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第一篇
41.緑翠の装飾品
しおりを挟む普段なら楽しげに話しているのが聞こえるはずが、今日は静かだ。書斎から顔を出すと、珍しく翠月が露台にひとりだった。天月が来ていないのだ。一番手で見世も好きな天月だから、今まで翠月に時間を割いてくれていたのが、緑翠の頼みとは言え、むしろ珍しかった。
翠月は手すりに肘を置いて寄りかかり、風に当たって空を見ていると思えば振り向いて、緑翠と視線が絡まった。急な目力に、緑翠は目を見開いたが、すぐに冷静さを取り戻した。
「楼主さま、聞いても?」
「ああ」
「楼主さまの装飾について」
「耳飾りと…組紐か。その指輪も元は俺のだな」
「はい」
装飾が見やすいように、翠月の隣に腰を下ろす。立っていた翠月もしゃがんで、装飾を覗いてくる。
「揺れるこの耳飾りをつけているのは、ここの楼主だからだ。俺しか付けられない」
「特別なもの」
「そうだ」
ひとつずつ指で触れながら、翠月に説明していく。好奇を持っていると分かる視線が、緑翠の身体を這っていく。
(……無自覚が、一番怖いな)
「…あとは、組紐だな。これは俺の趣味だ」
「趣味?」
「首のは石が留められているから既製品だが、髪をまとめているのと手首・足首のものは自分で組んだ」
普段は着物の内に隠れている、首から下げている緑翠石を翠月に見せる。緑翠が最高位貴族であることは、深碧館の御客なら知っている。わざわざ表に出しておく必要がないのだ。
「組んだ?」
「作っているんだ、自分で」
「作れるんですか?」
「ああ、俺が組んでいるのは見たことがあるだろう。割と簡単だぞ? 興味があるなら教えてやろうか」
「ぜひ、お願いします」
書斎から丸台を出してくると、「それ、見た事あります」と翠月が言ってきたため、「当然、あるだろうな」と返した。翠月が、組紐を組む動作を食い入るように見てくる。男の手が、糸をすくっていくだけなのだが。
(距離が急に近くなったのは、淡雪のところで手技を受けたからか…?)
淡雪に、また何か入れ知恵をされているのだろうか。淡雪だけとは限らない。星羅も、年下の緑翠を少し揶揄う節がある。信頼関係があるのは間違いないが、翠月に対しては特に、弄ばずにいて欲しいと思う。翠月はさらに若く、経験も乏しいのだ。
「…どうした?」
「なんでもありません。手慣れているなあと」
「実家にいる時から作っているからな」
「何かきっかけでも?」
「…いや、特には」
「そうですか」
姉が飾り紐として着けていたからと、素直には言いづらい。そもそも、翠月はその姉と似た瞳を持っていて、最近はその瞳に明確に意志が見える。感情というよりは、意見を曲げる気がないという強い想いが伝わってくる。
男でも飾り紐を着けることはあるが、例祭など特別な時だけだ。深碧館は廓で、芸者が飾って豪華に見える方が都合がいい。宮番や朧を含め、緑翠も華美な物は避けている。
「帯締めにしてもいいが、長さを組むのは根気がいる。始めは手首に一重巻くくらいがちょうどいい。その程度なら慣れれば半刻もかからず組める」
(俺が使う色しかないが…)
翠月なら、また商屋が来た時にでも、自分で購入するだろう。丸台は、翠月が試した後でも組紐を組みたいと思うなら、もうひとつあってもいいかもしれない。
翠月が、緑翠の装飾品に興味を持った。それは、自分が身につける小物を選ぶ上でも、重要な意味を持つだろう。翠月の周囲にいる芸者が、その辺りは伝えてくれるとは思うが。
「…翠月」
「はい、楼主さま」
「これから、今までよりも見世が増える。装飾の小物は、御客からもらうこともあるだろうが、簪だけはもらうな」
「簪?」
「髪をまとめるものだ。あれは、絶対にもらうな」
「……? 分かりました」
おそらく、簪をもらうことの意味は、天月か星羅が教えるだろう。その意味を、緑翠は自身の口では話せそうになかった。
*****
黄玉宮に見世を学びにも行く生活は基本的に変わらない。翠月が見習いとして付く座敷の主、星羅や淡雪は上位芸者のため、毎日見世をやるわけでもない。出張で黄玉宮にふたりがいないこともあり、梓と話すだけになることもあった。
天月が来なければ、朝に君影と話すだけだ。梓にも仕事はあるから昼間に暇な日もあり、時間に余裕を持てるようになった。色は緑だが二本で組み方を変えてある組紐を、春霖・秋霖に渡してみる。
「そんな、受け取れません」
「翠玉からほとんど出ないんでしょ? 他の宮の妖には気づかれないって」
「いや、でも」
「いいからもらっておけ」
「緑翠さままで」
「他の宮とは違って、侍女が大事にされてる証拠だろう」
「…はい、ありがたく、いただきます」
緑翠が促してくれたおかげで、春霖・秋霖は折れるように、翠月の組んだ組紐を受け取ってくれた。後にふたりは、足首に着けたことを教えてくれたが、結局、着物や足袋に隠れてなかなか見えなかった。どっちがどっちか、区別を付けることは至難の業のままだった。
*
見習いとして座敷に出る回数も増え、人間と言われることにも慣れ、もう何も思わなくなった。翠月が人間だと分かると急に見世がなくなることもあるが、頻繁にあるわけではないし、宮の主である黎明も星羅も分かってくれている。当然、緑翠も理解がある。
手首には自分で組んだ緑系色の組紐を巻いている。緩くぶら下がってしまうため、琴をする時は一旦外すが、それ以外はずっとつけている。他の芸者に睨まれても、「自分をどう着飾るかは自分で考えろ」と宮番が声を掛けて守ってくれる。
組紐をつけてすぐの頃、翠玉宮の露台で天月が組紐に触れてきた。
「それ、もらったの?」
「あ、これ? 自分で作った」
「そうなんだ」
「すぐ作れるよ」
「組み方、知ってたの?」
「ううん、楼主さまに教えてもらった」
「…緑翠さまが教えた?!」
「そんなにびっくりすること?」
「翠玉で暮らし続けることもそうだけど、緑翠さまが直々に何かを教えるなんて、聞いたことないよ」
天月は何かを考え込んでしまった。同じ人間でも性別は違う翠月が、緑翠からは天月とは違う、何やら普通ではない扱いをされていることは理解できた。
(黒系にも直々に連れて行ってくれたけど、あれはまた別なのかな)
この世界に来てから寝間が同じなのは、もうとっくに慣れてしまって、それ以外の間で寝ることは考えにくくなっていた。「思考が見えない」と無理に合わせられていた視線も、今は話したい時に言葉で伝えられるようになって、覗かれることが少なくなっていた。
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