とあるオッドアイ魔術師と魔の紋章を持つ少女の、定められた運命

垣崎 奏

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1.今回の特別任務

4.未届の少女 前

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 屋敷の執事や使用人たちが眠りについたのを、薄く張った魔力で確認して、自室となっている客間で変身魔術を使った。もちろん、この部屋には到着してすぐに結界を張っているから、誰も立ち入ることはできないし、もし魔術師がいてもその気配を感じ取られるようなことはさせない。

 子犬の姿になったルークが目指す部屋は、ひとつしかない。あの少女の部屋だ。公爵邸には空き部屋がいくつかあり、人目に触れなさそうな場所に見当を付けていた。

 彼女は、オッドアイの子犬を、怖がらずに受け入れてくれるだろうか。変身魔術の上に変装魔術を掛ければ瞳の色も変えられるのだが、緊急の例外を除いて、難易度の高い魔術との二重掛けはジョンに止められていた。

 変身魔術の前後は姿を見られるわけにいかず、子犬の姿では扉を開けられないため、先に少しだけ開けておいた扉から廊下に出ると、強烈な甘い匂いが漂っていた。背中を使って扉を閉めてから、歩き始める。子犬の姿だと、五感が人間とは異なる。それにしても、こんなスイーツのような匂いを、この時間に嗅ぐことになるとは。

(気配はしない。魔術関連じゃないのは分かるけど、一体…?)

 近づくにつれて、匂いは増している。不快なものではなく、むしろルークの好みの匂いではある。

(……間違いない)

 匂いの主は、あの少女だ。周囲に動く気配がないことを感じつつ、少女が部屋でひとり、まだ起きているのも確認する。扉を引っ掻くと、彼女が出迎えてくれた。

「あら…」

 少しだけ開いた隙間に身体をねじ込むようにして入り、ベッドへ乗った。扉の引っ掻き傷を魔術で消し、魔術を掛けた気配も消して待っていると、少女が隣に腰掛けてくる。子犬らしく膝の上に移ると、強烈な甘い匂いに酔ってしまいそうになる。

(一体何なんだ、この少女は……)

「野良犬かしら、今日はここにいてくれるの?」

 特別、仕草を返しはしない。ルークはただ、丸まっているだけだ。人懐っこいとは思われてもいいが、人間の言葉が分かる子犬だと不審がられると、やりにくくなる。

 甘い匂いから思考を切り離すために、部屋の内部を見渡してみる。目の前に広がる彼女の部屋は、部屋と呼ぶにはあまりに粗末だった。辛うじて机として利用されているらしい台には、今にも壊れてしまいそうなランプが載せられている。ベッドも古く、彼女が軽いから折れていないだけだろう。シーツも使い古され黄ばんでいて、マットレスやキルトも薄い。使用人でも、もう少し良い物を与えられているはずだ。

 やはり、この少女は虐げられ、公からは隠されている。ルークの所属する警備隊が領地に滞在するこの半年、ウェルスリー公爵が絶対に隠し通したい人物だろう。

(にしても、違和感はあるな…)

 その割に、公爵本人が屋敷にいないのはなぜだ。隠したいのであれば、自身の監視下に置くのではないか。執事に任せているとしても、常に確認していたいのではないか。

「私、そろそろ横になるけど…、一緒に入ってくれる?」

 彼女が動くのに合わせて、膝から降り扉へ向かった。正直、この良い匂いを嗅ぎながら睡眠を取るのは難しい。ルークの中の何かが、変わってしまいそうだった。

 彼女が扉を開けてくれ、ルークはその隙間から廊下に出る。扉が静かに閉められるのを見てから、客間へと足を向けた。

(本当に、一体なんだ、あの匂いは)

 オッドアイの子犬を怖がるかどうかなんて、どうでもよくなっていた。彼女から発せられる匂いとあの部屋の粗末さが引っかかる。あんな匂いの人間に、会ったことがない。客間の家具を見る限り、調度品を用意できる財力はあるのに、彼女の身なりや家具は質素で、使い古されすぎていた。

 あの少女は、明らかな調査対象だ。

(せめて、あの匂いの正体だけでも分かるといいんだけど…)

 明日からも、皆が寝静まったあとは、あの部屋に行く必要がある。彼女に、会わなければ。


 ☆


(ああ、今日もまた、執事に見つかった…)

 ただ、皆と同じように外の世界に出てみたいだけなのに、ディム・ウェルスリーには許されない。

 特別に指示がなければ部屋にいるようにと、執事から言われている。でも、ディム付きの使用人はいないし、部屋に鍵も掛けられないから、たまに外に出て、中庭の色とりどりの草花に触れたり、使用人が読み終え捨てた焼却前の小説を拾ったりする。夢中になってしまうと周りが見えなくなって、執事や使用人に見つかってしまう。

 今日は身体が倒れるほど酷く頬を打たれ、部屋に連れ戻された。最近の執事や使用人たちは妙に気が立っていて、今までよりもディムへの当たりが強い。

 こういう扱いを受ける理由は分かっている。漆黒の左目と、顔の左半分に広がるこの模様のせいだ。生まれたときからあるらしいこの模様は、皆にはなく、この模様を隠すために、ディムは部屋に閉じこもるように言われている。気味が悪いと散々聞かされたけど、ディム自身は綺麗な模様だと感じていた。

(毎日目にする、私の一部だもん。嫌っても無くならないし)

 両親がきちんと家に居れば、状況は変わっていたのだろうか。いや、何も期待できなかっただろう。

 母親はディムを生んだときに亡くなり、父親はディムをいないものとして扱った。ディムと関わった大人は父親と執事、片手で数えても指が余るほどの使用人だけで、記憶の中では生まれてからずっと、ディムを見下すような目で見る人ばかりが周囲にいる。

 このまま隠され続けて、どうなるのだろう。ただ死ぬのを待つだけなのだろうか。この模様があるだけで、それ以外に変わったことはないはずだ。十分に食べられていないから、身体は細くて女性らしくもないし、着るのを許される衣服も使用人のお下がりなことを除けば。

 それでも、小説の世界に少し興味はある。塔の先に閉じ込められたお姫様を、王子様が助けに来る話を、特に気に入っている。現実にはないし、だからみんなが憧れてその本を読むのだろう。ディムはずっと屋敷に閉じ込められていて、小説のお姫様と自分を重ねてしまう。弟妹はいつの間にか学校にも行くようになって、それがきっと普通の生活なのだろうと、察してしまった。

 この模様が左目にあるだけで、話してくれる人がいない。みんなと同じような、普通な生活がしたいだけなのに。

 執事に見つかって連れ戻されることはたくさんあったけど、部屋に子犬が来たのは初めてだった。夜だから、どこかの扉が開いていたことはないはずなのに、あの子犬はどこから入ってきたのだろう。膝の上に乗ってもおとなしくて、人慣れしていそうだったから、誰かの飼い犬なのかもしれない。

 動物とすらまともに触れあったことがなかったディムには、その子犬は十分あたたかかった。背中を撫でるとリズムよく尻尾を振っていたし、きっと心地よかったのだろう。

 一緒にベッドに入ってほしかったけど、逃げられてしまった。屋敷の中で捕まって、外に放り出されていないといいけど。ディムの部屋には気味悪がって誰も入らないから、ここで一晩、過ごしてくれていいのに。
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