すぎるため、緑翠自身が結界を張ることについて躊躇もあったが、誰かが近づいてきたことに勘づけないのは困る。布団に近づきながら、翠玉宮に張っているものよりも強めに、自身の妖力を張った。

「本当に、来てくれたの…、本物よね?」
「当然です」

 容姿の記憶は十八年前で止まっているが、幼い頃、姉が悲し気にしていると有無を言わさず緑翠が心を視ていたため、妖力でこの細い妖が姉だと確信できた。

 話すのも辛いのではないかと思うほどに痩せていて、結界を張ると同時に視た心は、緑翠が現れたことで激しく揺れていた。せっかく対面できたのだから、言葉を交わす以外にすることはない。もう先が長くないことは、姉自身が一番分かっているのだろう。

「お身体の具合は?」

 枕元に腰を下ろし、姉へ聞いた。妙な間が空く。何か思うところがあるのだろう。緑翠が来ることが分かっていたのであれば、容姿で判断ができたとしても、体調の確認をすることは予想できたはずだ。

「……ねえ、緑翠。貴方にしか、頼みたくないの」

 緑翠から視線を外し、逆方向へと頭を向ける。緑翠には姉の姿しか見えておらず、ここで初めて枕元に置いてある白布に気が付いた。

「っ、まさか」
「私の妖力を、全て奪って」
「そのようなこと…!」
「もう、この家で貴方の悪口を聞くのは嫌なの」

 身体を起こそうとする姉を、緑翠は手伝うしかなかった。無理をしてでも目を合わせやすいように、座りたがった。

「貴方は妖力も高くて、それを制御する倫理も持ち合わせているでしょう? 高い能力があって皇にとって利点しかないのに、貴方の母親がニンゲンで妾の子だからって…」
「姉上、落ち着いてください。僕は今更何も思いませんよ」

 姉は感情のまま、時折咳き込みながら話す。緑翠が妖力を使えば落ち着かせることもできるが、それでは妖力が重しになって話せなくなる。結局、緑翠の妖力は皇家の血縁と近いもので、この屋敷に溢れているものと似ている。緑翠が心を視たことも、姉には伝わっているだろう。

「妖力も貴方自身には全く問題ないじゃない。ひとつ問題だったのは父の貞操だったわけで。妖同士の夫婦でも、私みたく妖力の低い子が生まれることだってあるのに、貴方はその妖力を持ちながらずっと虐げられて…」
「…あまり興奮されると、お身体に障りますよ」

 緑翠はあえて、ゆっくりとした口調で話す。姉の体力の消耗を抑えた方がいいのは間違いない。姉ならきっと、感情的に話したいわけではない緑翠の感情を汲み取ってくれるだろう。故意に大きく息を吸いゆっくり吐き出してから、姉が再度口を開いた。

「……昔、貴方が分家の養子になるって話があったでしょう?」
「ええ」
「『混血でなければ考えたのに』って、聞いたことがあるの。妾の子でも、『純粋な妖であれば』って。人攫いをやる家だから、ニンゲンに対しては余計に厳しいのかもしれないけれど、同じひとつの命なのに」
「そうですね」

 考えても仕方がないことと、何年も前に諦めたことだ。緑翠の父は妖で、祖父から当主の座を継いだ。正妻は翡翠の母で、妖だ。緑翠の母は妾かつニンゲンで、子を宿せば皇家の火種となるのは明らかだった。最高位貴族である皇家が、奴隷として扱うニンゲンとの間に子を残すわけにはいかなかった。

 緑翠の誕生後、両親は失脚し、父に明け渡したはずの祖父が当主に戻った。その七年後には、翡翠と緑翠は引き離され、それ以来会えていなかった。

「貴方があの事件から今までずっと、私を覚えていてくれて、これからも背負おうとしているのは分かるけれど、もう長くないのも感じられるでしょう?」

 姉の心の揺れが、治った。それは、姉の決心がついたことを示す。緑翠は、覆そうとは思わなかった。

 姉も、皇家に振り回され苦しんだ。緑翠と会えたこの折に、最後の決断をしたのだろう。これだけの量の結界が張られた屋敷で、限られた妖力しか持たない姉ができることは、何もない。

「…もし今ここで、貴方に妖力を渡してもらっても、この家で言いなりになるだけ。どこかの家に嫁ぐとしても、もう年齢的にも妖力的にも手遅れなの」
「本当に、それで後悔しないのですね」

「ええ、最後に貴方と話せて、私は満足。一方的なお願いになってしまうけれど、大切なお相手はすでにいるようだし」
「……」
「身体に乗った匂いが感じ取れないほど、感覚は鈍ってないわ…。この家の妖は皆驕っているし、誰も気づきはしないでしょうけど」

 ここは皇家の屋敷で、こちらの世界でニンゲンの匂いに一番慣れている家だ。緑翠は当主と姉に会うことに気を取られ、ニンゲンの匂いに意識が向いていなかった。当主も全く触れてこなかったし、緑翠自身に変化はないと思っていた。膝の上で重ねていた右手をずらし、左手首に巻いた組紐に触れ、大きく息を吐いた。

「…私はもう、生きることに疲れたの。この家の言うことを聞く気はない。混血の貴方の未来は、余計に厳しいものになってしまうわね」
「覚悟、しています」
「何でも乗り越えてきた緑翠ですもの、今回も大丈夫よ」

 そう言いながら、姉が横になろうとする。緑翠は手を添え、布団を整えてやる。

「貴方と会えなくなって十八年…、長かったわ」
「僕もです、姉上」
「そう…。お相手を、しっかり守ってあげてね」
「はい」

 姉が再度、大きく息を吸って、ゆっくりと吐いた。布団から出てきた細い手に触れてやると、握り返してきた。

「ありがとう、緑翠」
「…こちらこそ、ありがとうございました。翡翠姉さまのお力、全ていただきます」

 目を瞑って微笑む姉に、緑翠は口を寄せた。身体中にあたたかい感覚が広がる。あの時と同じ、優しさを感じた。

 身体を離し姉の頬に触れると、冷たくなっていくのが分かる。白布を取り、穏やかに眠った顔にそっと被せた。

 緑翠が来ることにならなくても、姉がいつ亡くなってもおかしくない状態だったのは確かだろう。そうでなければ、本家の妖に対して生前から白布が用意されているわけがない。

 姉が生きる道が本当になかったのかと言えば、そうではない。深碧館に連れ帰り、共に生活する手段もあった。それを選べる心の余裕が、姉にはもうなかった。最後まで、緑翠は姉である翡翠を守り切れなかった。

 だが、今の緑翠が一番に守りたいのは、姉ではなくなっていた。「生まれ持った妖力と地位を、惜しみなく使いなさい」と、最後に背中を押された気がした。
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