ふたりで居たい理由-Side H-

垣崎 奏

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H-33.見学 1

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☆☆☆


黒のトップスに、グレーのパンツを合わせる。シューペの店内は暗いし、接客には向かないかもしれないが、基樹くん曰く今日は見学らしいし、とりあえず今日はこれを着ていくしかない。

荷物を置けるのかは分からないし、ようやく読み終えて新しいお話へと移った文庫本を数冊持って、外に出た。広場で時間を潰した後、シューペに向かう。

昨日、基樹くんは裏口があるらしい方向から自転車を押して出てきたけど、私はその位置を知らない。相変わらず早く着いてしまって、迎えに来てもらって一緒に来ればよかったと少し後悔しながら、シューペの表、目立ってしまうがお客さんの駐輪場で基樹くんを待った。

シューペの外観を眺めてみると、いかにも古い邸宅をそのまま利用している跡がいくつも見えてくる。隣にあるシンプルなビルやマンションとは違って、柱や屋根の縁に装飾がある。コンセプトを持って建てるなら、きっとこんな馴染めない場所には建てない。やっぱり、古くから残る建物だと考える方が自然だ。

自転車のタイヤが回る音に気付いて、顔を向けると、意外と基樹くんはすでに近かった。


「早いね、待った?」
「ううん」


私が表で待っているのは予想していたんだろう、基樹くんは目の前で自転車を降りた。後ろをついて、案内された外階段下の従業員用駐輪場に停める。

駐輪場の奥に見えるドアから入ると、壁にロッカーが並んだ、いかにも事務所が広がっていた。接客をしてくれた店長さんが、パイプイスに座って、簡易テーブルに載せたノートパソコンに向かっていた。


「おはようございます」
「お、基樹、おはよ。もうそんな時間か」
「長谷川さん、一緒なんですけど」
「あっ!」


店長さんが立ち上がって、ロッカーのうちのひとつを開ける。そこが、私に用意されたのロッカーなんだろう。

基樹くんは、私を名字で呼んだ。バイト先として、距離を取りたいんだろうと理解した。たぶん、休憩とかで話す分には、いつも通り呼ぶんじゃないか。


「準備はしてある。決して忘れてたわけじゃないからな」
「…わざとらしいですよ、かえって」
「基樹、ホールの準備」
「はい」


基樹くんが、呼び捨てされている。前に来た時もそうだった気がするけど、馴染みすぎてて違和感が無かった。この人は基樹くんと仲良くしてる大人で、店長とバイトの立ち位置、私にとっても無害な大人なはず。私が来ることを忘れていたかどうかなんて、気にならなかった。

キャップを外した後、エプロンを付けた基樹くんは、事務所の奥へと消えていった。


「…改めて、店長の服部です」
「長谷川です」
「長谷川さんね。誘いに乗ってくれてありがとう。今日お給料出ないけど、大丈夫?」
「はい」


事務所に、基樹くんを呼び捨てする男性とふたり。構えて名前を言わなかったが、そのまま名字を呼ばれたことで少し安堵した。ロッカーの説明を受けて、荷物を置いた。

今日は、一番端のカウンター席で基樹くんの動きを見ているだけの、本当に見学の日らしい。服部店長に余裕があれば、説明もできると思うけど、お客さんが居ればもちろん、お客さんが優先になる。それは、言われなくても分かっていた。

店長と一緒に事務所からホールへと出る。基樹くんの邪魔をしないように、ボックス席の中に入って座らせてもらった。ワインレッドの渋い背のあるソファは、シューペの雰囲気によく似合ってる。お客さんが長居したくなるのも納得だ。

端のカウンターに座って、開店準備を続ける基樹くんを見つつ、更に店長からの説明を受けた。

シューペは入れ替え制で、開店から二時間で一旦お客さんが出て、新しいお客さんを迎え入れる。だから、オープン前に準備さえしておけば、店長と奥さんのふたりで十分回っていたらしい。奥さんの休みを増やすために、基樹くんに声を掛けた。


「ただ、基樹がどんどん開拓するから、もうひとり居てもいいなって」
「開拓?」
「基樹が勧めれば、ランチを終えたお客さんが追加のケーキとかドリンクも頼んでくれる。後半のお客さんでも、ふたりでケーキ三つとか。そういう期待をして採用したわけじゃないんだが」
「なるほど…」


学校ではその見た目で寄ってくる女子を嫌っているけど、どうやらバイトには活きているらしい。

(自覚、してるのかな…?)

いわゆる爽やか運動部系イケメン。長身に広い肩幅、長めの茶髪にラウンドの伊達メガネ。高校生には見えないだろうし、女性客ならすんなり追加注文してくれるのも、想像しやすかった。


「…店長、開けていいですか?」
「おう、今日もよろしく。長谷川さんは、ここで見てて。忙しくて構えなかったらごめんね」
「いえ…」


水の入ったグラスを、店長から受け取った。吊り看板を表に返し、基樹くんがお客さんを案内していく。

(あ……)

完全に、仕事モードだ。顔つきが全然違う。普段見るよりも、男性っぽい。大学生と言われても、違和感がない。むしろ、しっくりくる。





たまに店長の説明も聞こえてくるけど、ただその仕事ぶりを眺めているだけで、四時間はあっという間だった。飲食店のホールの仕事は、昔からカフェによく行くことで分かっていたし、それを実際にやっている知り合いもすぐ傍だ。きっと、慣れるのにも時間は掛からない。


「長谷川さんにも賄いあげるよ」
「いいんですか」
「もちろん」


今日の賄いはきのこのあんかけ風オムライスだそうだ。その言いぶりからして、毎日の残り具合によって変わるのだろう。


「中は白ご飯だけどな」
「ありがとうございます」

「これ美味しいんだよ」
「基樹はなんでも美味しそうに食べるから、差があるようには見えない」
「一応、嫌いな物もありますよ、辛いのとか」
「極端なやつだろ、大概何でも食べるくせに」
「ふふ」


基樹くんと店長は、たぶん知り合って一年くらい。それでも、ここまで冗談を言い合えるほど仲がいい。

そこにはちゃんと、カフェのオーナーと従業員って立場の線も引かれていて、ふたりともそれを踏み超えることはしない。だから、基樹くんも楽しそうにバイトを続けられるし、お店のためになることを言われなくてもやれている。

いい人間関係が、ここにもある。基樹くんの周りにいる大人は、フロイデの琴音さんも含めて、いい人ばかりだ。


「服、買ったんだよね?」
「うん、話してたやつ。でも昨日と今日で買った分見せちゃったんだよね。あの服屋さんで買うなら、こういうちょっとカッコいい感じが好き」

基樹くんと隣で食べる時、あまり話すことはなかったはず。なんとなく、ふたりとも食べ終えて、ゆっくりドリンクを飲みながら話すのが流れだったけど、今日のご飯は賄いだし、服部店長の目もある。ふたりきりじゃないのを、基樹くんが意識してる気がした。


「ゆっくり見れたんだ?」
「朝一に行って、店員さんのオススメを試着して決めた」


食べる手を止めて、一口水を飲みながら、何か考えるような基樹くん。何度か見た事のある、私を誘ってもいいのか迷ってるような表情だ。


「…違う服屋さん、見てみる?」
「服屋さんに一緒に行くの?」


(昨日、美容院に行ってるわけだけど…)

男女で行くことが珍しいのは知ってるけど、はさみが怖いことと天秤に掛けた時に、基樹くんと一緒に行くことを選んだ。基樹くんの私服はいつもバイトで着れるようなものだって聞いた。お店も、ひとつに決めているのかもしれない。


「うん…、綺麗目で、ちょっとカッコいい系。父さんの店で、家に優待券あるはずだし…」
「お父さんの?」
「アパレルデザイナーで店を構えてる。ちょっと外れて市立大の方だけど」


急に出てきた基樹くんのお父さんの情報に、驚きつつも言葉を返す。たぶん、今まで言う機会がなかっただけで、深い意味はないんだろう。


「行ってもいいの?」
「大丈夫、そんな忙しい店じゃないから。オンラインがメインだし」
「行きたい、こういうの欲しいし」


肩のあたりを摘んで、綺麗目で大人に見える服がまだ欲しいと、アピールする。知り合いというか、家族のお店があって、私の好みに合いそうなら、そこに行く以外の選択肢はない。基樹くんが、連れて行ってもいいと思えるなら、私は従うだけ。


「…明日とか?」
「……あ、そっか、祝日だ。基樹くんがいいなら」
「うん」


(こんな大事なこと、忘れることある?)

明日は祝日、学校には行けないから、どこかで暇を潰さないといけないのが決まってる日だった。学校に行って休みだと分かるのも恥ずかしいし、今分かってよかったけど。


「明日はどうする? 祝日だし、また賄い食べに来るかい?」
「え、はい」

服部店長に、誘ってもらった。たぶん、店長の中では、私がここで働くのは決まってるんだろう。そうじゃないと、労働なしに賄いをくれる意味が通らない。

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