妖からの守り方

垣崎 奏

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第一篇

18.各見世の稽古 1

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 朝、障子から差し込む光に目を覚ますと、声が聞こえる。とりあえず広間に出ると、緑翠と天月がすでに待っていた。

「翠月、稽古に出てみるか」
「…はい」

 少し寝ぼけたままに返事をして、緑翠に見送られるように天月とふたり、広間を出た。途中、洗面台に寄ってもらって、軽く顔を洗ってから、梯子を下りる。

「緑翠さまは、藍玉あいぎょくにはあまり来ないんだ」
「どうして?」
「楼主さまでここで一番偉い妖だろう? 独特の容姿だし、みんな集まっちゃうらしい。見世の準備でも、緑翠さまは直接上階に来られるよ」
「なるほど?」
「芸者の中には、緑翠さまに気に入られたくて頑張るような、お門違いのやる気を見せる芸者もいるから」

 確かに、長い銀髪の容姿は他に見ない。妖の中でも緑翠は高位だし、それが関わっているのかもしれない。

深碧館ここで長く過ごしていても、楼主さまは物珍しく見えるの? 私が一緒に居すぎて慣れすぎている?)

 ふたりで食堂で朝食を頂く。食材は変わっているけど、味は変わらず美味しい。

ばあさんの稽古、僕には厳しく感じられたけど、翠月は余裕だと思う」
「婆さん?」
「先生だよ。稽古に目途がついて座敷に出るようになると、『先生って呼ぶな』って怒られるようになるよ」
「へえ…、すぐ来るのかな」
ひとによるらしいけど、翠月は座敷の所作ができるし、見世もいくつかできそうだし、余裕かなって」
「やってみないと分からないよ」
「それは、そうだけどね、僕は心配してない。蒼玉の一番手に言われてるんだ、自信を持って」
「うん」

 天月は、《翠月》と書いたあの二文字しか見た事がないし、書道と琴をやっていたと話を聞いただけなのに、その顔は自信たっぷりだった。

(よっぽど、ここの所作や稽古に苦労したんだ…)

 食べ終わって片付けを済ませて、隣の稽古場に入る。すでに座卓と座布団は並べられていて、藍玉宮で寝起きしていることが分かる、明るい青の着物を着た若いふたりの妖が待っていた。その他に目立つ装飾はなく、宮番と違って見分けられなかった。

 天月に、まずは前に立つ先生の横に座るよう言われる。薄青の落ち着いた着物で、それなりに年を重ねた女性だ。

「今日から一緒に稽古をする翠月だね? 話は聞いているよ。白露しらつゆ薄氷うすらいとも仲良くするように」
「よろしくお願いいたします」

 婆から紹介されたため、頭を下げる。何も指示が来ないため、自分の判断で姿勢を戻すと、天月が既に座卓の前に座っていて、横に来るように呼んでいる。白露、薄氷と呼ばれたふたりと、真横に並ぶ席順だ。ふたりは、たぶん慣れない人間の匂いに、顔をしかめている。

「天月さまも、お稽古を?」
「見学ですよ、婆さん。緑翠さまに頼まれているので」
「へえ、翠さまがねえ…」

(一番手の天月は、先生から『さま』付けされるのか)

 少し驚いていたら、婆に座卓ごしでも、頭から足の先まで、全てを品定めするように凝視されたのが分かった。緑翠のことを《翠さま》と呼んでいるのも気になったけど、「そうかい」と一言呟いた後、「さ、始めるよ!」と威勢の良い声が響いて、翠月が口を挟む間はなく稽古の説明が始まった。

「よかったね、認められたみたいだよ」

 隣から天月が話しかけてくれた。でも婆の視線が向いているから、頷くだけにしておいた。

 一日ひとつの見世稽古をするわけではなく、全種類を少しずつやってみて、得意が見つかればそれを伸ばすように稽古の内容が変わるらしい。白露も薄氷も、稽古は始めたところで、どれを伸ばすか見極めている最中だそうだ。


