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2.魔の紋章を持つ少女

9.ふたりの日常

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 ルークがまずしたことは、ミアに屋敷の内部を見せて回ることだった。台所や大きなテーブルのある食堂、客間、二階へ上がるとミアの部屋、ルークの書斎もある。

 壁一面が本棚になっていて、今は一部しか埋まっていないが、いずれジョンの書斎のようになる。壁に掛けられた可動式の梯子を上がると、机の真上に出て、仮眠用の簡易ベッドに辿り着く。ルークがその梯子を使うことはないが、一応設置したままだ。

「ここにある本は…」
「ほとんどが魔術に関するものだよ。あとは料理とか、身体作りのもあったかな」
「お仕事の、本」
「そうだね。気になるの、ある?」

 きらきらと光るようなミアの右目は、明らかに背表紙の文字を追っている。間違いない。ミアは、文字が読めるのだ。

「何か好きなジャンルがあるなら、買っておくよ」
「本当ですかっ」
「うん」

 残念ながら、ここにはまだ小説はない。それでも、本を楽しみにするミアは、嬉しそうに顔を赤らめた。

 ルークが見たことのあるミアは、よく泣いていた。あんな扱いをされていても、感情は閉ざされておらずむしろ豊かで、ミアの少しの変化を見ているだけでも楽しかった。


 同じく二階にある寝室をミアに見せるか、ルークは迷った。初夜のためにある部屋だ。ミアに見せて、警戒されたくはなかった。扉の前を通り過ぎようとすると、ミアが立ち止まったため、結局入ることになってしまった。

 天蓋のある、ふたりで使うにしても大きなベッドが中央に、それに添えるだけの小さなサイドテーブルと、奥にはふたりで一緒に入ることのできる広めの浴室がある。ホワイトを基調にまとめてあり、どの部屋と比べても色調が明るい。分かりやすく装飾の豪華な家具の揃った部屋でもある。

 チャールズとエリザベスの国王夫妻に「初夜は雰囲気が大事だから」と勧められ、断り切れなかったのだ。そんな不安を吹き飛ばすほど、ミアが気に入った様子だったのが救いだった。


 ☆


 ルークは書斎の簡易ベッドで目を覚まし、まずは庭に出て、騎士としての物理訓練をこなす。魔術で補えるとはいえ、元の筋力があるに越したことはない。

 屋敷に戻る前に郵便受けを覗いて新聞を回収し、森に入ったところで転移魔術を掛ける。書斎に降り立って、新聞を机に置き、シャワーを浴びる。

 書斎には簡易ベッドに簡易シャワーと、簡素なものしかなく、しっかり身体を休めるための設備は用意されていない。チャールズには「いずれ寝室しか使わなくなるから」と、押し切られた。ミアの部屋に浴室が備えてあるのは、もともとエリザベスの希望があったからだろう。

 ある程度水気を取って、書物に影響がない範囲で熱風を起こして髪を乾かし、朝刊を開く。身体を清めることも魔術で置き換えられるが、ルークは騎士生活が長い。物理的に水を浴びるほうがさっぱり綺麗になった実感を得られるため、この屋敷で寝泊まりするようになってからはこのルーティンに決めていた。


 ルークは三度の食事の準備や洗濯、掃除などの家事を、あえてミアに見せるために魔術で行っていた。相変わらずミアからは魔力を感じないが、ルークの真横で魔術を見ている右目はきらきらと輝いて、興味があるようだった。

 ただ、オッドアイを持つことは国家機密で、魔力を持たない一般人と同じように過ごせるほうが都合がいい。ジョンも魔術学校の教授だが、基本的に魔術を使った生活はしない。魔力で補いつつ手を動かして家事を終えなければならないことも、徐々に伝えた。

 時間のかかる調理をするときは、ミアに本を持って来させる。ルークが読むのは新聞や魔術に関する研究書物だが、ミアは小説を嬉しそうに抱えてくる。台所に並んでもたれ、火の番をしながら文字を追う。ミアはすっかり小説の世界に入り込んで鍋のことを忘れてしまうが、楽しそうな横顔を盗み見るのがルークの癖になっていた。

 いつもの大皿に野菜と煮込んだ魚を盛り付ける。ミアを調理に立ち会わせるようになって使うようになった食堂で、カトラリーの使い方を教えながら、対面で食べ進める。

(そろそろ、頃合いだろうか)

「このあと、外に出てみようか」
「本当ですか!」

 食事のたびに少しずつ食事量が増え、ミアの体調に関してルークの不安が減ったのだ。街への買い物など、人目のつくところにミアを連れていこうとは思えないが、この屋敷の周辺は魔術道具による強固な結界を張っていて、外から見られることすらない。体力作りにも、陽の光は浴びたほうがいい。広い場所を使って、試したいこともある。

 念のために一枚羽織らせてから、手を引いて庭に出た。ミアの興味を誘うものがたくさんあるようで、無邪気に問いかけてくる。それ自体は好ましいことだが、ルークは魔術以外の知識に乏しく、ミアの質問にほとんど答えられなかった。

「ルーク様にも、知らないことってあるんですね」
「もちろんあるよ、植物とか動物は専門外」
「専門は、魔術ですか?」
「そうだね。本業は騎士だけど、魔術のほうが自信はある」

 ルークが気に入っている噴水の縁に腰掛けると、迷わずミアも隣に座ってくれる。顔を覗き込んでくるミアに、足元に落ちていた枯れ葉を一枚拾って、振って見せた。

「例えば、こうやって踊らせたりね」

 手のひらの上でくるくると枯れ葉を回してみせる。魔術学校に入学すると初めに、自分の魔力に触れるために行う簡単な魔術だ。魔術と呼ぶには程度が低すぎるかもしれない。ジョンとの個別指導の中で、魔術学校の教科書には目を通しているから、だいたいの程度は覚えている。

 ミアが、顔を分かりやすく光らせている。魔術を止め、ミアの手を取って、枯れ葉を載せた。

「今見せたこと、できる?」

(正直、賭けだが……、っ!)

 ルークが目の前で見た光景は、ジョンの前で初めて魔術を使ったときに似ていた。

 ミアは、手のひらにある枯れ葉をじっと見つめ、やがて手のひらの一枚だけではなく、周りに何百、何千枚と落ちているであろう枯れ葉を踊らせた。

「…わわわっ!」
「大丈夫、止まってほしければ、そう思うだけだよ」

 上を向いたままのミアの手のひらに、そっと手を重ねた。静かになった周囲を、ミアが不思議そうにぐるっと見回している。

 やはり、ミアは魔力を持っていて、魔術を扱うことができる。動悸が止まらず、ミアの手を握り込んだ。

(これは……)

 目の前で明らかに魔術が使われたのに、魔力の気配は感じられなかった。ミア自身の魔力ではなく紋章の魔力が使われたに違いない。このまま、ルークの想定どおりに事が進めばいいのだが。
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