妖からの守り方

垣崎 奏

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第一篇

6.蒼玉宮の一番手・天月 1

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天月てんづき
「おはようございます、緑翠さま」
「はよ」
「珍しいですね、こんな時間から蒼玉そうぎょくにいるなんて」
「紹介したいニンゲンがいるのだが」
「…え、今なんと?」

 今ではすっかり蒼玉宮に馴染んで生活している天月を、翠玉宮すいぎょくきゅうの広間へ連れていく。

 天月は男だが、男を誘う男色芸者だ。こちらに来たての頃は、緑翠の結界の妖力に当てられ気味で、翠玉宮では辛そうに過ごしていた。今はもう妖力に慣れ、深碧館しんぺきかんの中を好きに動けるようになったはずだが、翠玉宮は避けられている。妖たちには「基本的に入るな」と言ってあるが、天月はニンゲンだ。何かあった時の避難場所として、「使っていい」と言ってある。

「翠月」
「はい、楼主さ、ま?」

 緑翠の後ろにいた天月を見た翠月が、首を傾げた。広間にニンゲン同士を向かい合わせて座らせる。緑翠は、天月の横に腰を下ろした。

「蒼玉の一番手、天月だ。翠月と同じニンゲンで、宮番・よいの贔屓だ」
「緑翠さま、贔屓では…」
「本当のことだろう?」

 天月は華奢で背も低く、男にしては肩幅も狭い。男色ではない緑翠からしても、とにかく庇護したくなる容姿だった。

 楼主として天月を評価するなら、稼ぎの安定した蒼玉宮を代表する男色芸者である。きちんと見世で御客を引き付け、すぐには床に入らない、深碧館の芸者全員の手本となるような芸者ニンゲンだ。楼主である緑翠に、理由なく絡むこともない。流石、宵が育て上げただけはある。

「翠月は自分でこちらに渡って来たようだが、天月は俺が攫ってきた。戸惑うことも、天月になら聞きやすいだろう」
「攫われてはないです」
「似たようなものだ。天月、いろいろ教えてやってくれ」
「分かりました」

 ニンゲンのふたりから少し離れ、声は聞こえるほどの距離で、遠目に確認をする。同じニンゲン同士、通ずるものがあるのだろうか。匂いが似ているのもあるが、纏っている雰囲気も似通っている。

「…天月テンヅキさま」
「呼び捨てでいいよ、芸者は先輩後輩よりも稼ぎが物を言う世界だし。僕以外には、さん付けでいいくらい。もちろん、緑翠さまと朧さまを除いてね」

 やはり、先に口を開いたのは翠月だ。呼び慣れないためか、少々発音がぎこちない。

 天月は、久々立ち入った翠玉宮からの景色を眺めるように、露台の手すりにもたれながら、たまに翠月を振り返っている。翠月はというと、天月に近づきはしたが、腰を下ろすでもなく、直立している。

「瞳の色…」
「ああ、僕は向こうの世界で言うニホンジンだけど、青いんだよ。翠月スイゲツもニホンゴ話してるしニホンジンだよね? ここだとみんな、いろんな色をしてるから、その緑の目も紛れるよ。ねえ、翠月スイゲツってどんな字書くの」

 天月の言葉は、たまに理解できない時がある。こちらでは使っていない向こうの単語だと割り切っているが、そんな言葉が出てくることは稀だ。

 天月が、懐から紙と矢立を取り出して、翠月に渡した。その使い方も、天月には教えた記憶があるが、翠月は自分で使い方が分かるようで、さっと構えた。

「たぶん…」
「え、ごめん、矢立、使えるの?」
「あ、うん、書道習ってて家でも見た事あったから…」
「ああ、なるほど! 字も綺麗だもんね、しょをやるといいよ」
「書?」
「そういう見世の稽古があるんだ。筆貸して。これで、天月。簡単でしょ?」
「月…」
「緑翠さまに、何か関係があるんだろうね、本名じゃないよ」

