妖からの守り方

垣崎 奏

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第一篇

55.その身の仇 4

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「翠月さま、本日はこのままお待ちください」
「会えるのね?」
「はい。『無理のない範囲で』と言われましたので、横になったままで」
「分かった、ありがとう」

 侍女たちと入れ替わるように入ってきた緑翠は、翠月が首を動かさなくても目が合う枕元に座った。

「…体調は?」
「良い方です。起き上がるのはまだ、食事の時くらいですが」

 緑翠の表情が、なんとなく緩んだ気がした。落ち着こうとしているのか、大きく呼吸しているのも着物の動きで見て取れる。

「触れられることは怖くないか」
「どういう意味ですか」
「覚えていないか」
「気付いたらここに」
「…そうだろうな」

 伸ばされた手を、拒否しなかった。する理由がない。大きな手で頭を撫でられながら、緑翠からの話を聞いた。

「なかなか会えずにすまなかった。言い訳を聞いてくれるか?」
「はい」

 なぜ緑翠が謝るのか、翠月には分からなかった。理解していることは、翠月は下町に出てすぐに妖力に当たって、気を失ったことだけだ。その後に起きたことを、説明してもらった。


 *


 緑翠は、天月が気絶せず操られていて、意思はなかったことも教えてくれた。言われなくても分かるし、本当にそんなことがあったのか、実感はない。言葉で聞くのと、目で見るのは違う。きっと、辛いのは天月の方だ。

「この一件で、紅玉の芸者見習いが黒曜送りになった。翠月ほど名が知られていなかったこともあって、協力者の妖に身請けすることで公にはしないことにした」

 薄氷と白露、ふたりともだろう。公にしないで済むように、協力者へ法外な身請け金を要求したことも透けて見えた。

 人間の翠月と天月が深碧館から出られないことは、深碧館に関わる妖ならみんなが知っていることだ。無理に逆らったとしても、あのふたりが妖力を使っていれば結果は同じだった。妖なら、妖力を持っていてもおかしくない。深碧館にいる妖は、倫理を守っているからこそ、人間が暮らしていける。

「蒼玉は一番手と宮番が療養中。黄玉も芸者に昇格した翠月を指名していた御客が多いから、俺が出ないと納得しない。これでも、深碧館ここの楼主で、深碧館うちは超高級館だから」
「…そうですね」

(天月が見世に出られないのは分かる。でも宵さんまで?)

 天月の体調が、よっぽど悪いとしか思えない。翠月は聞き返したかったが、緑翠がさせなかった。翠月と合わせている緑翠の瞳に、涙が溜まっているように見えて、翠月は開きかけた口を閉じた。

「廓の中の事件なんて、深碧館ここではなくて当たり前、あっても可愛らしいもので終わる。ここまでの大事件は、他の廓では日常茶飯事らしいが、深碧館ここではなかなかない」

 花街で最高級館を名乗る深碧館には、あってはならない事態だったのだろう。楼主として、翠月の前で動揺する緑翠を初めて見た。見た事がなかっただけで、今までもあったのは想像がついた。

 緑翠が寝間に帰ってくるのは遅いし、朝は早い。翠月から約束を取りつけない限り、毎日寝間で話せることも、この世界に来てすぐの頃より減っていた。物理的に近いところにいるだけで、本来は芸者からは遠い立場の妖なのだ。楼主として、深碧館をまとめる立場にいるのだから。

 次に思い当たったのは、星羅から聞いた話だ。十年前に、緑翠は深碧館を継いだ。廓は相当に混乱していたと星羅は言っていた。最高級館ではあってはならない事態に陥るのは、本当に珍しいのだろう。十年もあれば、何かしら事件は起きていて、その度に緑翠が解決しているはずなのに、ここまで動揺を見せている。きっと、珍しいに違いない。

「……ふたりとも人間ニンゲンで、危険なことに変わりはないのに、妖よりも稼いでくるから、俺の心は休まらない」
「え…?」
「あまり、無茶をしないでくれ…」
「緑翠さま?」

「……悪い、なんでもない。目を瞑って」

 髪に触れていた手が、翠月の目を覆った。あたたかく包まれる感覚、緑翠の妖力だ。今まで直接感じることはなかったなんて、考える暇もなく、翠月は眠りに落ちた。


 *****


(心が、どうしようもなく乱れている…)

 緑翠がこの感覚を味わうのは、幼少期、姉に対して抱いたのが一度、それから深碧館を継いで起きた事件の日、翠月がこちらに渡ってくる直前、そして橄欖との一件の四度だ。ここ数ヶ月で二度経験したのが響いているだろうか、何をしていても翠月が頭に浮かぶ。緑翠らしくないことも無意識に言っていた。

 日記に挟んである、写真を取り出して眺めてみても、何も変わらないのは分かっている。

(似ているのは、翠色の強い意思の瞳のみ。あとは何もかも別者だ)

 緑翠はとっくに自覚していたし、翠月と共寝をするにあたり自身の感情を受け入れたつもりだった。それでもまだ、心が揺れている感覚が残っている。本心はもう分かっているのに、今まで避け続けた後悔が、どうも邪魔をする。過去は変えられないし、前を向くしかないのも知っているのに。

 やるべきことはただひとつ。姉や皇家との関係を、終わらせることだ。翠月を守るために邪魔なものは、滅多に連絡を取ることのない親族だ。

 高位貴族の表家業として夜光からの箔がある深碧館の楼主が、緑翠である。下手をすれば当然、全員の生活がかかる見世も終わってしまう。

(後はそれをどう実行するか…)
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