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第一篇
59.夜光の代理 2
しおりを挟む手元にある湯呑から、ふと音のする方向に視線をやると、明らかに周囲とは違う服装の妖たちが歩いていた。その姿に、なんとなく見覚えがあるような気がした。
「…ねえ、天月。あれ緑翠さまじゃない? あの一番目立つ妖」
「ほんとだ、別の妖みたい…」
隣で聞いている朧も否定しない。深碧館では身に着けることのない白系の着物に、高さのある黒い帽子を被っている。
「髪は結ってるのかな。なびいてないもんね」
「綺麗な銀髪なのにもったいない」
「あの姿が貴族の正装です。特別な日にしか見せることを許されません。髪は伸ばしていることがすでに高位の証明ですよ」
「深碧館で見る、長髪の高位は柘榴さまくらいでしょうか?」
「そうですね、さすが一番手、他の宮のことでもご存知でしたか」
「話には聞くくらいで、詳しくは…」
楼主代理に褒められたからか、分かりやすく天月が照れている。孔雀との見世で褒められた時も、同じような表情をしていた。天月は意外と、恥ずかしがり屋だ。
「緑翠さまが正装を着られるのは、今のところ年に一度、この例祭の時だけです。神の使いとして、用意された物を身に着けて歩くだけだと、おっしゃっていたことがあります。おそらく、緑翠さまの意思は何もないのでしょう」
「なぜ、緑翠さまが夜光さまの代わりを?」
「夜光さまは一国の主です。下町に堂々と降りることはあり得ません。そのため、貴族の中で最も高位である皇家が、代理を務めます。あの方は、夜光さま以外の誰にも頭を下げてはいけないのですよ」
「そう、なんですか」
「緑翠さまの位について、聞いていませんでしたか?」
「いえ、聞いたことはあります。意識していなかったというか」
「翠月さまは、翠玉で寝間も同じですし、緑翠さまもそういった意識は望まれていないと思いますよ」
翠月も天月も、緑翠に頭を下げられたことがある。緑翠がそうしないといけなくなった事件が起きた時も、緑翠は深碧館にいなかった。翠月が不安を感じても、緑翠はこの行事の間、戻って来られないのだろう。朧が茶に口を付け、再度話し始める。
「深碧館の働き手に対しても同様です。緑翠さまが最高位貴族であることを振りかざすのは、基本的には御客に問題があった場合のみです。宮番や芸者と上手く関係を作れているのも、緑翠さまが必要以上に威張らないからかと」
「そう言われれば」
天月は素直に、朧の言葉に頷いている。翠月にも、緑翠が威張らないのは当たり前になっていた。威圧的だと思ったのは、この世界に来た初日だけだ。その時にはもう、朧が長く緑翠に仕えていることは感じられた。
「朧さまは、ずっと緑翠さまと?」
「はい、私は楼主代理をするために生きていますので。それ以上の問いは緑翠さまに。翠月さまからの疑問には、応えてくださるかと」
翠月が聞く前に、釘を刺されてしまった。緑翠はこの世界の最高位貴族で、夜光の代理を務めるほどの立場のある妖なのに、人間である翠月を分かりやすく囲っている。人間だから、と言えばそうなのだろうが、天月も同じ人間だ。緑翠は、黄玉宮の芸者である翠月を、未だに翠玉宮に住まわせている。翠月が妖力に当たってから、翠玉宮の寝間だけでなく広間や露台でもやたらと触れてくるようになった。
もちろん、それが嫌なわけではないけど、以前とは目つきが違うような気もする。特に、簪の意味を聞いてからは、緑翠の手が空いていれば翠月と一緒にいてくれるようになった。体調を理由に、翠玉宮へあまり来なくなった天月はもしかすると、何か知っているのかもしれない。
*****
緑翠がこの儀式を引き継いだのは七年前、十八の時だ。十五の時に継いだ深碧館が立ち直って、固定の上客も増えたところで、実家からの便りで行事の代替わりを知った。何か直々に教わることはなく、廓の継承よりもはるかに楽だった。
この行事での緑翠の役割は、名を明かさない神に仕える者たちによって着付けられ、下町を練り歩くだけだ。口を開かず表情も変えず、ただ周囲の歩幅に合わせ、遠くに目をやりながら進む。それで、何か文句を言われたことはなかった。
天皇家は亡くなると神として崇められ、神社に住まうと言われている。緑翠でも、その真偽は分からないが、伝承として言い伝えられていることだ。
毎年の例祭は、日々の感謝と厄災からの庇護を願うために行われる。神がその願いを受け取ってくれているかを、緑翠が考える必要はない。例祭が毎年実施されることで救われる命があることも、とうに知っている。
天皇という立場は、皆に見上げられる。そのため、下町にいるような平民には遠い存在で、顔を見られることなどない。ゆえに、例祭のように下町で顔を見せる行事には、代理として皇家が立つ。
緑翠にとって夜光は、実際に会ったことはないにしても、平民と比べれば多少近く思える存在だ。孔雀からは御客として深碧館に来た折に、夜光からの手紙を直々に受け取るし、瑠璃も天皇家を診る医師の家系だ。全てを知るわけではないが、高位貴族は皆、天皇家と何かしら関わりがあるだろう。
*****
例祭の音に慣れて、外を楽しむ翠月と天月を見て、朧が書斎に戻った。天月とふたり、いつもの翠玉宮の広間だ。何度もぐるぐると回り歩いているのか、音が止まない。露台には出られないから、深碧館の前を通る緑翠を遠目に眺める。
(夜光さまは、金剛石…)
「天月はさ」
「うん?」
「本名、なんて言うの。人間の世界での名前は?」
「名前?」
「うん、宝石なんじゃない? だから『月』のつく別の名前を使ってる」
「…今日は他に誰もいないもんね、話せるとしたら今しかないよね」
顔を振って周りを確認してから、天月が耳元に寄ってくる。
「天河だよ」
「やっぱり。アマゾナイトだ、綺麗な青緑色の石だね」
「そうなんだ、自分の石を見た事ないんだよ。まだ出会ってなくて」
「ああ、私は実家で見ただけ。こっちでは見たことない」
「よく覚えてるね。向こうのこと」
「意外とね」
「ねえ、翠月は? 翠月も宝石の名前なんでしょ?」
「翡翠だよ」
「聞いたことはある」
「有名だよね。緑系の石で、磨くと濃い色が出るけど、私の瞳は原石の色に近い。薄くて白がかった感じ」
「緑翠さまと、似てる?」
「似てるかも。でも見る角度にもよるかも」
天月が「そっか」と言って歯を見せて笑った。何でそんな反応を見せたのか分からなかったが、天月は教えてくれなかった。やはり、緑翠と天月の間では、何か約束が交わされているのだろう。
*
「翠月さま」
「ん、どうしたの」
寝間に戻った翠月に、春霖・秋霖が声を掛けてきた。風呂の後の翠月は寝間に入るだけで、侍女たちに用があることもなく、話しかけられることもなかった。
「こちらを、受け取っていただけませんか」
「これは…?」
受け取ったのは、決して華美ではないが簪のようだった。緑翠から貰った物は飾りが緑で髪に隠れる部分は金だが、これは本体自体に色がついている。
「例祭のお土産です」
「先日お駄賃もいただきましたので」
「好きに使ってよかったのに」
「好きに使った結果です、翠月さま」
「翠月さまは綺麗な長い黒髪ですので、まとめるのに重宝すると思います」
「ありがとう、大事にする」
双子が笑ったのを、見たことがあっただろうか。普段侍女として生活するふたりとは、仲が良いと思っていたがあくまで仕事の付き合いで、上辺だったのだろう。少し、距離が縮まった気がした。
*****
年に一度の行事を終え、見世終わりの見回りと風呂を終えて、寝間に帰ってきた。流石の緑翠も、この日ばかりは疲れが表に出ている自覚がある。
翠月はすでに眠っていた。朝から一日、深碧館を空けることは、天月が来てからも初めてのことだ。多少不安もあったが、朧からの報告がなかったということは、ふたりとも何もなく過ごせたのだろう。
翠月の寝顔を少し眺めた後、緑翠も横になろうとすると、枕元に渦を巻いて置かれた紐が目に入った。触れてみる限りは、綺麗に組まれたものだ。翠玉宮の寝間に立ち入れる者は限られる。おそらく、翠月が置いたのだろう。組紐であれば時間が空いた折に組んでいるし、侍女たちにも渡していた。自身でつけるには余っているのだろう。
*
翌朝、改めて光の差し込む中で見ると、枕元には手紙も置かれていた。新緑のような糸で作られた組紐を、左手首に巻いてから、その紙を開く。ニンゲンたちが使う書き言葉は、妖のものと似ているようで異なるから、重要なことは手紙でなく、対面で教えてほしいと伝えたはずだ。雰囲気で読めなくはないが、明確な意味を捉えるには至らない。
(「例祭、お疲れ様でした」「直接は渡せない」……)
完全に理解することはできないが、おそらく緑翠に直接話す気がなく、伝わらないと分かっていて手紙を用意したのだろう。その意味を知るために、翠月を問い詰めるほどのものでもない。眠ったままの翠月の髪を分け、露わになった額に口を付けた。
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