上 下
50 / 103
5.番の魔術講師

1.攻撃魔術

しおりを挟む
 ルークとミアが、旧ウェルスリー公爵邸で初めて出会ってから約二年が経ち、そのうち、結婚してからは一年が経った。ルークは二十四歳、ミアは十八歳になった。何か大きな出来事が近づいているのは分かっていながらも、それが何なのかは掴めないままだった。

 ミアの淑女教育はとっくに終わっていて、本を読んだりジェームズと庭園で遊んだりして時間を過ごしている。本もジェームズも好きなミアにとっては、夢の空間なのかもしれない。

 普段どおり、ルークはチャールズの執務室にいた。東方について、何か違和感を感じることがないか、資料を精読していたところだった。

「ルーク、少しいいか」
「…なんでしょう」

 今朝のチャールズは姿を見せるのが遅かったし、表情も暗い。声のトーンも低く、ひさびさ重い任務があるのだろう。手を振り結界を確認して、先を促した。

「…少し、気になる予知があった。森が燃えているような…、それが本物の炎か、可視化された魔術なのかは分からないが、オレンジ色が森の上に広がっている。おそらく、東の森だろう。あまりに現実的で、直近で起こっていると思う」
「様子を見てきたらいいですか? 気配はもちろん消します」
「もし出くわすことができたら、その場で抑えてほしい。複数、人影も見えた。全て処理してほしい」
「かしこまりました」

 物理的な炎にしても、魔術にしても、ルークが行けば解決できる。どちらにせよ、オッドアイ魔術師が現場に赴くのだ。ルークがどうにもできないと判断することは、セントレ王国の崩壊を意味する。チャールズが今回の予知を深刻に捉えていることは、ルークにも伝わった。


 ☆


 ミアに通信魔術を飛ばし予定を変更して一緒に屋敷に帰ったあと、軽く身支度を整え、ウェルスリーの旧領地に転移した。同化魔術を掛けているため姿を見られることはない。魔力の気配も消すのは当然だが、何かの拍子にルークの存在が明らかになってしまうのは避けなくてはならないし、警戒は怠らない。

 街の中には最低限の魔力しか漂っていない。街の関所から一歩踏み出す前に、魔術師の制服である、顔の上半分を隠す仮面をに触れ、マントのフードを目深に被り直した。今回は、初めての魔術師としての任務だ。仮面の下の眼帯は、レッドの左目ではなくグリーンの右目に着けている。


 街を取り囲む塀の見張り台には、今回ルークは入ることができない。王命の特別任務のため、ここにいることを知られるわけにはいかないのだ。同化したまま転移することもできるが、万が一がある。一般人に紛れて街の外に出て、樹に登って気配を辿ると、チャールズから聞いたオレンジ色はすぐに見えた。

 物理ではなく、魔術の炎だが、燃えていることに変わりはない。街の見張りが感知するには距離があっても、時間の問題だろう。遠くて魔力の気配がいくつあるのかは捉えきれないが、そこまで多くはなさそうだ。このまま気配を消して、近づくことにも問題はない。

 魔力の少ない魔術師を見分け、命を奪っていく。魔術の炎である以上、普通の炎よりも鎮静は楽かもしれない。相手の魔術師の魔力を、ルークの魔力で上回れば、相手が倒れて炎も消える。相手が怯む様子もないが、チャールズからの命令は全員抹消だ。ルークが魔術を緩めることもない。

「…残りは、一人か?」

 妙な空間の歪みが見える上空に向かって話しかける。ルークと同じように同化魔術を使っているが、空間に揺らぎが見えるようでは甘い。普通の魔術師の目は欺けても、魔力の気配を消していても、ルークには通用しない。

「…正解」

 その声と共に、姿を現した。見覚えのあるマントが目に入り、すぐウェルスリーと同じものだと繋がった。一人残ったその魔術師のマントには、エスト王国の紋章まで入っている。

 魔術師が炎を維持しながら、ルークに攻撃魔術を向ける。跳ね返すなど、ルークには造作もない。

 それに面食らったのか、相手がまた空と半端に同化し、気配が遠のいていく。この炎で森を燃やす意味を問いたかったが、深追いして単独で東方に近づくのは避けたい。ここで引いておくべきだ。

 ジョンに「敵一人に逃げられた」と通信魔術を送った。すぐに「無事で何より」と短く返事があった。王宮へ報告に行けば、詳しく説明することになる。


 周辺に魔術の気配が残っていないかを確認してから、転移魔術で帰ろうとしたが、直前で止めた。

(……魔力に違和感がある?)

 両手を握ったり開いたりして、自分の魔力を確かめていく。ルークの中にある魔力が、ひとつではない。ルーク自身の魔力以外にも、何かある。理解できない。先程の攻撃魔術を受けてしまったのだろうか。今までジョンとの指導のなかでも、攻撃魔術を跳ね返せなかったことなどなかった。オッドアイ魔術師の、ジョンの魔術を跳ね返せていたのだ。

 もし、攻撃魔術を受けたときにどう対応するべきかは、訓練でも当然行っている。ルークの魔力は膨大で、自身に入り込んだ異質な魔力をひとりで中和できないことはあり得なかった。

 理由はとりあえず横に置いておいてもいい。ルークの中で蠢くこの魔力が、これ以上大きくなる前に、帰り着かなければならない。ミアと交わって、ルークの魔力を増強させることができれば、抑え込めるはずだ。

 問題は、ここがセントレ王国の東の果てだということだ。今まで部分的にだったとしても、転移魔術でしか来たことがない。半日はかかる馬での帰還を、この魔力の状態で乗り切れるだろうか。

 いや、それを考えている間にも王都へ向かったほうがいい。この街には今、魔術師がいない。魔術道具を使った弱い気配だけが漂っている。どうであれ、ルークが滞在していることが明らかになるほうが面倒だ。


 なんとかルークの扱える魔力の範囲内で同化魔術を掛け直し、東の街を出てから仮面とマントを外し、服の下へ隠す。仮面の下に着けていた眼帯を、左目へと移す。マントの下は、着慣れて動きやすい騎士服だ。

 こうなることを予想していたわけではもちろんないが、ルークは公には騎士だ。街の人に馬を借りるのも、この格好の方が都合がいい。

 途中何度か馬を乗り継ぎ、ミアが待つ屋敷を目指した。馬に乗っている間も、魔力への違和感は増えるばかりだ。焦っても馬の速度はそこまで変わらない。とにかく、自分自身の魔力を見失わないように、意識するだけだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

戦神、この地に眠る

宵の月
恋愛
 家名ではなく自身を認めさせたい。旧家クラソン家の息女エイダは、そんな思いを抱き新聞記者として日々奮闘していた。伝説の英雄、戦神・セスの未だ見つからない墓所を探し出し、誰もが無視できない功績を打ち立てたい。  歴史への言及を拒み続ける戦神の副官、賢人・ジャスパーの直系子孫に宛て、粘り強く手紙を送り続けていた。熱意が伝わったのか、ついに面談に応じると返事が届く。  エイダは乗り物酔いに必死に耐えながら、一路、伝説が生まれた舞台の北部「ヘイヴン」へと向かった。  当主に出された奇妙な条件に従い、ヘイヴンに留まるうちに巻き込まれた、ヘイヴン家の孫・レナルドとの婚約騒動。レナルドと共に厳重に隠されていた歴史を紐解く時間が、エイダの心にレナルドとの確かな絆と変化をもたらしていく。  辿り着いた歴史の真実に、エイダは本当に求める自分の道を見つけた。  1900年代の架空の世界を舞台に、美しく残酷な歴史を辿る愛の物語。

記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話

甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。 王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。 その時、王子の元に一通の手紙が届いた。 そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。 王子は絶望感に苛まれ後悔をする。

王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました

さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。 王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ 頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。 ゆるい設定です

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

【完結】この運命を受け入れましょうか

なか
恋愛
「君のようは妃は必要ない。ここで廃妃を宣言する」  自らの夫であるルーク陛下の言葉。  それに対して、ヴィオラ・カトレアは余裕に満ちた微笑みで答える。   「承知しました。受け入れましょう」  ヴィオラにはもう、ルークへの愛など残ってすらいない。  彼女が王妃として支えてきた献身の中で、平民生まれのリアという女性に入れ込んだルーク。  みっともなく、情けない彼に対して恋情など抱く事すら不快だ。  だが聖女の素養を持つリアを、ルークは寵愛する。  そして貴族達も、莫大な益を生み出す聖女を妃に仕立てるため……ヴィオラへと無実の罪を被せた。  あっけなく信じるルークに呆れつつも、ヴィオラに不安はなかった。  これからの顛末も、打開策も全て知っているからだ。  前世の記憶を持ち、ここが物語の世界だと知るヴィオラは……悲運な運命を受け入れて彼らに意趣返す。  ふりかかる不幸を全て覆して、幸せな人生を歩むため。     ◇◇◇◇◇  設定は甘め。  不安のない、さっくり読める物語を目指してます。  良ければ読んでくだされば、嬉しいです。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

処理中です...