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第一篇
45.手の虎は身を破る 4
しおりを挟む「…翠月、入っても?」
「はい」
翌朝、緑翠が襖を開けると、翠月が身体を起こすところだった。寝たままでいいと言ったが、翠月は聞き入れなかった。
「少し、落ち着いたか」
「はい、緑翠さま」
(……ん?)
天月が何か言ったのだろうかと目をやるが、応える反応はなく、むしろ緑翠の目に首を傾げている。
天月は翠月と同じニンゲンだが男色で、このふたりの間に間違いは起こらない。それが確信できてからは、広間でふたりきりにすることも多かった。寝間という空間でふたりにしたのは初めてだ。
今まで翠月が緑翠を名前で呼んだのは、淡雪のところへ迎えに行ったあの一回だけだった。
(天月と話す時は、ずっと俺を名前で呼んでいたのか…?)
確認したいところだが、それよりもまず先に言わなければならないことがある。
「翠月、昨夜はすまなかった。こちらの管理不足だ。天月も、付き添いとして巻き込んでしまった」
緑翠が頭を下げる。天月が驚くのも無理はない。緑翠は深碧館の楼主で、芸者に謝ることなどないと知っているからだ。ふたりが口を開く前に、伝える。
「ふたりに、話しておかないといけない話がある。天月には一度した話だが、また懸念が出てきた」
ニンゲンを攫ってくることを意味する《人攫い》は元々、妖の鬱憤や性欲晴らしのために許可されていた政策だったが、妖がニンゲンを妖力で強制的に従え、当てられているニンゲンに対し無理を強いることが多かった。数百年前から繰り返され、ニンゲンが亡くなる例ばかりだったらしい。
天皇家は政策を転換し、妖の相手は妖にさせるようになった。ニンゲンには匂いもあって、より排除される傾向が強まった。奴隷だとしてもニンゲンを囲っている妖が、良い目で見られることはなくなった。
そのため、皇家の人攫いは、たまに迷い込んだニンゲンを保護する形へと変わった。ニンゲンを攻撃して発情期を散らすことがないように、妖の鬱憤晴らしとして郭が誕生し、皇家の表家業へと発展したのが、この深碧館に繋がる。それでも、あちらの世界で本当に攫ってくる場合もある。迷い込まれた時に保護が遅れる方が大事になるからだ。渡ってきそうなのであれば、事前に策を講じてしまう。
緑翠が楼主になってから、黒系宮にニンゲンを配属しても、誰も上手くいかなかった。芸者として育てた天月と翠月は、これからも深碧館にいてくれるだろう。もしこれからも、ニンゲンが渡ってくるようなことがあれば、芸者として育てる道があるのも、頭に入れておかなければならない。
「深碧館に来る御客は上の位が多い。かといって、橄欖のように、お前たちに何もしないとは限らない。天月はもう慣れてしまっているが、もうひとりニンゲンが増えたことで過激になる輩もいるだろう。気をつけてくれ」
「分かりました」
*
「翠月、問題がなければ、天月に下がってもらいたい」
「はい、平気です。ありがとう、天月」
「うん、また話は聞くからね」
天月が、翠月の分の盆も持って出ていく。緑翠だけを前にしても、翠月の雰囲気は変わらない。
「天月と、何か話したか?」
「御客と無理に寝たことがあるかと聞きました」
「ないだろう」
「はい、そう言っていました」
「宵が、絶対にさせない。昨日は俺がいなかったから、翠月に見世をさせるべきではなかった」
「え?」
「朧にも伝えた。俺がいない時は、見世に出るな。俺が守れない」
「それで、いいんですか?」
「ああ。ニンゲンの翠月に、稼ぎはあまり求めていない。天月が例外すぎる。俺の仕事は、何より楼主として深碧館の芸者を守ることだ」
「はい」
手を伸ばして翠月に触れかけて、留まった。翠月は何も反応しなかったが、内心どう感じたかは分からない。
「…指輪を、外さずに見せて欲しい」
「はい」
伸ばされた左親指の指輪に触れ、追加で緑翠の妖力を込めた。翠月が渡って来た時も今回も役に立たなかったが、ないよりは気休めになるはずだ。
「俺の妖力を強めた。翠月は、耐えていられる。身体はなんともないな?」
「はい」
(……好意的な、ニンゲン自身が受け入れてもいいと思える妖力には、当てられない)
翠月が、翠玉宮に来てから、緑翠の結界に体調を崩さなかった。そして、指輪の妖力を上げても変化がない。淡雪が手技の折に使う妖力はどちらか不明だが、完全な敵対ではないのは確かだ。それでも、手技の内容が内容なだけに、翠月は警戒してしまうのだろう。天月は、翠月よりも警戒心が強かったから、緑翠の妖力に当たっていたとも捉えられる。
翠月に、緑翠は楼主として確認しなければならなかった。妖力に当たっていない翠月は、相変わらず感情を外からは読ませてくれない。
「柘榴さまの座敷に、ついたことはあるか?」
「柘榴さま…? 座敷に上がったことはありませんが、昨日赤い石を見ました」
「今回、仲裁に入っていただいた。近いうちに、礼をしに行きたい。一緒に来れるか」
「はい」
*****
「翠月は、きっと緑翠さまの特別だよ」
非番になって時間があるからと、一度蒼玉宮に戻ったはずの天月が、様子を見に戻ってきてくれた。時間が経って、多少動けるようになったのもあって、いつも通り、露台の手すりにもたれながら話す。
「どうして分かるの?」
「呼び方」
「呼び方?」
「緑翠さまは、基本的に芸者の名前を呼ばない」
「え?」
「僕は人間で男色だし、各宮の上位は別だけど、見習いの立場の子の名前を呼んでいるのを、聞いたことがない」
「私は…」
「呼ばれてるよね、翠月と」
「人間だから?」
「他にも理由があると思うよ」
「ほか?」
「その指輪も、緑翠さまのだよね」
「うん」
「翠月が来る少し前から、緑翠さまが指輪をしてないなとは思ってたから。組紐も、他の芸者には言わない方がいい。もう騒がれた後だろうけど」
「うん」
どうしてなのかを、天月に聞くのは違う気がした。翠玉宮に出入りする芸者は、翠月と天月の人間ふたりだけで、翠月は緑翠と寝間まで同じだ。
(人間を守る以外に、どんな理由があるの?)
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