妖からの守り方

垣崎 奏

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第一篇

24.翠月の見切り

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「翠月、まだ起きているか」
「はい、楼主さま」

 見世の見回りと風呂を終えて戻ると、翠月は寝間の机で筆を取っていた。疲れていないか確認した後、「少し話がしたい」と誘い、隣に座った。

「黎明から聞いた。近衛さまがかなり上機嫌で帰られたらしい。何か心当たりはあるか?」

 自覚があるかどうか、確認しておきたかった。翠月はニンゲンだ。他の芸者よりも、自身の価値を自ら理解する必要がある。妖力で支配されてしまう可能性がある以上、自分に向けられる目がどのような感情を持つのか判断し、怪しい者を怪しいと感じて、自衛できるかどうかにかかっている。

「…所作や楽を褒めていただきました」
「他には?」
「将来が楽しみだとも」
「それはよかったな」

 そう返すものの、翠月はあまり嬉しくなさそうだ。今までの芸者は、座敷に上がった初日に褒められれば、大いに喜んでいた。この反応だと、自らの魅力には気付いていないのか。

「何か引っかかることでもあったか?」

 何も返してこない。何か考えていることがあるのは間違いないが、それを話そうと思うかは翠月次第だ。「楼主さま」と声を掛けられ、促すように頷いた。

「稽古からひと月も経たずに御座敷へ上がることは、普通ですか?」

 近衛は、遊び慣れた御方だ。翠月に、そういうことを話した可能性は大いにある。

 どう伝えようかと一瞬頭を回したが、翠月には、下手に言葉を紡ぐとするよりも、素直に言う方がいいと思った。

「早い方だ。ただ、前例がなかったわけではない。婆からも話を聞いて、他の見習いと同じ稽古では物足りないだろうし、座敷での実践に移したが、辛かったか?」
「いえ、辛くありません」

 翠月がこちらの世界に来てから、寝間はずっと一緒で、夜の見回りから戻った時に顔を合わせれば会話もする。それなりに翠月の言い回しにも慣れて、その言い方が少し気になったものの、聞き出す文言は思い当たらなかった。

「…また、数日に一度は黄玉へ行ってもらうが、それでもいいか?」
「はい、よろしくお願いします」

 星羅は、黄玉宮の一番手で、実質深碧館の一番手だ。毎日見世をしているわけではなく、非番の日も多い。星羅ならその間も使って、翠月の魅力を伸ばしてくれると考えていた。

 今日の翠月の初見世は、星羅の座敷で、御客は近衛だった。見世が辛かったわけではないのなら、他に考えられることは、番台付近、翠玉宮から黄玉宮への移動だろうか。他の芸者に会う機会があったのなら、何か耳に入ってしまったのかもしれない。黎明の付添もあって、直接は言われていないはずだが。

(翠月の心構えよりも必要なのは、周囲の意識改革か…)

 考える時の癖で、腕を組む。そこで袖に違和感があり、翠月に渡さなければいけない物を思い出した。銭の入った小さな巾着を、翠月に渡す。

「見習いでも、座敷に入れば賃銭が出る」
「ありがとうございます」
「もし手元に置いておけなくなれば、侍女に頼んで銭商に預けることもできる。とりあえずは、ここで管理しておけ」
「はい」

 日記や筝曲の爪などの翠月の私物をしまうために、寝間に大きめの籠をひとつ用意していた。筆や硯は出していてもいいが、日記は何かの拍子に緑翠が見てしまうこともあり得る。翠月はその籠に、緑翠から受け取った巾着を入れた。


 *****


 洗面台で顔を洗い、髪を梳いてから戸を引くと、目の前に天月がいた。洗面台は梯子のすぐ横にあって、天月が上がった時に姿が見えたから、出てくるのを待っていたらしい。「朝から驚かせてごめんね」と言われながら、露台へと移動する。朝食は天月が春霖・秋霖に頼んでくれていて、すぐに運ばれてきた。

「翠月さまも、私たちに指示をくださいね」
「……」
「それが仕事だから、言ってあげた方がいいよ」
「…分かった」

 天月に言われて、それもそうかと納得した。侍女の双子は、確かにそれが仕事だから、何か指示を受けないといけない立場だ。使ってあげるのもひとつ、翠玉宮に住む身として必要なことなのだろう。

(理解はできる。頼めるかどうかは、別問題だけど)

「そうだ、天月」
「ん、どうした?」

「答えたくなければそれでもいいんだけど」と前置きしつつ、天月に聞いた。昨日、緑翠からもらった銭の使い道についてだ。

「ああ、座敷に出たからもらったんだね? ほとんどは貯めてるなあ。貯めた先に何かあるわけじゃないけど。後は商屋から、着物とか扇を買うくらい」
「商屋?」
「うん、深碧館に売りに来るんだ。芸者は下町に下りないから買い物も深碧館の中で済ませるんだよ」

「着物も自分で買うの?」
「支給の物でも芸者はできるよ。でも他の芸者と差をつけようと思うと、自分の好みを買うのもひとつ」
「なるほど」

「妖たちは、身請けに持っていくために取っておくって言ってたかな。身請け先で自由に使える銭があるか分からないから」
「ああ…」
「持ってたら持ってたで、身請け先で奪われて、好きに使われるって話も聞いたことがある」
「え」
「聞いただけだけどね。僕は何に使おうかなあ…、家も必要ないし、きっと引退を迫られない限り深碧館ここに居るだろうし」

 天月は「あれもこれも、ここには揃ってる」と言いながら、朝食を食べ進めていた。

(商屋が来たら、とりあえず箏爪と扇は買いたいな)

 見習いの身で自分の着物を着たら、移動の時にまた何か言われるのかもしれないと、頭を過ぎった。小物だけでも注目されるだろうか。巾着の中に隠して黄玉宮まで持ち運ぶことはできるはずだから、それで乗り切れるとも思った。せっかく、楽や舞が褒められるのであれば、その道具を揃えるのは有意義だろう。


 *


「ねえ、翠月」
「うん?」
「初めての見世は、どうだった?」

(どうだった…?)

 言葉が思い浮かばず迷った末、天月に答えた。

「……星羅さんが綺麗だった。すごく楽しんでるように見えた」
「続けたいと思った?」
「んー、続けられそうだとは」
「そっか」

 この世界から向こうへ帰る方法はないらしいから、この世界でやっていけるかどうかというよりは、やっていくしかない。天月もそれを分かっているはずなのに、どうしてそんな聞き方をしたのだろう。

(続けたいかは関係ない。続けるしかないんだから)
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