ふたりで居たい理由-Side H-

垣崎 奏

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H-31.イメチェン 1

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☆☆☆


いつも通りのジーパンとTシャツに着替えて、コインランドリーへ。家に帰って図書館へ向かう時には、綺麗目の新しく買った服に着替える。多少の洗濯物なら、増えても大して変わらない。

基樹くんが、朝何時からシューペにいるのかなんて分からないけど、ランチに働くのであれば、なんとなく予想はできる。洗濯の待ち時間に、「おはよう」と一言送ってから、用件だけを伝える。


「髪、どこで切ってる?」
「シューぺの近くだよ」


携帯を置く前に通知が鳴って、落としそうになる。たまたま気付いて、すぐ返してくれたんだろう。


「どんな雰囲気のとこ?」
「こじんまりしてる」


バイトの準備の邪魔になってないといいなと思いつつも、どんな美容室へ行ってるのか、聞くのは止められなかった。返事に困っていると、基樹くんから追加で送られてくる。


「行く? オレもそろそろ切ってもいい頃だし」


気を、遣ってもらった。またそうやって、さらっと誘って来る。ひとりで行くつもりだったけど、これはこれで、知ってる人と行ければ、ハサミもそこまで怖くないかもしれない。


「いいの?」
「バイト終わりでも?」
「うん」
「十六時くらいに、シューペ来れる?」
「分かった、ありがとう」


その時間までにすることは、決まってる。図書館の自習室だ。ただ、今日はそれ以外にもやることがある。





洗濯の終わった服を干しながら、どの組み合わせで着ようかと、先週購入した大人な服を眺める。久々服を買ったものの、パターンは限られる。とりあえず一組決めて、もう一組は明日着ることになる。バッグやスニーカーは今までと同じだ。それでも、試着した時も変には見えなかった。

家で洗濯はできないけど、土曜の午前中にコインランドリーに行く時間はある。なんとか、手持ちの枚数でも土日だけは回せる。洗濯に掛けるのが遅くなるのは引っ掛かるけど、少なくとも基樹くんの前では、この大人な格好で居たい。

頬の腫れはだいぶ目立たなくなって、マスクをするほどじゃない。でも、口を開けるとまだ少し違和感がある。何かはお腹に入れておかないと、音が鳴ったら恥ずかしい。インスタントスープに浸したパンを流し込んだ。

図書館に行く前に、ショッピングモールに寄る必要がある。メインで使ってたメガネが、フレームごと曲がってしまったから。この前行った時には見向きもしなかったけど、あれだけ大きなモールなら、どこかにメガネ屋さんはあるだろう。修理よりも、新しく買う方がいいかもしれないと思いつつ、軽めに勉強道具をまとめたトートバッグにケースごと入れた。

ついでに、机の上にあったお菓子もバッグに放り込んだ。お昼を食べる予定はないし、たぶん基樹くんと美容院に行った後、人が来ないところでしゃべることになる。軽く食べられる物がある方がいいだろう。





ショッピングモールの開店と同時に、自動ドアを潜った。この時間に来ないと、駐輪場に苦労するし、今日は髪も変なままだ。できるだけ、人に会わない方がいい。それでも、店員さんに不審がられることは、覚悟して来た。案内板を見て、辿り着いたお店に入る。

体育の授業で、と誤魔化しはしたが、事情を伝えて、メガネが壊れて今掛けているのは予備だと伝えた。予想通り、やはり一から買う方がいいらしい。ウェリントンやボストンのような、レンズが丸くて大きいものが好みで、今まで掛けていた物とも予備とも似たような、黒縁のフレームを選んだ。

視力検査は、予備のメガネの度数を調べてもらうことで省略した。ショッピングモールなんて人の集まる場所に、この髪型で長居できるほど、見た目に無頓着ではない。私がここに、この姿で居ることが、基樹くんに悪影響になるかもしれないと、思い当たってしまう。

即日受け取りが売りのメガネ屋さんではあったけど、私の度数には対応していなかったようだ。一週間後に出来上がると言われ、それまでは予備メガネで過ごすしかない。一本しか視力を補ってくれるものがないと分かると、急に不安になる。