 初めに、天月が勧めてくれたしょをやってみた。寝間に用意されていたのと同じような、漢字の文章の書き取りだった。少し書いただけで、隣にいた天月が婆を呼んで、見せる。婆は特に驚くこともなく、頷いただけだった。

「どういう意味?」
「褒められてる。翠月は所作からして座敷に慣れてるから、得意を確信したんだと思うよ」

(…そうは見えなかったけど)

 天月が笑顔で楽しそうにしているから、それ以上触れなかった。向こうの世界で褒められることは少なかったから、翠月の感覚がズレているのかもしれない。

 せっかく準備した硯や筆があるから、片付ける前にと、天月が「名刺を用意するといい」と教えてくれた。切った紙に自分の名前を書いておくだけだが、それだけでもこの世界では名刺代わりになるらしい。後で緑翠か朧に、深碧館の判子を借りて押すと、より箔のついた名刺になるそうだ。


 がくと呼ばれる琴の演奏も、翠月が身に着けているものとほぼ変わらなかった。緑翠から「外すな」と言われている指輪は、感覚が変わってしまうのが不安だったが、着けたままでもそれなりに鳴らせたため、結局外さなかった。譜面も、大きく理解できないこともなく、分からない部分も聴かせてもらえば真似をすることができた。

 書に続いて楽もこなせてしまう翠月に、婆は表情を変えない。でも、変わらず天月が嬉しそうだ。

(これで、いいんだ)


 世話係の演奏に合わせて踊るまいも、白露や薄氷と比べて覚えが早かった。リズム感は、幼い頃からの琴で養われていた自信があったから、体育のダンスも、特別苦手には思っていなかった。ちなみに天月は、実践稽古のある見世の中では舞が一番得意らしい。

「翠月ほど、明確にこの見世が得意っていうよりは、これが御客の前で披露できそうだからって理由で、そこまで誇れる評価じゃないんだ。まだまだ修行中だよ」
「一番手でも?」
「悔しいけど、蒼玉だから一番手で居られる。後輩も他より少ないけど居ないことはなくて、僕自身先輩を追い抜いて一番手になった。できればこのまま一番手で居たいね」

「位はどうやって決まってるの」
「あくまで予想だけど、宮番と緑翠さま、朧さまの評価だと思う。見世への向き合い方とか、宵さんとはかなり話したから」
「なるほど」


 最後の実技稽古、かたりは、小説を朗読するものだった。この世界の文章は漢字ばかり。天月も同じく語は苦手で、早々に諦めたらしい。読みやすく書き取り直してもいいかと思ったが、翠月にはすでに書や楽、舞もある。「わざわざやりにくい見世を頑張る必要はないよ」と、天月に言われた。

「僕たち蒼玉の芸者は、自分から語ることは少ないし、あまり気にならない部分でもあるけどね」
「そうなんだ?」
「紅玉とか黄玉は、女の声で魅了するのもひとつ、見世として成り立ってるけど、翠月は他の見世が十分通用する」

 満足そうな天月の笑顔に、翠月は安心した。あれだけ馴染むのが難しくなさそうと言われて、もし稽古を大変に感じたらどうしようと、少し不安に思っていたのだ。できることとできないことがはっきり分かったら、できることを頑張ればいいのが、この世界なんだろう。


 ゆか見世の実技は流石にない。ただし、艶本えほんはあった。持ち帰って読むことが見習いの宿題となるが、翠月は語の本も十分に読めないため、免除となった。男女の身体の仕組みや、御客と会話する上で必要な表現などが書かれているそうだ。天月も、免除されていたらしい。

「見習いのうちに、たくさん床を見せてもらうといい。初めは衝撃あって当然だし」
「想像できない世界」
「十四の女の子だもんね。男の僕には聞きにくいかもしれないけど、確認してあげることはできるから」
「うん」

「御客との距離の取り方も、覚えていかないとね」
「距離?」
「誰とでも床に入るのが見世じゃないよ。芸者側も信頼できる御客を選べる。強引に襲うような御客は居ない高級館だけど、多少揺さぶってくる妖は居るからね」
「……?」
「見習いの間に、たくさん見世に同席すれば分かってくるよ」
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