妖からの守り方

垣崎 奏

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第一篇

50.黒曜宮での変化 2

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 翠玉宮の露台で風に当たっていると、手すりを滑るように移動する紙が目に入った。妖の立ち姿を模したその紙は、緑翠に礼をすると消えた。

(月白の式か…、久々見たな)

 つい最近、黒曜宮の烏夜からも呼び出されたところだ。たまたま折が重なっただけならいいが、何かの予兆だとすると気味が悪い。一息ゆっくりと吐き出してから、瑪瑙めのう宮へ向かった。


 *


「…確かに、黒系で起きる事が重なっていますね」
「そんなに顔に出ているか」
「ええ、上階では分からないのでしょうけど」

 階段下で顔を合わせるなり、月白に言われた。黒曜宮も瑪瑙宮も、上階とは事情が異なっていても妖が住んでいることに変わりはない。むしろここ数ヶ月、何も起きていなかったのだ。一気に事が動き始めてもおかしくはないと言い聞かせる。

「それで?」
「しばらく盆に手をつけていなかったので、思い切って入ってみたら、すでに息がありませんでした」
「そうか」

 案内された座敷に入ると、白布を掛けられ白衣を着付けられた元芸者が横たわっていた。亡くなったのを確認し次第、月白が着替えさせたのだろう。

 少し袖をめくり、すっかり冷えた手を見る。瑪瑙宮の元芸者の最後に立ち会った折に行う、最後の決まり事だ。瑪瑙宮の元芸者は、自ら望んでここに入ったわけではない者がほとんどで、どの宮出身であっても、その身体を深碧館のために捧げてくれたことは事実である。

 楼主として、瑪瑙宮で療養している元芸者に対して、感情を抱きすぎないように境界を決めているつもりだ。そうしなければ、芸者としての生活を全うさせてやれなかったと、自責が襲ってくる。守ってやるのが楼主の役目なのは分かっているが、限界があることも知っている。

(俺が揺れると、いくら朧と宮番が居ても、深碧館全体が崩れてくる)

 袖を戻し立ち上がると、背後に立っていた月白が話しかけてくる。

「この方の火葬はどういたしましょう」
「紅玉出身だから、東雲に頼めば、立ち会いたい者を揃えられるはずだ。ただ、瑪瑙ここに入って長かったから、もう知り合いもいないかもな」
「そうですか」

 月白の書斎に戻り、壁に吊るされた暦を見る。この元芸者が瑪瑙宮に入ったのが随分と長かったことは覚えているが、いつからだったろうか。茶を出した月白の顔が普段以上に白く、久々命亡き者に立ち会ったためだとすぐに分かった。

「…不憫か?」
「ええ、多少は。彼女は好き好んで瑪瑙ここで生活したわけではないので」
「これもひとつ、華やかな廓の裏だ、月白」
「承知しています。それでも慣れないですね」
「慣れなくていい。ひとりひとり、最後まで大事に向き合ってやってくれ」

 深碧館を支える芸者の、華々しいとは言えない最後の世話を請け負ってくれているのが、瑪瑙宮の宮番・月白だ。無視をされても根気強く、療養する元芸者に向き合ってやれる優しい妖だが、今回のように、長い期間伏せていた元芸者に対しては少々肩入れが過ぎることもある。

 それが、月白の良さでもあるのは当然だ。死に立ち会うのは、深碧館に来るまで経験がなかったというから、余計に感情の折り合いが難しいのだろう。


 *


 翌日の火葬に集まったのは、月白、緑翠、朧、そして紅玉宮の宮番・東雲しののめだけで、紅玉宮の芸者は誰も降りて来なかった。

「やはり、こうなったか」
「当然、声は掛けましたが、紅玉は協調というものを知らない者が多いので」
「黄玉なら、見世がない限り全員が揃っただろうな」
「同意します、緑翠さま」

