隠密王子の侍女

垣崎 奏

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 セオドアの仕事は王家の中でも特殊で、基本は隠密調査だ。お忍びで市井へ降りて、噂や綻びを集め、事実調査をして証拠を固め、告発する。

 体調に影響のない薬で見た目を変えることもあり、ノアが帰ってきたセオドアを出迎えると、よく目や髪の色が変わっていた。ノアと市井で会った時はたまたま何の変装もしておらず、フードを被っていただけだったらしい。あの頭を覆う布のことをフードと呼ぶことも、ノアは初めて知った。

 奴隷時代、遠目で見た主人は、いかにも貴族の格好をしていた。絶対に余分な布をひらひらとまとい、奴隷のノアとは比較にならないほど良い物を着ていたのを覚えている。

 セオドアが王家として着飾る姿を見たことはなく、市井の民衆に馴染む、気楽な服を好んだ。ノアにとっては、立場を意識して必要以上に気張ることがなく、ありがたかった。

「この部屋にいる時は、名前でいい。外では殿下と」
「分かりました、セオドア様」

 現状、使用人であるノアにとって、セオドアからの頼みは命令で、絶対だ。セオドアにそうして欲しいと言われれば、応えるまで。


 ◇


 セオドアは、仕事の都合がつけば、ノアと食事を一緒に摂る。ノアがきちんと食べているか、気に掛けているのがノアにも伝わってくる。湯浴みも毎日行い、身体を拭くだけで終わる日すらもない。夜には同じベッドで、その日にやった仕事内容をノアが話しながら、ゆっくりと眠りに落ちる。そんな一日のルーティンが、出来上がった。

 奴隷として働いていたノアは、幼い頃に躾けられてからは、ひとりで何でもこなした。こなすしかなかった。こんな風に、寄り添ってもらったことはなかった。

 基本は仕事で留守にするセオドアが部屋に戻っていると、ノアは気を張り詰めるのが難しくなった。ただ本を読んでいる姿でも、紅茶を飲んでいる姿でも、空を眺めて溜息をついている姿でも、ほっと気が抜けてしまう。やらなければならない仕事は頭に思い浮かぶのに、セオドアをしばらく眺めていたくなる。

 これでは、専属使用人として失格だ。主人の邪魔にならないよう、いかに快適な身の回りを整えてあげるかが、使用人の腕の見せ所だと言うのに。

 そんな自分に戸惑い、ノアはセオドアとの会話を避けた。それでもベッドは同じで、セオドアに背中を向ける。

「僕が何かした? 嫌なことがあるなら言って欲しい」
「セオドア様は何も」
「なら、どうしてこちらを向かない? 顔を見て眠りたい」
「……はい」

 無視できない身分差があって、ノアが折れた。何故か、セオドアはいつもノアの手を握って眠る。ノアは、その理由を未だ見つけられていなかったが、何だか気分が落ち着くのもあって、尋ねることもしなかった。奴隷時代の癖が抜けず、ノアが自ら質問することはほぼなく、淡々と指示をこなすだけだった。


 ◇


 今日のセオドアは王子として、王家の公務に出る、珍しい日だ。外国からの来客を迎える、王家の食事会らしい。

 普段は庶民的な服を好むセオドアだが、今回ばかりは豪勢な装飾のついた服が用意され、その着付けをセオドアから直々に説明されながら、ノアが手伝った。

 侍女として待機するノアは、着飾ったセオドアを壁に近いところから見ていた。この場にセオドアが居ることがよっぽど珍しいのか、セオドアは自国側からも注目を浴び、ノアと私室で話すよりもずっと硬い表情で時間を過ごしていた。

 その姿に、ノアの背筋が伸び、何故か下半身に熱が集まっていく。流石に、奴隷として育ったノアでも、これが何かは知っている。女性用の仕事着で、下半身がふんわり広がっていて助かったかもしれない。男性用であれば、下半身は身体のラインが沿うデザインが主流だ。

 できるだけ普通に見えるよう、そっとホールを抜け出し、使用人用のトイレに向かった。個室に入ると鍵を閉めて、スカートを捲る。現れたノア自身は、感覚の通り大きく硬く反り返っていた。

 奴隷時代には、仕事中にこんな事態に陥ることはなかった。生理現象として朝に勃つことはあっても、昼間にはならなかったし、抜かないと辛いなんてこともなかった。そんな余裕を感じたことが、そもそもなかった。

 ただ、どうすればいいのかは分かる。自分の手で包み込み、上下させる。

「ふっ……、は……」

 声を必死に抑える。仕事中にこんなことをしているとバレれば、どうなるかも分かっている。それでも、ノアにはこうする以外に対処を思い付けなかった。

 先走るものも多く、手で滑らかに刺激を続ける。脳裏には格好良く着飾ったセオドアを思い浮かべ、最後の刺激として、ぎゅっと掴んで速く数回動かし、放出を迎えた。

「くっ…………、はあ、出た……」

 余韻に浸っている時間はあまりないと、はっとする。専属侍女であるノアは、セオドアが帰ってくる頃には私室に居なければならない。急いでスカートを戻し、手を水で流した後、いつもの仕事場へ足を向けた。

 何故、セオドアを見て勃ったのだろう。服装がいつもと違ったのは確かで、セオドアが他の貴族男性よりも格好よく見えたのも間違いないが、ノアは、自分の生理現象に納得できなかった。


 ◇


「幼い…………」

 ベッドを共にするセオドアは、ノアの年齢も育ちも、ノア自身から聞いていた。年齢に関してはおそらく十八歳。小さい頃に売られたこともあって、正確なものは覚えていないらしい。男性にしては声も高く背も低く、身体の厚みも薄いのは、年齢が異なるからなのか、奴隷生活の栄養失調のせいか。

 初めは手を握るだけだったが、抱き枕のように抱えて眠ると、その骨張った身体からもあたたかさは感じられる。市井で見てからずっと、瞳の強さが忘れられず、近くにいて欲しいと願ってきた。当時十八歳だったセオドアの、遅い初恋相手がノアだった。

 闇に隠れていた勢力を、上手く囲い込めて本当によかったと、ノアの寝顔を見ながら毎晩思う。ノアの穏やかな表情と息づかいに、いつの間にかセオドアも眠りに落ちる。隣にノアがいることで、より深く眠れるようになった気がする。


 セオドアはノアに、敬称や敬語を止めるように伝えた。私室の外と内で、名前の呼び分けができることも分かった。それならば、言葉ごと分けて欲しいと。ノアは「分かった」と、一言で了解してくれた。

 ただ、その了解には、ノアの意思が反映されないことも、セオドアには分かっていた。

 どうしても、身分差が付きまとう。奴隷として過ごした時間が長かったノアに、いくら気楽に接して欲しいと言っても、おそらくそれがどんな態度なのか、ノアには想像できない。だから、言葉を変えて欲しいと、具体的に伝えたつもりだが、果たして。

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