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第一篇
9.蒼玉宮の一番手・天月 4
しおりを挟む「書斎にいらっしゃるのかもね。楼主さまだし」
「なるほど」
「もし不安なら、予定を聞いておくといいよ。見世の時間でもここにいないこともあるし、教えてくれると思う」
「見世?」
「ああ、こう書くんだけど、御客に会う時間のことを見世って言うんだ。書見世とか楽見世とか、御客の前ですることも見世って言う」
天月に促されて、板張りの露台には出ず、広間の畳の上に正座した。対面を避けるように、少し斜めに天月が胡坐をかく。
「ごめんね、崩すよ」
「うん」
翠月は慣れているから正座し続けられるし、むしろ胡坐の方が落ち着かない。天月はこの後見世もあるはずで、休めるならその方がいいんだろう。
外を眺めている天月の視線を追って、翠月も空を見上げた。案内されているうちに陽は高くなっているが、暑くはない。人間の世界は、真夏だったのに。
(そういえば昨日の夜も、半袖の制服で気持ちいいくらいだった)
「…そうだ、身分のことも話しておかなきゃ」
「身分? さっきの、『芸者はみんな平民』って話?」
「それも身分のひとつ。ここの御客がある程度地位のある家柄だってことは話したっけ」
「さっき言ってた」
天月も、翠月にたくさんのことを一気に話し過ぎて、どれを話していないのか把握しきれていないようだ。
「その中でも、緑翠さまは高い家柄の方なんだ。すめらぎ家っていう」
「す…、なんて?」
「さすがに知らないよね」
天月が紙に漢字を書きながら、「この字まで知ってるって言われたら、僕なんて本当にすぐ追い抜かれちゃう」と笑う。
「これで、すめらぎって読むんだって。この世界の貴族の中で、一番高位って聞いた。だから、みんな緑翠さまと楼主代理の朧さま、それから御客には『さま』をつけるんだ。宝石の名を持たない御客は名乗ってくれるから、それをさま付けで」
「へえ…」
(すめらぎ…、天皇の、『皇』)
この世界に天皇がいるのかは分からないが、明らかに偉いのは理解できる。
向こうの世界でも、昔から高貴と扱われていたり、何か敬われるようなことをしたりして、名字が位付けになっていた時代があると、母が話していたような気がする。学校の授業ではそこまで深い歴史を問われることはないし、翠月は聞き流してしまっていた。
「御客の中でもより高位な方は、宝石の名前を持っていて、名前と同じ宝石を身に着けてるんだ。高位かどうかは装飾品ですぐ分かるんだけど、宝石に触れたことってないよね」
「ある」
「っ、あるの?」
翠月が思った通り、天月は目を見開いた。向こうで普通ではなかったのを、嫌というほど実感させられた、リアクションそのものだった。
「いや、そう言うかもとは思ったんだ。普通だったら、向こうで宝石なんか触れないし、見世のたびに宮番に教えてもらって覚えてねって言うところなんだけど。なんか、ここで生きるためにあっちにいたみたいだね、翠月は」
また笑ったその表情は、今回は少し寂しそうだった。向こうで普通に生活していたのなら、ここでの暮らしは全然違うものだ。天月が大変だったのは、なんとなく想像できる。
「実家にたくさんあったから」と返すと、「実家にたくさん?」と聞き返されてしまう。
「お父さんが宝飾アクセサリーのお店をやってるの」
「ああ、なるほど。それなら御客に粗相をすることもないね。僕は宝石を見た目で覚えられなくて、宵さんにすごく迷惑をかけたから」
宝石で覚えられなかったから、向こうの世界と同じように、妖の顔と名前を結び付けて覚えているらしい。宝石名がその妖と同名だから、身に着けている装飾品に使われている宝石が分かれば、ひとりひとりの顔と名前を覚える必要はないと、天月は言う。
(顔が分からなくても、宝石の名前で呼べればそれでいい世界…)
「宝石の名前じゃない御客は?」
「いるのはいるよ。ただ廓の中の芸者にも序列がある。僕はこれでも一応、蒼玉の一番手を名乗らせてもらってて、御客も高位中の高位しか来ないんだ。だから御客も固定になって、名前を覚える苦労は減ったよ」
「なるほど」
「初めは、向こうと同じ覚え方で相手を覚えてもいいけど、高位になるほど自分で名乗ってくれなくなるから。ほら、さっきの宮番たちみたく」
「確かに…」
「『見たら分かるでしょ?』みたいな妖ばっかりだから。分からなくなったら、宮番に聞いて。最初はちゃんと近くにいてくれるから。人間を、妖のそばに放置できないし」
「ああ……」
(妖力とか、言ってたやつ?)
何だか危険なものなのは分かったが、翠月は御客の妖よりも、同僚になる芸者の妖の方が警戒すべき対象かもしれないと思い始めていた。来てすぐの段階で、所作と書道、筝曲は活かせると一番手である天月に言われているのだ。芸者同士での嫉妬もあるらしい。
翠月は、今までずっと自分が特殊だと思ってきた。目の色が緑なこともそうだ。
(普通は、家にない宝石も、使わない草書も、演奏しないお琴も、着ない和服も、ここでも全部活きる……)
「そろそろ見世の準備があるから戻らないと」と言いながら、天月が立ち上がったのを見て、翠月も立つ。天月を少し見上げてから、体勢を整え頭を下げて、礼を伝えた。
「そんなかしこまらなくていいよ、むしろ一気に話し過ぎちゃってごめんね。分からない事があったら聞いてくれたら。あ、手紙を書いてくれてもいいよ。緑翠さまには声を掛けておくから、ここで楽にしてて」
「ありがとう」
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