 簡易な葬儀のため、移動しやすいように樽に亡骸が入っている。元芸者が大切にしていたと思われるものや、菊や蘭、百合などの花も樽の中に入れ、この先で楽しめるようにと期待をこめる。蓋の閉められた樽を、月白が妖力を使いながら持ち上げ、裏口から外へ運び出した。樽は、出てすぐのところにある竈門かまどへと下される。ここで、木製の樽ごと月白が妖力で燃やし、参列者は手を合わせる。

(今まで、ご苦労だった)

 そして、その樽が燃え尽き火が消えるまで、見届けるのが月白の役目だ。仕事の残っている朧と東雲はここで退席する。緑翠は、商談がない限り月白に付き合う。以前は退席し月白に任せることを基本としていたが、その優しさが時に月白自身を追い詰めていると気付いてからは、緑翠の予定を多少調整するようになった。火を眺めながらのこの時間は、月白とふたりになる珍しい機会でもある。

「…この方は、上階ではどんな見世を?」
「ほぼ床見世だ。死に際では分からなかっただろうが、張り艶良く指名もあった」
「そうですか、この方も楽しかったのでしょうね」
「発情期の合う御客がいた。身請けを考えていたのは知っているが、他の御客も取っていたし、上位芸者に憧れていたからな」
「ああ、それは…」

 悟ったように月白が樽の木片を動かした。床見世を主としていると、御客からの病気もその数だけもらいやすくなる。性別を偽っている瑠璃はともかく、孔雀や柘榴など高位貴族が床に入ろうとしないのは、芸者から病気を移されないためでもある。当然、芸者に徴が出るようなことがあっても困るだろう。

「紅玉は、皆で仲良く稼ぐ形ではないですもんね」
「黄玉のように稼いでくれれば、先もあるのだがな」

 黄玉宮の芸者たちは皆教養もあって、深碧館でどういった見世が求められているのかを理解できる。婆との稽古の時点で分からなければ、紅玉宮で床見世を中心に稼ぐことになる。

 どの宮にも、元の地位は貴族だが嫁ぎ遅れ、深碧館に送られたと思われる者がいる。稽古で差が出て、特に紅玉宮配属の芸者に関しては、嫁ぎ遅れたのも納得できてしまう。黄玉宮や蒼玉宮に居るのは、婚姻の意思がなかった者とも言い換えられるか。

「今の紅玉は、一番手の糸遊が身請けされれば二番・三番の飛燕・胡蝶も身請けを希望するだろう。上位芸者が同時期に廓を出ることになれば、その折が絶好の機会だ」
「その御三方は、度の過ぎた床で?」
「多少、黒曜寄りな過激さを含む」
「それは…」

 樽が燃え残らないように、月白が妖力の調整をしながら相槌を打つ。その聞き上手な姿勢に、緑翠は少々甘えが出てしまう。

「俺の目指す深碧館の理想からは、外れる。だから、困っていると言えば、否定はしない。過激に誘えば指名はつくが、深碧館はそれをしようと思う殿方が大勢来る廓ではない。その事実に気づいて欲しいのだが、そこまでの教養がない」
「そうでしょうね…」

 上階には滅多に上がらず、黒系宮に入る芸者しか知らない月白ですら、紅玉宮への印象は緑翠と同様なのだ。稼ぎとしては、確かに紅玉宮が深碧館で一番の時もあるが、床見世は体力勝負な面も大きく、息の長いものではない。

 黄玉宮や蒼玉宮のように、床見世以外の得意見世を知り、磨いて売っていくこととは、芸者としての価値の残り方が異なる。床の回数が少ない方が、身請けされる芸者としての価値は高い。黄玉宮の芸者なら舞や楽で買われることが多く、紅玉宮は居れば居るほど床を続けることになり、身請けで不利になる。

 それを分かっていて、特に糸遊に関しては面会も商談も避け続けてきた。床見世が多い宮所属で、在籍が長いほど身請けされにくく、より長く深碧館に居ることになる。経験で知っていてもなお、糸遊の常連に対して商談を持ちかけることもして来なかった。何か関われば直に話そうとする糸遊からの、明らかに緑翠自身に向くあの紅い目に、楼主であっても耐えきれない。