裸眼でも、家に帰りつくことはできるだろうけど、とにかく何も見えないから色で判別するしかなくなる。メガネが壊されるようなことがない一週間を過ごす心配なんて、今までしてこなかったのに。

広場のランニングコースを、自転車を押して歩く。図書館に行く気は十分だったが、ショッピングモールを経たことで、狭い空間でずっと髪型を見られると思うと、人が入れ替わる外の方が居心地はいい気がした。

基樹くんと毎日座ってた裏道とは反対の方向へと、足を進める。通路として整備された石畳の奥に芝生が広がり、更に遠くには遊具も見える。

芝生沿いに等間隔で用意された、木陰になっているベンチにて本を広げた。自転車のカゴにはトートバッグを乗せたまま、ショルダーバッグは手元にある。もちろん、膝に乗せているバッグには、携帯が一番身体に近くなるように入れてある。

たぶん、基樹くんの言ってた《十六時》は、シューペの営業が終わって片付けも落ち着いた頃。お客さんとして行った時には、もう他の人は帰るところだった。あの時間帯に、片付けや休憩を取るんだろう。

だから、お客さんの引き次第では早まるかもしれないと、思っていた。外に出て人目に触れて、振り返られずに済む髪型に早く戻りたかった。





結局、基樹くんから連絡は来ず、十六時の少し前にはシューペに着いていた。ガチャっと音がしたものの、お店の入口からは誰も出て来ない。裏口があるのだろう、別の方向から、自転車を押した基樹くんが現れた。

立ち止まって、ゆっくり上から下まで見られた後、基樹くんが真っ赤になった。今週、平日の放課後には、この顔になる基樹くんを見ていなかったかもしれない。

キャップもメガネもしている基樹くんだけど、真っ直ぐ私を見たまま動かない。相変わらず目は合わなくて、動いた基樹くんの手はキャップに触れた。

ふたり並んで、自転車を押し始める。照れてるのは分かるから、何も声は掛けない。たぶん、落ち着いたら話してくれるから。


「……買ったの?」
「うん、気に入りそうだったから」
「オレに合わせた?」
「並ぶにはカジュアルすぎたからね」


そう言ってから、素直に言い過ぎたと少し反省した。あの服屋さんのマネキンを見た時に、気に入ったから買いに行った。確かに、基樹くんの隣に立つことを意識はしたけど、実際にお店に出向いてお金を払ったのは私だ。


「…頬、痛くない?」
「ちょっとだけ。もう大丈夫だよ」


気遣ってくれる同い年。やっぱり、貴重だ。立花先生と一緒で、昨日私から話した以上のことを尋ねてこない。私が言いたいと思ったことだけ、聞いてくれる。

美容院は、歩けるほどの距離にあるんだろう。シューペから、当たり前に自転車を並んで押す。


「基樹くんって、髪染めてるの」
「いや、地毛。明るいよね、東では悪目立ちする」
「まあ…」


話しかけられたくなくて逃げ回ってる基樹くんが、わざわざ染めて目立つようなことはしないと分かっていても、確認したくなる髪色だった。高校生だし、茶髪でいることは別に変じゃないけど、爽やかイケメン度合を上げてしまっているのは間違いない。


「西はどうだっけ?」
「黒髪のが珍しいかも」
「あー、そっか」


ふと、基樹くんの中での西高のイメージを知りたくなった。西高には黒髪の生徒の方が少ないことに、納得していたから。きっと、東高は逆だ。でもそれを口にする前に、美容院に着いたらしい。

基樹くんが自転車を停めたのは、ダークブラウンの木造の建物の前だ。外観をログハウス風に見せているだけで、実際は木造じゃないのかもしれない。先導して、ドアを開けてくれる。


「いらっしゃいませ。ご予約の方ですか?」


後ろを振り返って、ドアを丁寧に閉めた基樹くんが話すのを待った。段差もあって、たぶん美容師さんからは見えていないんだろう。


「予約は僕が」
「ああ、前野くんのお友達ね! 荷物はこっちのロッカーへ。携帯は持っててもいいよ」
「はい」


指示の通り、ロッカーにバッグを入れる。鍵をかけて、輪っかを腕に通すと、席へ案内された。腰を下ろして鏡を見ると、美容師さんが腰に巻いている道具入れが目に入る。すぐに目を閉じてしまいたかったけど、不自然なはず。もう少し、我慢する。


