87 / 103
後日譚:エピローグにかえて
6.初めての街歩き 後
しおりを挟む
特に目的の店もなく、ぶらぶらと散歩する。ルークとミアの周囲だけ、魔術を使っているわけでもないのに人が避けていくのが気になったが、それ以外は普通の恋人や夫婦のようだろう。
そもそも、ルークすら市場に慣れていないのだ。店内に入ることができたのは髪飾りの店だけだったが、装飾具や文房具の店など、いくつかミアの興味を惹くものはあった。その表情の移り変わりを見ているだけでも楽しく、もっと早く連れ歩くことができていればと後悔した。
(でも、これからも行ける場所があるのは、いいことだよな)
匂いに誘われ、ミアがワッフルの店の前で立ち止まる。王家の焼菓子が好きなミアだ。この甘くて香ばしい匂いには勝てないだろう。
「食べたい?」
「決められない」
「一個に決めなくていいよ、持って帰って食べてもいい」
(また、その顔…)
今日、事あるごとに見せてくれる、そのキラキラと輝いた瞳が再度、ルークに向けられている。こんなにたくさんの人がいるところで、そんな表情をしないでほしい。ルークが目の前にいるからだということも分かっている。自分の独占欲も相当だと、一息吐きながら呆れた。
「ルークは食べる?」
「食べてほしい?」
聞き返されると思っていなかったのだろう、ミアの目がまん丸だ。本当に百面相で、チャールズやジョンとしか関わってこなかったルークには、その表情を見ているだけで心があたたかくなる。
「ふっ、食べるよ、僕のも選んで」
「紅茶は?」
「いる」
結局ミアは、味の違うワッフルを一個ずつと、紅茶を一本買った。紅茶を一人前、飲み切るには多いと思ったのだろう。近くにあったベンチに座って、間に紅茶を置く。ミアからワッフルを受け取って、さっそく口に入れようとした。
「ちょっと待って」
「ん?」
ミアが手に持っているワッフルを半分に割って、渡してくる。片手で受け取ると、先に受け取っていたワッフルも、ミアが半分に割って、半分同士、入れ替えた。
「はい」
「うん?」
説明を求めると、「ふふっ」と笑いながら教えてくれた。
「小説でよくあるの。恋人とか夫婦同士で半分ずつ交換して食べるの」
「してみたかったの?」
「うん」
やはり、もっと早く連れて来たかった。こういうことが好きなんだと、知る機会がなかった。恋愛小説や焼菓子が好きなのは知っているが、屋外ではまた違う一面を見せてくれた気がして、嬉しくなる。その気分のままワッフルをかじって、思わず顔をしかめた。
「…すごく甘い」
「あ、やっぱり?」
「ミア、食べる?」
「貰っていいなら」
「うん」
甘いシロップがかかっているほうは、一口だけ食べてミアにあげた。紅茶をすすると甘味は入っておらず、ルークの反応を予想してストレートを頼んでくれたのだろう。
ルークが甘いものをあまり好まないことは、当然ミアも知っている。ルークと交換して食べると分かっていても、ミアが食べたかった味を選んだのだ。
貴重な、ミアのわがままだ。苦手なものを残すこともないし、仮にミアが残すとしてもルークが食べてしまえる。逆も同じで、ルークの苦手な甘いワッフルをミアが食べてしまう。これからも外に出て、ミアが何かを食べたいと思えば、今日と同じようにしてくれたらいい。
ミアにも紅茶を渡し飲み切って、軽い腹ごしらえと休憩を終えた。ルークの古い記憶では、もう少し路を進んだ先に、書店があったはずだ。エスト王国から戻って、まだ小説を買い足していない。きっと、書店に着けばまた、あの顔をするのだろう。
入るなり、ミアはぐるっと壁に並んだ書物を見まわした。ルークが最近入っていない王宮内図書室でも、ここまでの広さはなかったはずだ。さすがに書店なだけあって、店内に人も多い。ミアの手を握り直して、あまり離れないようにと、ルークを意識させる。
「すごい量…」
