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第一篇
8.蒼玉宮の一番手・天月 3
しおりを挟む「翠月って、何歳なの?」
「十四」
「若いね、芸者見習いでは最年少かも」
「天月は?」
「十八。去年来て、ここで暮らしてる」
「…天月?」
「宵さん!」
名前を呼ばれた天月が振り返る。ちらっと見えた男の妖は、緑翠よりもだいぶ大柄、短い黒髪で、少し威圧感がある。
「ちょうどよかったです。緑翠さまに言われて、新しい人間を案内してるところで」
「ああ、道理で皆の気が立ってるわけだ…。宮番への顔合わせは?」
「まだ、これからです」
「連れてきてやる。ちょっと待ってろ」
天月と話した男が去っていく。会話から、宮番を呼びに行くのだろう。天月が、翠月の方に向き直る。
「今のが、僕の上司。蒼玉の宮番の、宵さん。それぞれの宮に責任者がいて、その妖を宮番って呼ぶんだ」
翠月が握ったままの紙に、天月が名前を書いてくれる。
===========
紅玉・東雲
黄玉・黎明
蒼玉・宵
藍玉・暁
瑪瑙・月白
黒曜・烏夜
===========
「読める?」
「うん、大丈夫」
「すごいね、ほんっとに苦労しなさそう」
「天月、いるのか?」
「あ、月白さん。烏夜さんもいます?」
「ああ、いるぞ?」
「紹介したい人間がいるんです」
「ん、人間?」
地下からふたり、目を細めながら上がってくる。月白と烏夜、天月のメモによると黒系宮の宮番だ。ふたりとも真っ黒の着物を着ているが、片方は白帯、片方は黒帯。名前通りだと、思っていいのだろうか。
「昨日来たんですって」
「俺たちのところへは来ないってことだよな、天月といるんだから」
「芸者見習いになるんだと思います。翠月です」
天月が紹介してくれたので、会釈程度に頭を下げておく。翠月は身長が低いため、最敬礼をすると必要以上に頭が低く見えると、昔習った時に言われた。それでも行儀として成り立つのかどうか、その場にいた大人たちが悩んでいたのを思い出す。
(結局は、相手へのお気持ち次第と言われたんだっけ)
「緑翠さまも、たまに妙なことをする」
「天月を蒼玉に入れたりとかな」
天月を含め、全員が笑っているから、天月はそういうポジションなんだろう。
(人間だけど、芸者として成功して認められてる…的な?)
「天月」
宵の声がして、月白と烏夜は天月に手を振りながら戻っていった。踊り場に違う男が増える。
「こちら翠月です。芸者見習いになるはず」
「天月が連れてるんだ、そうだろうよ」
さっきも聞いたセリフだ。人間でこの空間に居ることが、本当に珍しいんだろう。
天月の書いてくれたメモを見る。この妖たちは全員紺色の着物だが、宮の色と一致する扇子やピアス、ブレスレットで誰かは判別できた。
「所作は、天月よりできそうだな」
「大当たりです、黎明さん。話を聞く限り、書と楽も期待できそうですよ」
「へえ、楽しみにしておくよ」
「それなら、うちとは関わりが薄くなるかもしれないが、一応覚えておいてくれると」
「はい…?」
「そのうち分かるよ」
(紅玉の宮番・東雲さんとはあまり関わらない…?)
翠月に疑問を残して、東雲と黎明と思われるふたりが離れていく。宵だけが、残った。
「翠月、もし僕が蒼玉にいる時に用事があれば、宵さんに繋いでもらって。大柄だけど、怖くないよ。優しいから」
「よろしく」
会釈をして顔を上げると、宵が歯を見せて笑っていた。
「本当に、天月よりできそうだな」
「宵さんまでそれ言うんですか」
「来た時の伸びしろは天月の方が間違いなくあった」
「それ褒めてないです!」
「ははっ。天月、見世には間に合うように帰ってこいよ」
「はい」
とりあえず天月と宵の、仲の良さは伝わってきた。お互いに敬意のある中で、言い合ってるだけだから、どちらも怒らない。
「今のが、宮番たち。みんな自分で名乗らなかったけど、誰が誰かは分かった?」
「身に着けてる色で」
「うん、流石。装飾で見分けてくれたら。世話係とか他の妖も、着物の色で所属が分かるよ」
「察しが良くて助かる」と、天月が褒めてくれる。緑翠も、緑色の垂れるタイプのイヤーカフを着けていたし、ここにいる妖はみんな、何かしら色のあるものを持っているのかもしれない。翠月が着けている緑翠の指輪も、淡い緑だ。
天月は特別、蒼玉らしい青い物を持っているようには見えない。そう思いながら天月を見ていると、目が合った。瞳が、青い。だから、特別青を身に着けてはいないのか。
「…この踊り場から下には芸者が来ないから、ここで話すんだけど」
天月が声を潜めて話しかける。「今日話すことじゃないかもしれない」と前置きをしながら、続きを聞かせてくれる。
「芸者はみんな、実家よりも身分の高い家に身請けされようと頑張ってる」
「身請け?」
「深碧館から出るために、御客に大金を払ってもらうんだ。自分を買い取ってもらうんだよ。それができれば、将来が安泰なんだって。ここはそういう世界なんだ」
天月は、少し顔をしかめて言う。受け入れるのに時間がかかったことを、隠さなかった。
(安泰…。働かなくても生活できるってこと?)
この世界の女の妖がどう暮らしているかなんて、翠月には分からない。しかめ面の天月にはなんとなく聞きづらい。たぶん、全部が全部、そのうち、自然と分かることなんだろう。
「平民出身だからって、みんな言ってる。御客は質のいい和服を着てるから、見たらすぐ高貴な妖だって分かる。深碧館に来れる御客は、一定以上の家柄らしいよ。知り合いの伝手がないと入れないから、その時点でいい条件の身請け先が揃ってるんだって。身請けされれば、妾だったとしても地位は実家より上がるから、芸者同士で御客の取り合いになって、気に入られようとみんな働くんだ」
「妾?」
「配偶者以外の相手。昔は妻以外の女を指したらしいけど、今はもう性別関係なく、愛人のこと」
「なるほど…」
(…働くって、なんだろうね)
昨日までの翠月は、中学二年生だった。クラスで浮いているのが分かって、人と合わせることを辞めた。ひとりで行動することに慣れてしまった。
翠月の両親は仕事中毒で変わり者、我が道を行くタイプ。社会生活に馴染めていようがいまいが気にしない人たちだった。
(お父さんとお母さんは、好きなことでお金をもらってる。宝石と、お琴)
それを思い出すと、何かのために仕事を頑張るのもひとつだが、仕事自体を好きで居られる方がいいのかもしれない。勉強も、受験のためとかよりも、ただ知識欲を満たすのが好きという人の方が成績がいいのも知っている。
「でも僕たち人間に、そんな動機はない。元の世界に帰れないから、僕は純粋に楽しんで芸者をやってるだけなのに、攻撃される。人間なのもあるし、仕事が余裕そうに見えるらしい」
「攻撃?」
「陰口とか。『人間のくせに、一番手を名乗るなんて』ってよく言われる。見えないところで好きに言うのはまだいいんだけど…、楽しんだ結果なのに」
(陰口を言われるのは、確かに…)
天月は一重でも目は大きめで、瞳は青い。緑の翠月と同じく、日本人には珍しい。人間の世界にいた時に、良いことも悪いことも、何かしら言われたことがあるはず。だから余計に、楽しめているこの世界で、責められるのが嫌なのかもしれない。
この世界で、人間は珍しい。そして、虐げられやすい。これが、まず覚えて意識しておかないといけないことだろう。
(…結局、向こうと一緒だ)
「まあ、妖の芸者同士でも嫉妬はあるみたいだから、人間を攻撃しやすいのも分かるんだけどね。今の僕には宵さんがいるし、宵さんができる限り届かないようにしてくれる。翠月には、緑翠さまがいるよ」
「楼主さまが?」
「うん、そうか、そう呼ぶように言われてるんだね」
翠月が頷くと、天月がまたふっと笑った。「僕も、前はそう呼ぶように言われてた。みんな『緑翠さま』って呼ぶから、しれっと呼んでも怒られなかったよ」と、教えてくれた。
「配属が決まったら、そこの宮番が守ってくれる。まだ分からない事とかしっくりこない事の方が多いと思うけど、気を付けてね」
「うん」
その天月の言葉から、翠月が全てを理解していないことがバレていて、安心した。とりあえず、何も耳にしていないよりはいいんだろう。
「翠玉の広間に戻ろうか。あそこなら、外も見えるし」
番台を通って戸を開けて、薄暗い中にある梯子を上る。深碧館と比べると、翠玉宮は光が入っていない。だから、初めに番台に入った時、かなり眩しく、明るく感じた。翠玉宮の広間に、緑翠の姿は見えなかった。
(光に当たると綺麗な銀髪なんだよね、あの妖)
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