「……ここまで、手をつけられなくなるまで放置した、俺のせいでもある」
「緑翠さまは、背負いすぎな気もしますけど」
「そうか?」

 火を見つめていた月白が、何度も頷きながら緑翠の方へ顔を向けた。その表情に青白さはなく、月白はこの元芸者の死を昇華させたのだろう。

「ええ、朧さまがいるので、表の楼主業はある程度分離されていますが、裏は守備範囲が広すぎます。ニンゲンに関して言えば、保護した後は、そのニンゲンが亡くなるまで数十年単位で保護が続くんですよ? 本来であれば、天月がここで一年近く暮らせていることが奇跡です」
「分業できるほど、俺は実家と関係が深くない。根本はそこで、改善は見込めないが、忠告は覚えておく」

 実家との関係も、変化を必要としているのは分かっている。ただ、それを行動に移すきっかけを掴めていないだけだ。


 *


「…私が口を出すことではないですが」
「なんだ、言ってみろ」

 燃えていく樽を見ていた目を、月白に向けた。視線に気付いたはずの月白は、緑翠を見ずに火加減を調整している。

「翠月が来てから、深碧館が揺れている気がするのです」

(……さすが、月白)

 緑翠のように妖力で心を視るわけではないが、月白は妖力を使わずとも共感力が高い。表情に出さないよう気を付けていても、雰囲気で状況を読み取ってしまう。だから、気を病みふさぎ込む者の多い瑪瑙宮を任せている。

 月白は、地下から上がってくることもなく、上階の芸者や宮番とは会わない。話すとすれば烏夜か朧、緑翠のみだ。勘づかれてしまった以上、多少明かしておかないと余計に不自然に思うだろう。

「俺が、揺れていると?」
「失礼ながら、少し発破を掛けました。今日のお話で確信しましたが、違いますか?」
「認める。誰にも言わないだろう?」
「ええ、もちろん。前途多難ですね」

 月白は、こちらの世界でニンゲンを守る方法を知っている妖だ。ニンゲンは黒系宮の世話係となるのが通例で、天月と翠月が例外として上階で芸者をしている。天月は宵と良い関係を築いていて、ある程度守られている。翠月にとって、守り手となり得るのは緑翠だと自覚があるし、それを月白も見抜いている。

「天月の時は、何もなかったのにな」
「宵さんに、引き渡せたからでしょう?」
「分かっている、翠月は俺が守るしかない」
「急がせるつもりもありませんが、あまり引き延ばしてもいられないと思います」
「それも感じている」

 全うで正しい指摘に、月白を睨んでしまっただろうか。緑翠は深碧館の楼主で、月白にとっては雇い主の立場だ。言いたいことを言える関係性だからこそ、月白には瑪瑙宮の宮番を任せられているが、ここまで真っすぐ言われると思うところもある。

(悪いのは、俺だ。楼主のくせに、揺れているのだから)

 大きく息を吐いて、再度月白と目を合わせると、鋭く光っているように見えた。普段、元芸者と話す時には使っていない瞳だろう。

「ご無礼をお許しください」
「いや、俺が悪かった。自覚はあるが、まだ決めきれていない。何かあればまた話に来る」
「はい、お待ちしております」

 緑翠の相談相手となるのは、基本的に朧だった。それは皇家の屋敷で生活していた頃から朧が側仕えで、深碧館を継ぐことになった折にもついてきたからだ。楼主代理であり皇家を知る朧に、表や裏家業の話はできても、それ以上のことは抵抗があった。

 翠月とのことは、宵や月白がいい相手かもしれない。宵は天月を世話しているし、月白にもニンゲンに対しての知識を与えてある。おそらく、緑翠から話しかけなくても気付いてしまうのが月白で、何か懸念があればまた式を飛ばしてくるだろう。
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