「お名前は?」
「長谷川です」
「長谷川さん、よろしくね」


軽く髪に触れられながら、女性から簡単な自己紹介を受けたけど、聞き流した。担任の名前すら、やっと覚えたくらいだ。美容院に数ヶ月に一度、もしかしたら年単位で来ない可能性がある。店員さんの名前を聞いたところで、次回まで覚えていられるとは思えなかった。

たぶん、基樹くんはここでも大人といい関係を築いてるんだろう。盗み聞いてしまうことになるが、話してくれている方がありがたい。

変な切り揃えになっていることには触れずに、私を担当する美容師さんが会話を続ける。


「希望の髪型、あります?」
「えーと…、伸ばしやすい感じで…」
「それなら、今の長さだと、こういう感じが似合うかと思いますよ。伸ばしても可愛くまとまるように切ることもできますし」


タブレットでさっと検索し、ずらっと並んだ写真の中から、ひとつふたつ、薦められた。


「…それでお願いします」
「かしこまりました。メガネ、お預かりします」


こっちが年下だと分かっていても、この美容師さんは敬語を止めない。お客さんだから、初対面だから、馴れ馴れしくない。その時点で、少し肩の力が抜ける気がした。

ここに座って、指示を聞いていれば、この時間は過ぎる。ハサミが目に入らないようにしていても、音は聞こえてしまう。メガネがないから本も読めない。

基樹くんの紹介のお店だし、美容師さんとも仲が良いのかと思い込んでいた。ここではあまり話さないのか、声が入って来ない。ハサミの動く音が大きく聞こえる。意識を反らす物が、ない。こういう時ほど、歌の入った曲が流れていて欲しいけど、ジャズ系のBGMが掛かっている。

そんな雰囲気が、誰にも伝わってないで欲しいと思っているうちに、切り終わったらしい。シャンプーをするから、移動してほしいと言われ、従った。

他人の指が頭皮に触れる。それもやはり、あまりいい思い出ではない。小さい頃は、どうしてもひとりでお風呂に入れない。母親と入って、ガシガシと無理に洗われ、爪を立てられていたこともあって痛かった。

(美容師さんの手は、心地いい…)

目が合わないように、ガーゼを載せられている。目を閉じていれば、きっと眠ってしまうようなあたたかさだ。ただ、ここは初めて来た美容院。基樹くんもこの場にいるし、意識は保っておく。

さっきの大きな鏡の前に戻って、髪を乾かされる。ぼんやりとシルエットしか見えないが、長髪だった昨日の放課後までと比べて、圧倒的に黒の面積が少ない。


「こちらで、いかがでしょう。後ろはこんな感じに」
「ありがとうございます」


今までの人生で、ここまでショートカットにしたことはあっただろうか。美容院が嫌いすぎて、基本は括れる長さで誤魔化してきた。これはこれで、いいのかもしれない。

基樹くんのいる方とは逆にイスを回され、降りる。ロッカーからバッグを出して、お金を払う。流石に今回は、基樹くんが払おうとしなかった。美容院だし、それが私の中の普通で、すごくほっとした。

外に出て自転車を出そうとするけど、顔回りに髪が落ちてきて気を散らしてくる。軽く仕上げにワックスをつけてもらったものの、完全に止まっているわけじゃない。せっかくセットしてもらったのを、耳に掛けてしまう。


「……」
「ん、どうかした?」
「いや、なんでもないよ」


(あー…)

今までポニーテールにできるくらいの長さがあった髪が、ショートになった。たぶん、見た目が大きく変わって、赤くなってるんだろう。息も吐いてるし。


「…妃菜ちゃん、どこか、行きたいところある?」
「特には…」
「神社行こうか」
「うん」


並んで歩くけど、横を向いても顔は見せてもらえない。キャップを深く被って、目線を上げない。前が見えているのかを問いたくなるが、見えているから歩けているんだろう。

基本的に赤くなるか、無表情の基樹くんの感情を読むには、その仕草に気付けるかが大事だった。

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