 天月も、翠月と同じく名付け親は緑翠だ。ふたりとも、本名は宝石に関係がある。こちらの世界では、特定の貴族しか持ち得ない名ゆえ、名乗らせることはできない。

 《月》を入れる理由は簡単で、妖しく揺れた月の夜にしか、緑翠はあちらの世界へ出向かない。その偶然の夜にしか、ニンゲンとは出会わない。ただ、それだけだ。

「…楼主さまに、そう名乗るように言われたの?」
「うん」
「一緒だ…。名乗っちゃだめだって」
「そうだね、ニンゲンだからかも」

(…天月が、楽しそうだ)

 翠月の理解者になってくれると思って会わせてみたが、天月が笑って話すのを見ると、同じニンゲンがいることが、余程嬉しいようだ。

 深碧館に来たニンゲンは、戸惑いが消えないままに失踪して、帰って来ない。元の世界に戻ろうと、廓から出てしまうのだろう。緑翠の手の届かないところで何が起こるかは、決まっている。

(生きてはいられない。妖力に負けてしまうのだから)

 天月はそうならなかったニンゲンだし、翠月も深碧館に残ってくれると信じている。あの瞳が、そう言っている。

「ここの人たちは、ニンゲンじゃないの?」
「僕たちのことは、匂いで分かるらしいよ。妖ってみんな言うけど、妖力と発情期があること以外はニンゲンと一緒」
「妖力と発情期?」
「うーん、言葉で説明するのが難しい。僕は宵さん以外の妖力を受けすぎると気を失ってしまうし、熱にうなされるんだけど…。暮らしていれば、だんだん分かってくると思う」

(妖力か…)

 緑翠は、自分の妖力を他者へ向けて、心の揺れを知るために使うことが多い。本来は結界のような防衛、神社の本殿へ立ち入る際の身分証明などに使われる。他にも、例えば朧は気配を追うのが上手いし、春霖・秋霖は物を浮かせるのが得意だ。攻撃として使うこともできるが、牽制程度で使う機会は少ない。

「発情期はたぶん、向こうの動物と一緒。妖によって強さとか頻度はまちまちだけど、したくなる時があるんだって。だから、こういう商売がこれだけ目立っても成り立つ」

 発情期も妖力も、ニンゲンにはない。少なくとも、緑翠が関わったニンゲンは皆持ち合わせていなかった。

 緑翠は、妖力は強いが発情期は薄い、変わった妖だ。基本的に、妖力と発情期はそれぞれの強さに比例する。高位貴族であればあるほど、妖力も強いし発情期も頻繁にある。それだけ、血縁を残すための本能が残っている証拠だ。

 ゆえに、高位の妖で、発情期があるはずなのにそういった素振りを見せない緑翠は、深碧館を継いですぐの頃、平民出身の芸者や宮番に不思議がられた。下町に暮らすのであれば必要のない知識だが、ここは廓だ。平民出身の妖でも知っているのが当然だ。

 高位貴族の中には、薬剤を使って発情期を抑制している者もいるし、緑翠もそれに倣っているが、実際は飲んでいない。薬に頼らなくても、特に興奮することがないし、行為に駆られることもない体質なのだ。

「天月は、ここで何を?」
「男の御客を取ってる。食事の相手をしたり舞を見せたり。床に入ることもあるけど、女の子はそこまでないんじゃないかな。この花街だと深碧館ここしか男色芸者はいないし」
「床?」
「一緒に寝ること」
「……」
「そういうこともするところだけど、理解が追いつかないよね。全部、これから分かってくると思うよ」

 床は、いずれ。あの様子なら、教養を勉強できるだろうから、床はずっと先になるかもしれない。

「せっかくだし、建物を案内してあげる」

 天月と共に翠玉宮を出る翠月を止めなかったし、ついても行かなかった。天月は、深碧館の中をニンゲンが歩くことへの理解がある。任せておいて問題ない。

 芸者や宮番、世話係、侍女・近侍も、天月の他にもうひとり増えたニンゲンに違和感を覚えるはずだが、ニンゲンだからこそ直接は近づかないはず。おそらく、芸者の一部は宮番に文句を言うだろうが、その対処は朧に頼んである。

(…さて、記録を片付けるか)
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