ふたりで居たい理由-Side H-

垣崎 奏

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H-39.スタジオ

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☆☆☆


父親の手が私に触れたのはいつぶりだろう。あまり考えたくはない。一応、父親の転勤でここに来た。関係作りが一旦落ち着いて、余裕ができたに違いない。おかげで上手く寝つけなくて、普段以上に眠りが浅かったんだろう、少しふらふらしながら身体を起こした。

あいつ小林よりもずっと、ゾッとした。自分の親でもちろん年も離れてるから、その感覚とか常識は間違ってないと思う。やっぱり、父親と遭うのは避けないといけない。

私はずっと同じことしか言わないのに、クラスメイトはチャイムが鳴るまで絡んでくる。ついでとばかりに、あいつの声も聞こえる。とにかく平常心でいること。父親と遭ったせいで、あいつの言動に、今までよりも反応しそうになる。父親と重なるから、こいつが嫌いだ。





午前中を終えるチャイムが鳴って、保冷バッグを持って図書室に逃げ込む。教室で過ごす時間を、できるだけ減らしたかった。今までも、これからも。


「…どうしたの? 寝不足?」
「ちょっと問題があって」
「私でよければ、聞くわよ?」


普段の私なら、もっと繕えたはずだ。こんな言い方になって、立花先生に話さないといけなくなった。

別に、この人には聞いてもらっていてもいいとは思った。これから、面倒な手続きはたくさん待っているのは、今までの転校経験で分かっていること。学校に、知っている人がいるのは大きい。

先生は、ご飯を食べた後、保健室で出している麦茶をくれた。それを手に、両親のことを話した。





「きっと、私たち教員が知らないだけで、そういうのを抱えながら学校来てる子って多いのよね。担任には話にくくても、私や養護教諭みたいな、教科から離れた教員には話せる人もいるし……」
「…そうですね」
「よかったわ、お話聞けて。担任の先生は知らないのよね?」
「はい」
「分かったわ、ここだけの話ね」


やはり、立花先生には話してよかったと思えた。私が担任に話していないことも、悟ってくれた。





基樹くんは、ギターを取りに帰ってからシューペに来る。私に待ち時間ができるのは当たり前だった。

それでも、少し考えてしまう。今まではずっと、基樹くんが裏道で待っていて。そんなに長く待つわけではないけど、そう思ってしまった自分が嫌になる。

(結局は、利用してるだけ…)

どうやら、寝不足にだいぶやられているらしい。久々父親に会った衝撃も、たぶん今まで以上に強かった。

自転車を降りて、空の一点を眺めていると、自転車の音が聞こえ、すぐに目を向けた。


「待った?」
「ううん、お疲れ様」


普段と、何も変わらない、放課後の挨拶だ。今日はギターを持っているのもあって、妙に意識してしまった。

基樹くんは、自転車を停めた後、その流れで中央駅方面へ歩き始める。携帯を出しているその顔は、ちょっと白い気がする。会話を振ろうとは思えなかった。


「あ、いた! こっち」


中島さんの声がして、振り返ると、手を振ってくれていた。早足で、その路地へと入った。


「やっぱ目立つな、お前ら」
「え」
「美男美女すぎる」


あえてその言葉を聞き流した。基樹くんも触れなかったから。

緊張した基樹くんの後ろについて、バンドのポスターだらけの地下への階段を降りると、分かりやすく受付カウンターがあった。


「三号室の中島です。ふたり追加で」
「はいよ、入館記録だけ書いてくれるかい?」


それぞれ名前を書いて、中島さんについていく。三号室の、ライブハウスと似たような防音扉を中島さんが開ける。


「どうぞ、ここで練習してるんだ」
「こんにちは」
「あれ?」
「あ、長谷川さんも来たんだ?」
「知り合い?」
「同じクラスの…」


顔は見たことあるけど、名前は分からない。


「名前知らないんだろ、興味なさそうだし」


そう言って笑ったのは、聞いたことのある声。あいつに絡まれたあの時、助けてくれた声だ。


「北原啓斗けいと。ギターやってんの。覚えといて」


北原くんに、そう笑い掛けられた。短い黒髪で、私と同じく地味目な見た目。西高では珍しい部類の人だ。

この人だったんだ。あの発言を出せるなら、学校でも味方になってくれる。基樹くん以上に距離を縮めようとは思わないけど、クラスメイトとしては、仲良くなっておくべきだ。


「こっちがオレの兄貴」


他校の先輩中島さんが、ドラムの中心に座ってる人を指す。兄ということは、中島さんよりも先輩だ。座っているのに、明らかに何かスポーツをやっていたのが分かる、大きな体格をしていた。


