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後日譚:エピローグにかえて

9.式準備 3 ルークの不機嫌

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「『ドレスを選ぶのを手伝って』?」
「選び方が分からないんです」

 エリザベスは、ルークの言葉を繰り返して、王妃らしくなく戸惑ったあと、ミアに向き直った。普通の公爵令嬢として育ったエリザベスには、ドレスが選べないという意味がよく分からなかったが、目の前にいる夫妻は、貴族社会でまともに暮らしていないと思い直す。

「…そうねえ。ミアの理想の結婚式だと、どんなものを着たいの? 想像は、何度もしたでしょう?」

 エリザベスから見たミアは、書物の虫だ。あんなにも長時間、書物を読んでいられる集中力は凄まじい。きっと、小説も好きなミアのことだから、大まかにでも、想定しているドレスがあるはずだ。

 ルークへの遠慮もあって、ミアはなかなか自分の希望を言わない。ミアが我儘を言ったところで、ルークはそれを叶える動きしかしないのに、それが分かっているからこそ、ミアは言い出さない。ルークが、ミア以外にそんな態度を取ることがあり得ないのを分かっていても、ミアは希望を口にできない。ここは、エリザベスが、引き出してやらなければ。

「…名称が分かりません」
「大丈夫。立って、動きながら説明してみて」

 ミアはエリザベスに促されるまま、足先に向かって広がるような、身体を捻るとふわり舞うようなものを説明した。首や胸の辺りが少し透けるくらいの薄い布地で隠せるようなものがいいとも言う。

「なるほどね…、ちょっと」
「はい、エリザベス様」

(年齢の割に、落ち着いたデザインのような気もするけれど…)

 近くにいた使用人を呼び、耳元で指示を出した。使用人の顔が明るくなったのを見て、エリザベスが頷いて促すと、数人を引きつれて執務室を出て行った。エリザベスの衣裳部屋に、ドレスを取りに行かせた。きっと、ミアの想像に近いものもあるはずだ。実際のドレスがあれば、イメージも湧きやすいだろう。

「ミアの希望は分かったけれど…、宝冠なども身に着けるし、人生で一番豪勢に着飾るのはこの日だけよ。もっと大胆でもいいと思うけれど。ルークはどう?」

 ずっと黙って座っているだけのルークにも、意見を聞いてみようと、エリザベスは振ったのだが、すぐに後悔した。

「僕は、ミアが着たいものを着たらいいかと」
「ミアが着ているの、見たいと思うドレスは?」
「今まで興味がなかったもので、夜会もほぼ出ていませんし、女性の礼服姿はさっぱり分かりません」
「頼りにならないわね」
「……」

 ルークが気分を害したのは、その表情と雰囲気からすぐに伝わってきた。怒っているルークを見た回数が、妻として一緒にいるミアでも多くないのも、その反応で分かる。

 ルークは立ち上がって、少し怯えたようなミアを引き寄せると、肩に掛けていた羽織りを取った。隠されていたまだ色の濃いキスマークが目に入る。

(やっぱり、問題はミアよりもルークね…)

「あっ」
「これ、見えるの、着てくれるの?」
「えっ…、ルーク?」

 ルークは屈んで、薄くなっていたその痕と、同じところを狙って口をつけた。じゅっと強めに吸って、痕に上付けしたのだ。

 ミアの肌に刻まれた色を見るに、痛かったのではと思ったが、ルークの扱いはミアが一番慣れている。セントレ王国に帰ってきてからというもの、この嫉妬と独占欲にまみれた、王国一のオッドアイ魔術師の手綱を正確に握ることができるのは、ミアしかいない。

(立場上、あまり謝ることはしたくないけれど、あまりにミアが可哀想だわ)

「これでしばらく消えないよ。男除けに、普段着でも見えるところにもつけておこうか」
「ルーク?」
「ごめんなさい、私が悪かったわ」

 チャールズもルークも、独占欲が強い。幼馴染でそれぞれしか素で話せる相手がいなかったのだし、当然かもしれない。目立つ立場に妻がいることを許せないけれど、他の貴族や民衆には素晴らしい妻だと誇って見せることもできる。その折り合いをつけようともがいていた時期が、チャールズにもあった。

 きっと、冷静になったルークはあのキスマークについてミアに謝るだろうし、ミアはそんな謝罪を求めない。

「…エリザベス様」
「入って」

 たくさんの色とりどりのドレスの掛かったキャスター付きのクローゼットを押して、使用人たちが戻ってきた。先ほど、持ってくるように言ったものだ。

「ミアは私より少し小柄でしょう? 私が昔着ていて今は着られなくなってしまったドレスを試着してもらおうかと思って。きっと、式のドレスが想像しやすくなるわ。気に入ったのがあれば、仕立て屋もいるしそのまま直して持って帰って。ルークにも、並びを見るためにチャールズのを持って来させるから」
「チャールズの礼服は着られないと思いますよ」
「全幅の信頼を置く仕立て屋がいるわ。確かに多少きついかもしれないけれど、ミアのためよ」

 ミアの名を出せば、ルークは断らない。ルークはミアのためなら何でもすると、エリザベスには自信があった。

 チャールズは国王として、多少の筋力を維持している。人前に出ることが多いぶん、その威厳を最大限に発揮するために、正装が映える体型作りをしているのだ。補正下着で補うこともできるし、魔術で誤魔化すこともできるのに、チャールズはそれをしない。

 そんなチャールズに合わせ、王宮に移り住んだエリザベスも多少の運動をするようになった。出産後すぐの体型を見せたのがルークとミアだけだったのも、チャールズのこの意識の高さに則って判断したものだ。

 ただ、ルークは魔術師でもあるが、騎士としての訓練も再開している。前線から退いてもその意識は高く、華奢ではあるがチャールズよりも筋力に自信があるのだろう。

 使用人にいくつかチャールズの礼服を持って来させ、仕立て屋に軽い調整をしてもらったものの、やはりルークには小さく動きを制限するものだった。それでも、ドレスをまとったミアとの雰囲気を見るには十分で、ミアの目が輝いていた。

(ミアにとって、ルークは『王子様』だものね)

 結局、エリザベスはミアを着せ替え人形にしてしまった。ミアがドレスを着替えるたびにルークの隣に立たせ、何度もその見栄えを確認した。

 最終的にエリザベスが選んだデザインは、肩からデコルテの素肌が露わになっているもので、足先に向かって広がるドレスだ。ミアの細い体型が活かされ、とても優美に見える。装飾は多くないが、その簡素さがミアを引き立てるとルークを説得し、ミアにも了承してもらった。

 せっかくだから、ミアが気に入ったエリザベスのドレスは譲ることにした。年齢を重ね子どもも生まれ、明るい色や露出の多いものは控えていく。仕立て屋の直しが済み次第、ルークとミアの屋敷に送る手筈を取った。


 ☆


「指輪もお作りになると聞いています。いかがいたしましょう」
「何か、決めていることはない?」
「ふたりの瞳の色の石を入れたいです。それ以外には、特に」

 言い切ったルークに、ミアが何も言わず、ただ微笑んでくれた。指輪に関しては、ルークに明確な希望があった。ミアが身に着けるものには、ルークのグリーンの石、ルークが身に着けるものには、ミアのヘーゼルの石を埋め込んでもらいたかった。

「それであれば…」

 指輪用の石の説明を受ける。宝石の意味や値段よりも、瞳の色に近いかどうかだけが判断基準だったため、ドレスよりも早く決まった。

 初夜を迎えるだけの結婚式を前に、装飾具の店で適当に指輪を買い、魔術道具としてずっとミアに着けさせていたのはルークだ。ミアの指に光るのを見るたび、魔術で好きなデザインにして構わないと言っても、ミアは素朴なままの指輪を嵌めていた。

 それが好みだと言われれば、それ以上何も言えなかったが、指輪ほど小さなもの、少しデザインに凝っていてもいいと思うようになった。ミアには、それに値する美しさがある。

「ねえ、ルーク」
「ん?」
「これ…」

 ミアが指した先にある見本は、少し遊び心のある、柄の入った指輪だ。よく見てみると、葉や蔓を模様としているようだ。

「私の魔力は、葉っぱにもらったから」
「そうだね」

 ミアが初めて魔術を使ったのは、葉に対してだった。ルークもそうだったし、魔術師は大概そうかもしれないが、あの景色を一緒に共有したのはルークと魔術を使ったミア、ふたりだけだ。指輪に関して、エリザベスに意見を問うことはなかった。
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