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2.魔の紋章を持つ少女

6.共同生活初日 後

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「着いたようですね。こちらへ」

 馭者によって開かれた馬車の扉をルークが先に潜り、周囲を確認してからミアを促すと、戸惑いながらも手を取ってくれた。しっかりと地面に降り立ったのを感じてから、荷物を下ろした。

 馬車を引いてくれた青年は王家所属の馭者で、チャールズに借りた人財だ。信用に値するが、この屋敷と旧公爵邸の位置、それぞれの周辺の景色など、今回の仕事内容は、忘却魔術で消し去った。しばらく見送ったあと、片手に荷物を持ってミアに再度手を伸ばした。

「どうぞ、お手を」

 ここまでする必要はないのだろうが、小さく縮こまっている姿を見ると、何かしてあげなくてはと思ってしまった。

 震えている手をしっかりと握って、ミアの歩幅で屋敷の扉を目指す。子犬の姿のときにたくさん声を聞いていたが、ミアはまだ一言もしゃべっていない。ミアにとっては今日が初対面で、緊張や戸惑いが勝ってしまっているのは、想像に難くない。

「まずは、貴女の部屋に行きますね」

(おっ)

 ミアが、頷いてくれた。子犬姿のルークには緊張せずに話していたから、きっと慣れて安心できると分かれば話しかけてくれるだろう。このリアクションも、その一歩だと信じたい。

 ミアが後ろめたさを感じないように、旧公爵邸よりも小さめの屋敷で、できる限り質素な家具を揃えたつもりだ。廊下に下がる照明も、チャールズによってルークが求めていたよりも良質なものが取り付けられてはいるが、デザインのシンプルさには何も言うことがない。

 ミアの部屋の扉を開けて、一度手を離し、食卓としても使う予定の机の近くに荷物を下ろした。振り返ると、ミアは扉の近くで固まっていた。ふたりきりとなり落ち着いて見るミアは、思ったよりも背が低く、より小さく細く見える。

「…緊張、なさっていますね?」

 迷わず膝をついて、再度ミアの手を取った。ルークは騎士で、王宮にもよく出向くため慣れている動作だが、ミアにとってはそうではない。予想していなかったのか、驚かせてしまったようだ。

「驚く必要も、緊張する必要もありません。僕たちは婚約者ですが、結婚まではまだ時間があります。ゆっくり時間を掛けて、お互いのことを知っていきましょう」

 ミアが頷き、ルークも頷き返した。実際に行動できるかどうかは別だが、少なくともミアに話は通じている。ルークといきなり対面させられたにもかかわらず、従う様子が伺える。

(それなら、僕の希望は通るかな)

 一般的な令嬢は馬車に乗ったあと、一度使用人とともに私室に入り身支度を整えるのだが、ミアはそれを理解していない。ミアには専属の使用人がおらず、ある程度の身支度はひとりでできるはずだ。

「そちらに衣服を用意していますので、身支度にお使いください。僕はこれから食事を準備してきます。何か食べたいものや嫌いなものはありますか?」

 少し考えるように間を空けてから、ミアは首を横に振った。

(うーん……)

 どうしたら声を聞けるだろうか。そして、この緊張を解けるだろうか。早く慣れてもらうほうが、任務は進めやすくなる。初日で急ぐ必要はないのかもしれないが、いつまでこれが続くのかという問題も出てきてしまう。

「それでは、また後ほど」

 ルークは、今まで使ったことのない方向に頭を悩ませながら、ミアの部屋を出た。一度自室へ寄り、騎士服を着替えてから、台所へ降りた。


 ☆


(声が、全然出なかった……)

 執事から聞かされた話で、婚約者である彼が大戦果を上げた英雄なのは知っていた。新聞に載っていた写真も見た。でも、こんなに若くて綺麗で眩しい、本物の王子様みたいな方だとは思っていなかった。

 左目は長い前髪で隠れていて分からないけど、グリーンの右目には引き込まれて、青くてきっちりとした堅い騎士服を着た彼を前に、身体が固まった。

 彼は全ての動作で優しく手を引いて先導してくれた。ディムを乱暴に扱う人ではなさそうで、食事を用意すると部屋を出て行ったところだ。

 こんなに新しくて綺麗な、薄いピンクで統一された可愛い家具が揃った部屋で、どうしろというのだろう。今まで生活していた私室にあった物が古いのは分かっていたけど、新品を目にしても戸惑ってしまう。

(好みか好みじゃないかと言われれば、すごく好き…、小説の挿絵が、現実になったみたい)

 ベッドも大きなテーブルもチェアも、寛ぐためのソファまで用意され、部屋の中にまた扉がある。挿絵で見たとおりなら、きっとあの先には浴室がある。湯を使って全身を清めるなんて、使用人との共同でしかしたことがない。濡らしたタオルで身体を拭くだけのことも多かった。今まで簡素すぎる部屋を使っていたディムにとっては、十二分に贅沢だった。

 彼が先ほど指差したクローゼットを開けて、目を見開いた。皺もほつれも破れもない、淡く色のついた服が五着も掛けられていた。今までは使用人が着古して捨てているのを拾っていて、まともに着られるものが二着もあればいいほうだった。

(こんなに…、全部、私のため?)

 あの方は、なぜこんなにもよくしてくれるのだろう。ディムは、屋敷の外に出たことがないし、学校にも行っていない。隠されてきたのに、どうして英雄と呼ばれるあの方の婚約者に選ばれたのだろう。

 好奇心に勝てなかったディムは、自分のために用意された新品の服を一着、着てみることにした。婚約者として連れてこられた以上、彼に逆らわないほうがいい。それなら、あの方がやっていいと言ったことはやってみよう。従わないほうが、痛いことになるかもしれない。

 薄い水色のものを手に取る。今まで着てきた服と同じ、上から被るだけのワンピースだ。小説の中でも、ワンピースは令嬢が着る衣服ではなく、使用人や子どもが着る活動服だった。複雑な造りではなく、安価に手に入るからだと書かれていた。でも彼は、ディムがひとりで着れるワンピースしか用意していなかった。

 ディムのことを、よく知っている。それを実感できただけでも、肩の力が抜けた気がした。
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