「尊敬の尊で、中島たける、市立大二年。ややこしいと思うし尊って呼んでくれていいよ」
「で、オレがベース。前野がよければ、ここにギタボで入ってほしい」
「……」


基樹くんは、返事をしなかった。その目線を追って、スタジオの部屋の中を見回してみる。防音室の壁。実際に間近で見るドラムセット。私が名前を知らないような、ライブハウスのステージにあった物が、ここには用意されている。


「長谷川さん、ここよかったら座って。それとも何か楽器できる?」


首を横に振った。音楽の授業で使うリコーダーで精一杯で、他に何か操れる気はしなかった。キーボードの椅子に浅く座り足を伸ばして、ギターを下ろした基樹くんの準備を見た。


「前野、とりあえず何か歌ってみてよ。琴音さんが『声がいい』って言ってたんだよね」


航さんと北原がマイクを準備し始めて、基樹くんもギターを取り出す。


「いつも弾き語りは地べた? イス?」
「地べた」
「じゃあマイクの高さはこれくらい?」
「使ったことないから分からないです」
「スタジオ初めて?」
「はい」
「アコギだよね?」
「はい」
「この辺置いたら音拾うかな?」
「とりあえず大丈夫じゃないっすか」


基樹くんは、北原くんと中島さんのペースに押されつつ、裏道と同じように胡坐をかいていた。


「ライブ出るならピックアップ要るな」
「ライブ? ピックアップ?」
「もしバンド組むなら、いつか出てみたいじゃん。ピックアップは弦の音を拾うマイクみたいなやつ。エレキについてるパーツだよ」


話してる内容は楽器のことで、私には理解できなかった。でも、たくさん話しかけられてるからか、基樹くんの顔から緊張が抜けているような気がした。

(…いや、違う。ここが《外》だからだ。気が紛れてるんじゃない、張ってる)

明らかに、シューペからここまで歩いて来た時とは、表情が違った。気付いてしまった。絶対、基樹くん本人には伝えられない。こんなに気を張ってるとは、知られたくないだろうから。


「譜面台は要らない?」
「とりあえずは」


そう言って、基樹くんが私を見た気がしたから、頷いた。ギターを構えて、歌い始めた。私がよく聴いていた、基樹くんの十八番。

歌詞が二番に入る頃には、もう弾き語りではなくなっていた。周りのバンドメンバーが、基樹くんに合わせて演奏していた。

基樹くんの歌は今まで聴いていたのと変わらないはずなのに、違和感がある。バンドになってライブハウスで聞いたような音になって、圧が増えたからかもしれない。ここはスタジオで練習場所だから、ライブハウスほどの凄さは感じなかった。

余韻を少し楽しんだ後、裏道でしていたように拍手を送った。


「いいんじゃない?」
「歌、習ってるの? ボイトレとか?」


基樹くんは、首を横に振る。私と会う前から、あの裏道でひとりでギターを弾いていただけのはず。


「琴音さん、正しかったな」
「前野、オレらとバンドやろう」


基樹くんは、少し考えるように間を置いてから、頷いた。これから先も、基樹くんの歌声は私だけのものではなくなった。





みんなが帰る準備をする中、私は特にできることがないまま待っていた。変に手を出して、楽器を壊すのも嫌だと眺めていると、航さんに声を掛けられた。


「長谷川さん、IDちょうだい」
「私ですか?」
「うん、次もふたりで一緒に来たらいいよ」
「楽器、何もできないですよ?」
「大丈夫、そのうちやること出てくるから。全体の音を聞いてくれるのだって、ありがたいし」
「はあ…」


初対面の時から変わっていない、ぐいぐいと話しかけてくる強引さ。今もまだ慣れないし、連絡先の必要性も感じない。基本的には、基樹くんだけ繋がっていればいいと思うけど、断る方が面倒そうだった。





「ごめん、今日神社寄れないや」
「うん、大丈夫だよ、ありがとう」


言われると、思っていた。スタジオは地下で、始めての経験だったこともあって、時間を忘れていた。

シューペから自転車を押して歩く。いつも基樹くんとふたりで過ごしていた時間を、バンドメンバーと共有しただけだ。きっと、これからはこういう日も増えるはず。私は、いるだけでいいと言われたから、誘われたらついて行くだけ、誘われなければひとりで図書館に向かうだけだ。


「…これ、持って帰って」
「いいの?」
「うん」


基樹くんから渡された、いつものおにぎりを受け取った。





昨日会ったところだから、きっとしばらくは父親に遭うことはない。ただ、父親が夜に帰って来れる余裕を持ったなら、母親もそろそろなんだろう。出遭ってしまう覚悟を、決めておかなければ。

そう気を張った割に、寝不足が響いていたのか、瞼はすっと落ちた。

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