48 / 117
第一篇
47.後の祭り 2
しおりを挟むその帰り、何やら下町では騒ぎが起きていた。緑翠が意識を向けると、翠月や天月と似た匂いが漂ってくる。
月は揺れていないから、ニンゲンが迷い込んでくることはない。あるとすれば、無理に妖と共に渡った可能性だ。
緑翠が夜光から認められた裏家業は、妖しく揺れた月の日に、迷い込んでしまったニンゲンを保護することである。それ以外の日にあちらの世界に行くことも、神社を通ればできなくはないが、やらない。
「翠月、あまり見るな」
「はい」
手を引いて早足で通り過ぎようとするが、一足遅かった。ニンゲンを攫ってきた輩が妖力を使ったのだ。逃げていた少女も、影響を受けた翠月も倒れる。妖力に、当てられたのは見るまでもない。他にも、ぐったりと壁にもたれるような平民も見える。自身の妖力が低いと、妖でも休憩が必要な場合があるが、ニンゲンほどではない。
「こんな大勢の前で妖力を使うとは…」
緑翠が抱きかかえた翠月は、直接肌に触れなくても分かるくらいに熱かった。まともに緑翠以外の妖力を浴びたのは初めてで、翠月の表情が辛そうなのも当然だろう。すぐにその場を離れようとするが、呼び止められる。
「おや、お兄さんのその子もニンゲンですねえ。よく抱えられますなあ」
「黙れ、近づくな」
腰に菫青石が見えた。宝石持ちの高位貴族だ。神社の本殿は、高位貴族の妖力がないと抜けられない。確実にあちらの世界へ渡って、攫ってきたのだろう。
(人攫い風情が……)
人攫いなら、もっと隠れて上手くやるべきだと、緑翠は睨みつけた。あまり騒ぎにされると、表では楼主をやっている緑翠が、裏で人攫いをやりにくくなる。
制裁は、夜光に頼むべきことで、この下町、平民がたくさん集まる場ではこれ以上事を大きくしたくない。次々と話しかけてくる菫青を無視し、裏道に入った。気を失ってぐったりとした翠月を、早く寝かせたかった。
*
妖力に当てられ高熱を出した翠月は、発汗も酷かった。その状況を見た春霖・秋霖が、翠玉宮の侍女としての仕事もこなしながら、翠月の着物を頻繁に替えてくれた。意識のない翠月に、なんとか汁物を啜らせたのも、このふたりだ。
夜には普段通りふたりきりの寝間で、緑翠が看病をする。看病といっても、近侍として働いたことのない緑翠には、侍女のふたりがやるようなことはできない。額の絞った手拭いを替える折に、露わになる額に口を寄せるくらいだ。指輪に込めるように、ニンゲンの身体自体に緑翠の妖力を与えれば、多少楽になると、願ってのことだ。
(烏夜や月白、宵には言葉で教えたことだが…、本当に、俺がすることになるとは……)
*
深碧館の夜の見回りを終えて戻ってきても、翠月の熱は一向に下がる様子がなく、ずっと口を開けたまま荒い息を続けている。あまりに辛そうなその眉間の皺を見て、緑翠は唇への口寄せを選んだ。親指でその薄い唇に軽く触れ、狙いを定めて上半身を屈める。
(ああ、この感覚……、やはり俺は、翠月に認められている)
あの時の、姉とした口付けと似た味がした。身体全体にあたたかさの広がる感覚がある。これを初めて感じて以来、姉とは十八年引き離されたままだ。大きく息を吐く。
(……できることなら、もう味わいたくなかったのだが)
心なしか、翠月の表情が緩んだように見えた。緑翠が、そう思いたかっただけだろう。一度深く呼吸をしてから、少しの間、横になって目を瞑った。
*
下町で執拗に話しかけてきた人攫いが、深碧館へ御客として知り合いと連れ立って来たのが、番台に立つ緑翠の目に入った。その場で朧に耳打ちし、出禁にした。どうやら、菫青の方は緑翠を覚えていなかったらしい。
高位貴族の証である宝石も、普段は着物の内に隠してある。深碧館の御客に伝手があるなら、緑翠が高位貴族であることは知っているはずだ。そうであれば、初めて緑翠に会った時の反応も異なっていただろう。宝石が見えなくとも、長髪は高位の特権のひとつだ。緑翠の身分を推し量る材料はそろっている。
下町でニンゲンを連れていた、独特な容姿の緑翠を覚えていないほど、あの少女に執心していたのだろうか。ニンゲンの守り方を知る妖は限られる。おそらく、翠月と共に妖力に当てられたあの少女は、助かっていないだろう。
九重屋が下町にある以上、今回は下町を通らざるを得なかった。ニンゲンである翠月や天月を下町に連れ歩くことはほぼないと言っていいが、もしあるのなら、裏道を通っていただろう。商館の並ぶ通りには、誰がどのような目的でいるか分からない。翠月を連れていれば匂いで目立つ上、緑翠に関しては容姿でも目を引いてしまう。
翠月が目覚めたのは、二日が経ってからだった。目を開けたその日にはまだ話せず、布団から身を起こして動けるようになるには、もう二日かかった。
(長かった……)
緑翠は翠月が話せるようになるまでの間、身請け話や取引などの商談を避けたが、楼主として最低限の仕事である見回りはこなした。翠月が身体を起こせるようになってもしばらくは、書斎での事務仕事を後回しにし、空いた時間には寝間で横になる翠月の隣で組紐を組みながら、辛そうな時には口を寄せた。
*
翠月が話が聞ける状態まで回復したことを確認してから、「あの日何があったのか、覚えているか」と問い、首を振った翠月に、大まかに事態を説明した。翠月は、何か考え込むように顔に手を当てている。
翠月には、緑翠が床見世を解禁しない理由が伝わっただろうか。基本的に、床見世には世話係は同席しない。それは床見世を見学した翠月も知っている。呼べばすぐに姿を現せるように、待機はしているが、妖力を使われる瞬間に割って入れるほどの距離にいるわけではない。今回のように、緑翠ですら、妖力とニンゲンの間には入れないのだ。
「初めて妖力に当たったわけだが、違和感は消えたか?」
「…たぶん」
「変わったことがあれば、教えて欲しい」
「はい」
瞳を覗き込んでも、特別変わったようには見えない。過信するのも良くないと分かっているが、翠月自身は今、違和感を感じてはいない。緑翠は、翠月が話し出せるように、寝間に帰って来る時を調整して、話したい時に話せるように準備しておけばいいだけだ。
(必死に、言い聞かせているだけだな……)
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活
XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。
俺の彼女はちょっと変
にのみや朱乃
恋愛
(性的描写あり)
俺の彼女、アンナはちょっと変わっている。他人には言えない性癖があるのだ。
今日も俺はその変な要望に応えることになる。
さて、今日のアンナの要望は。
今日の授業は保健体育
にのみや朱乃
恋愛
(性的描写あり)
僕は家庭教師として、高校三年生のユキの家に行った。
その日はちょうどユキ以外には誰もいなかった。
ユキは勉強したくない、科目を変えようと言う。ユキが提案した科目とは。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
とある高校の淫らで背徳的な日常
神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。
クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。
後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。
ノクターンとかにもある
お気に入りをしてくれると喜ぶ。
感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。
してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる