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第一篇
15.黒系宮・瑪瑙宮と黒曜宮 3
しおりを挟む瑪瑙宮の廊下を通り抜け、端に来た。目の前には、上階にはない厚い扉がある。軽い仕掛けのしてある扉で、正しい順序で鍵を解錠しないと外には出られないし、入っても来られない。
「ここが、地下、黒系の端に位置する、廓の外へ通ずる扉だ。過去、黒系の世話係になったニンゲンは皆、ここからいなくなったのだろう」
「緑翠さま、それも教えるのですか?」
「もう言った。今更止めても無駄だ、烏夜」
烏夜が口を噤んで、緑翠と翠月を交互に見ている。翠月に、変わった様子はない。それを見て、烏夜も落ち着いたようだ。
「翠月はこの一回以降、ここには来ないと約束してくれるだろうしな」
そう付け加えると、翠月は扉を見たまま頷いた。先へ進むように促すと、素直に扉から目を離し、従ってくれる。
「この先、黒曜で行われる過激遊戯は、上階の芸者はやらない。ここには、上階の倫理を守らなかった芸者が入る」
「倫理?」
「細かい規則のようなものはないが、芸者同士の関係や、芸者と御客の関係が悪化するようなことをすると、黒曜に来ることになる。芸者同士で無理に行為をしようとするとか、故意に子を宿して身請けしてもらおうとするとか」
緑翠の横に立つ翠月を覗き込んでも、その表情は変わらない。後ろから、目つきの変わった烏夜がついてくる。翠月を、ここに入れた理由が伝わったのだろう。
「過激遊戯の、意味は分かるか?」
「…なんとなく」
妖力を使って翠月を視れば、動揺しているかどうかは判断できるが、今は周囲に妖がいる。翠月が緑翠の妖力には当たらないと、知る妖は最低限でいい。烏夜ですら、その数には入っていなかった。
(それに、数日の間にあまり探りすぎるのもな…)
座敷と呼ぶには禍々しい、鉄格子の並ぶ区画へと進む。おそらく、翠月の目にも映っているし、耳にもその声が届いているはずだ。中にいる芸者は、御客の要望がない限り、手枷を嵌められていて、それが鳴るのも聞こえてくる。
「目を瞑れ。そのまま足を出し続けろ」
翠月の小さな耳を、緑翠の手で覆う。おそらく翠月なら、この廊下の雰囲気だけでも、何か感じ取る。
(翠月は、俺が深碧館を継いだくらいの歳だろうからな…)
手枷と薄い浴衣を羽織っただけの芸者が、開かれた柵の間に見える。目を合わせることはない。瑪瑙宮と違って、黒曜宮にいる芸者は上階での違反者だ。情けをかける必要はない。
まだ行為の声は聞こえるが、十分に離れただろう。耳をゆっくり解放してやる。それを合図に開いた翠色の瞳を、直視した。
「翠月には、こういうことをさせたくない。しっかり教養を学んで稽古をして、この宮が何故あるのか理解してほしい。俺に従っていれば、ここに来ることはない」
「はい」
烏夜が月白に声を掛け、戻ることを伝えてくれたため、緑翠は翠月を連れそのまま階段を上がった。烏夜はお調子者だが、月白は義理堅い妖だ。その性格があるからこそ地下を任せているのは間違いないが、翠月に関わりすぎると、翠月を知ろうとするだろう。黒系宮に、翠月は来ない。だから烏夜も月白も、これ以上翠月を知る必要はない。
翠玉宮に戻るまでの間、飄々と変わらない足取りの翠月に、緑翠は戸惑った。当然、そんな様子は外には出さず、階段から番台までの廊下を通り過ぎた。寝間に戻った翠月が、芸者になるために何をするべきなのか聞いてきたことも、緑翠の予想とは異なっていて、目を見開いてしまった。
「もう一度風呂に入るか?」と聞いても、そのまま布団に入って寝ると言う。目を閉じた翠月が、少しでも眠りやすくなるように、布団の上に狐を出した。多少、重しとなって温かさを与えるはずだ。
翠月はおそらく、これからも緑翠の妖力には当たらない。結界にも動じず、好きなことをやってのける。量や強さにどこまで耐えられるのかは不明だが、この程度の弱いものであれば全く問題ないのだろう。
翠月自身が何もないということを、全て視るのも少々裏切っている気分になる。心の揺れが気になりはするが、探りはしなかった。
*****
たまたま思い出していた地下のことを口に出してみたら、連れて行ってもらえた。気になることがあったからと言っていた。あくまで、ついでだったんだろう。
廓である深碧館には、宮がいくつかある。そこで芸者が御客を取って、琴や舞で楽しませる。ざっくりとは、理解できたはずだ。
番台や食堂はあんなに明るかったのに、あの踊り場から下は不自然なほど暗かった。何か、見えてはいけないものがある。だから天月は「近づくな」と言ったし、従っていたんだろう。
ただ、相手が悪かった。翠月は、あの御神木に近づくなと言われ、結局好奇心に勝てず、この世界に来てしまった人間だ。
緑翠に質問をした内容を、後悔してはいない。今日を逃したら、黒系宮のことは聞きにくくなっていたと思う。
(……嬉しかった方が、強い)
反響してよく分からなかったが、あの空間では何やら高い不規則な音が鳴っていた。緑翠が、翠月の耳を塞いで、それが聞こえないように、見なくても済むように誘導してくれたのは感じ取れた。地下は灯りがあっても暗く、妖にはもっとはっきり見えているのかもしれないと感じつつ、足を進めたのだ。
男女がこんな不気味なところで何をするのか、想像はできるような、できないような。なんとなく思い当たるが、上階でも行われていること。地下で起こっているのは、もっと酷いことだと、雰囲気が物語っていた。
(楼主さまに、気を遣ってもらった。向こうでは誰も、私を相手にしてくれなかったのに)
翠月が得たのは、過激遊戯に近づいた恐怖よりも、安心感だった。
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