「王都で一番大きい書店だったと思う。魔術を勉強したてのころに来て以来かな」
「結構昔?」
「そうだね、十年以上前。あんまり変わってる感じはしない」
「見て回っていい?」
「もちろん」
ミアが足を進める方へ、ルークもついていく。初めて見るものばかりで、疲れてはいないだろうか。ルークの転移魔術で帰ればいいし、大きな問題ではないものの、楽しすぎて自分の限界を忘れてはいないだろうか。そんな心配は要らないほど、書物に囲まれて嬉しそうなのが逆に引っかかる。
旅行記を見つけて、ルークの足が止まる。ミアの手を引いてしまって、振り返って目線を追ってくれる。
のんびりと、日常を忘れられるようなところへ旅行に行きたい。褒賞として長期休暇をもらう時期はまだ調整中だが、いざ決まればさまざま手配して、せっかくのふたりで過ごす休みに、楽しめるものを増やしたい。
「どこに行こうね」
「うーん…、ルークとふたりで居れたらどこでも」
「まあ、そうなるよね」
一冊手に取って、適当にめくってみる。何か思い出に残るような出来事を作りたい。
「…付け加えるなら、景色のいいところ」
「海とか、見に行ってみる?」
「あ、これ…」
「星空か、いいね」
「ほんと?」
「うん、天気に左右されるとは思うけど、時期が合えば綺麗だと思う」
旧エスト王国の一件で、ルークにはミアしかいないし、ミアにもルークしかいないことははっきりした。どちらかが命を落とすようなことがあれば、残されたほうはきっと壊れてしまう。もし運命が分かれてしまっても、それに耐えられるだけの思い出を、たくさん用意したい。
「あの屋敷にいるときも、よく見てたの。夜は、誰にも邪魔されないから」
「ああ…、確かにね」
確かに、今は王家の別荘として扱われている旧ウェルスリー公爵邸は、星が綺麗に見えた。怒られたりひとりで眠れなかったりしたときに、眺めていたのは想像しやすい。
「ルークと見れたら、もっと綺麗に見えるよね」
「あの屋敷からでも、今一緒に見れば違って見えるよ」
「そうかも、でも行かないよ」
「分かってる。どこか、普段行けないところにしよう」
(結局、ふたりで居れたらそれでいいし、決められないんだよな…)
☆
小説が集められた区画にて、ミアは棚をひとつひとつ、背表紙を舐めるように確認して進んでいく。
「買いたいのあれば買っていいけど、持って帰れる量にしてね。また来れるから」
「…うん」
あれもこれも欲しいのは見て取れた。旧エスト王国にいたことで、読んでいた本の続編が出ているのもあるだろう。休暇も今まで以上に取れる。また一緒に買いに来ればいい。
「また来よう、絶対に」
「うん」
「違う市場でも楽しそうだね」
「ふふ、ありがとう」
ミアの頭を撫でながら、書店の前から屋敷へ転移した。そもそも、もう魔術師であることを隠さなくて済むのだから、ルークの執務室ではなく、人の居るところで直接転移魔術を掛けても問題がない。昔からの癖は、なかなか抜けない。
ミアの部屋にも、書棚を買っておこう。ルークの書斎が、ミアの小説で埋まりつつあるのを、すっかり忘れていた。
そもそも、ルークすら市場に慣れていないのだ。店内に入ることができたのは髪飾りの店だけだったが、装飾具や文房具の店など、いくつかミアの興味を惹くものはあった。その表情の移り変わりを見ているだけでも楽しく、もっと早く連れ歩くことができていればと後悔した。
(でも、これからも行ける場所があるのは、いいことだよな)
匂いに誘われ、ミアがワッフルの店の前で立ち止まる。王家の焼菓子が好きなミアだ。この甘くて香ばしい匂いには勝てないだろう。
「食べたい?」
「決められない」
「一個に決めなくていいよ、持って帰って食べてもいい」
(また、その顔…)
今日、事あるごとに見せてくれる、そのキラキラと輝いた瞳が再度、ルークに向けられている。こんなにたくさんの人がいるところで、そんな表情をしないでほしい。ルークが目の前にいるからだということも分かっている。自分の独占欲も相当だと、一息吐きながら呆れた。
「ルークは食べる?」
「食べてほしい?」
聞き返されると思っていなかったのだろう、ミアの目がまん丸だ。本当に百面相で、チャールズやジョンとしか関わってこなかったルークには、その表情を見ているだけで心があたたかくなる。
「ふっ、食べるよ、僕のも選んで」
「紅茶は?」
「いる」
結局ミアは、味の違うワッフルを一個ずつと、紅茶を一本買った。紅茶を一人前、飲み切るには多いと思ったのだろう。近くにあったベンチに座って、間に紅茶を置く。ミアからワッフルを受け取って、さっそく口に入れようとした。
「ちょっと待って」
「ん?」
ミアが手に持っているワッフルを半分に割って、渡してくる。片手で受け取ると、先に受け取っていたワッフルも、ミアが半分に割って、半分同士、入れ替えた。
「はい」
「うん?」
説明を求めると、「ふふっ」と笑いながら教えてくれた。
「小説でよくあるの。恋人とか夫婦同士で半分ずつ交換して食べるの」
「してみたかったの?」
「うん」
やはり、もっと早く連れて来たかった。こういうことが好きなんだと、知る機会がなかった。恋愛小説や焼菓子が好きなのは知っているが、屋外ではまた違う一面を見せてくれた気がして、嬉しくなる。その気分のままワッフルをかじって、思わず顔をしかめた。
「…すごく甘い」
「あ、やっぱり?」
「ミア、食べる?」
「貰っていいなら」
「うん」
甘いシロップがかかっているほうは、一口だけ食べてミアにあげた。紅茶をすすると甘味は入っておらず、ルークの反応を予想してストレートを頼んでくれたのだろう。
ルークが甘いものをあまり好まないことは、当然ミアも知っている。ルークと交換して食べると分かっていても、ミアが食べたかった味を選んだのだ。
貴重な、ミアのわがままだ。苦手なものを残すこともないし、仮にミアが残すとしてもルークが食べてしまえる。逆も同じで、ルークの苦手な甘いワッフルをミアが食べてしまう。これからも外に出て、ミアが何かを食べたいと思えば、今日と同じようにしてくれたらいい。
ミアにも紅茶を渡し飲み切って、軽い腹ごしらえと休憩を終えた。ルークの古い記憶では、もう少し路を進んだ先に、書店があったはずだ。エスト王国から戻って、まだ小説を買い足していない。きっと、書店に着けばまた、あの顔をするのだろう。
入るなり、ミアはぐるっと壁に並んだ書物を見まわした。ルークが最近入っていない王宮内図書室でも、ここまでの広さはなかったはずだ。さすがに書店なだけあって、店内に人も多い。ミアの手を握り直して、あまり離れないようにと、ルークを意識させる。
「すごい量…」
「王都で一番大きい書店だったと思う。魔術を勉強したてのころに来て以来かな」
「結構昔?」
「そうだね、十年以上前。あんまり変わってる感じはしない」
「見て回っていい?」
「もちろん」
ミアが足を進める方へ、ルークもついていく。初めて見るものばかりで、疲れてはいないだろうか。ルークの転移魔術で帰ればいいし、大きな問題ではないものの、楽しすぎて自分の限界を忘れてはいないだろうか。そんな心配は要らないほど、書物に囲まれて嬉しそうなのが逆に引っかかる。
旅行記を見つけて、ルークの足が止まる。ミアの手を引いてしまって、振り返って目線を追ってくれる。
のんびりと、日常を忘れられるようなところへ旅行に行きたい。褒賞として長期休暇をもらう時期はまだ調整中だが、いざ決まればさまざま手配して、せっかくのふたりで過ごす休みに、楽しめるものを増やしたい。
「どこに行こうね」
「うーん…、ルークとふたりで居れたらどこでも」
「まあ、そうなるよね」
一冊手に取って、適当にめくってみる。何か思い出に残るような出来事を作りたい。
「…付け加えるなら、景色のいいところ」
「海とか、見に行ってみる?」
「あ、これ…」
「星空か、いいね」
「ほんと?」
「うん、天気に左右されるとは思うけど、時期が合えば綺麗だと思う」
旧エスト王国の一件で、ルークにはミアしかいないし、ミアにもルークしかいないことははっきりした。どちらかが命を落とすようなことがあれば、残されたほうはきっと壊れてしまう。もし運命が分かれてしまっても、それに耐えられるだけの思い出を、たくさん用意したい。
「あの屋敷にいるときも、よく見てたの。夜は、誰にも邪魔されないから」
「ああ…、確かにね」
確かに、今は王家の別荘として扱われている旧ウェルスリー公爵邸は、星が綺麗に見えた。怒られたりひとりで眠れなかったりしたときに、眺めていたのは想像しやすい。
「ルークと見れたら、もっと綺麗に見えるよね」
「あの屋敷からでも、今一緒に見れば違って見えるよ」
「そうかも、でも行かないよ」
「分かってる。どこか、普段行けないところにしよう」
(結局、ふたりで居れたらそれでいいし、決められないんだよな…)
☆
小説が集められた区画にて、ミアは棚をひとつひとつ、背表紙を舐めるように確認して進んでいく。
「買いたいのあれば買っていいけど、持って帰れる量にしてね。また来れるから」
「…うん」
あれもこれも欲しいのは見て取れた。旧エスト王国にいたことで、読んでいた本の続編が出ているのもあるだろう。休暇も今まで以上に取れる。また一緒に買いに来ればいい。
「また来よう、絶対に」
「うん」
「違う市場でも楽しそうだね」
「ふふ、ありがとう」
ミアの頭を撫でながら、書店の前から屋敷へ転移した。そもそも、もう魔術師であることを隠さなくて済むのだから、ルークの執務室ではなく、人の居るところで直接転移魔術を掛けても問題がない。昔からの癖は、なかなか抜けない。
ミアの部屋にも、書棚を買っておこう。ルークの書斎が、ミアの小説で埋まりつつあるのを、すっかり忘れていた。
0
お気に入りに追加
26
あなたにおすすめの小説

隠れドS上司をうっかり襲ったら、独占愛で縛られました
加地アヤメ
恋愛
商品企画部で働く三十歳の春陽は、周囲の怒涛の結婚ラッシュに財布と心を痛める日々。結婚相手どころか何年も恋人すらいない自分は、このまま一生独り身かも――と盛大に凹んでいたある日、酔った勢いでクールな上司・千木良を押し倒してしまった!? 幸か不幸か何も覚えていない春陽に、全てなかったことにしてくれた千木良。だけど、不意打ちのように甘やかしてくる彼の思わせぶりな言動に、どうしようもなく心と体が疼いてしまい……。「どうやら私は、かなり独占欲が強い、嫉妬深い男のようだよ」クールな隠れドS上司をうっかりその気にさせてしまったアラサー女子の、甘すぎる受難!
ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます
沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。


地獄の業火に焚べるのは……
緑谷めい
恋愛
伯爵家令嬢アネットは、17歳の時に2つ年上のボルテール侯爵家の長男ジェルマンに嫁いだ。親の決めた政略結婚ではあったが、小さい頃から婚約者だった二人は仲の良い幼馴染だった。表面上は何の問題もなく穏やかな結婚生活が始まる――けれど、ジェルマンには秘密の愛人がいた。学生時代からの平民の恋人サラとの関係が続いていたのである。
やがてアネットは男女の双子を出産した。「ディオン」と名付けられた男児はジェルマンそっくりで、「マドレーヌ」と名付けられた女児はアネットによく似ていた。
※ 全5話完結予定
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる