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大学4年_春

第74話:覚悟_3

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 ――春が過ぎて初夏が来る。

 美織ちゃんと別れてからいくらか過ぎたが、航河君はまだ、誰とも付き合っていなかった。そして、私と航河君の関係になにも変化はなかった。

 しばらくはよそよそしかった航河君も、一か月もすると元に戻りまたバイト帰りは一緒に帰るようになっていた。相変わらずメールもするし、バイト帰りにふたりで寄り道もする。何事もなかったように過ごす航河君は、まだ私から見るとどこかで悲しそうにも見えたが、本人に言ったら怒られてしまいそうで、飲み込んだままなにも言わずにいた。

「千景さん? 俺、花火大会行きたいんですけど?」
「え、行けばいいんじゃないの?」
「別に行ってあげても良いんだけど?」
「あー、間に合ってます」
「男心をわかっていないなぁ!」
「言いたいことはわかるんだけど、なんでそんな上から目線なの」
「恥ずかしいじゃない」
「その言いかたのが恥ずかしいわ!」

 今日もまた、軽口を叩く。この変わらない日常に、私は心底ホッとしていた。航河君と話せる。メールができる。遊びに出かけることができる。

 美織ちゃんと別れてから、この関係は諦めかけていたし、どうにかしなきゃいけないと思っていた。でもそれはどこかに行ってしまって、またこの状態に甘んじている。やはり、この心地の良い沼から簡単には抜け出すことができない。……抜け出す前に向こうから突き放されたらきっと立ち直れないだろうのに、泣きじゃくってしまうだろうのに、甘くて緩やかなこの怠惰な関係が捨てきれなかった。

「ねーえ千景ちゃん? 俺、こないだ大学の後輩に告られたんだけど」
「……ほう、それはおめでとう」
「ありがとう」
「んで? 付き合うの?」

 自分で『おめでとう』と口にしておきながら、心の中では泣きそうだった。その相手と付き合うかどうかなんて知りたくないし、付き合ってほしくなんかない。付き合うの? なんて社交辞令の台詞を吐きながら、胸の苦しさを落ち着けようと、心臓に手を当てた。

「いいや。付き合わない」
「……そうなの?」
「うん」

 あっけらかんと答える航河君に拍子抜けした。――良かった。本当に良かった。私は嬉しい気持ちを抑えながら、航河君の顔を見て言った。

「もったいないぞ? せっかく告白してくれたのに」

 自分でも驚くほど自然に出た言葉。心にもないことだが、安心しきったから出てきた言葉だ。本当にそう思ってるかと聞かれたら、思っていない。だがそんなこととても航河君には言えない。

「その子のこと好きってわけじゃないし。俺よく知らないし」
「付き合ってから好きになるのもいいんじゃない?」
「……なんでそんなに推してくるの」
「推してるわけじゃないよ。まぁ、その子頑張ったよなぁって。思っただけ。告白って、下手したら今の関係が崩れちゃうじゃん? ……そのリスク犯してでも、伝えるんだから単純にすごいと思ってるもん」
「その頑張りにはちゃんと『ありがとう』ってお礼言った」
「結構紳士ね」
「え? だって航河さんだよ?」
「あーはいはい。前言撤回」
「ちょ、酷い」
「いやー、ごめん、つい」
「ついじゃないよもー」
「あはは、ごめんね」

(あぁ――いつも通りだ――)

 この安心感。今まで私がずっと浸っていたものだ。

「でも、『彼女ほしい!』って思うときあるよね」
「……そう?」
「うん。やっぱり。でも、美織ちゃんが俺の中で……まぁ、なんでもない」

 別れても、航河君の中では美織さんの影は消えていない。まだ美織ちゃんが好きなのだ。いくら私が近くにいても、その目に私が女性として映ることはないのかもしれない。けれど、もしかしたら。……もしかして、万に一でも可能性があったとするならば。その可能性にかけてみたい気もしている。

「……次、たとえば告白されたら、人は、誰でもいいや。付き合ったりするの?」
「その人によるよ。今回みたいに、よく知らない人は無理だと思う。ある程度知ってる人じゃないと、身構えちゃうし。付き合えないなぁって思う」
「そっか」
「うん。え? 誰か紹介してくれるの?」
「そんな人いません!」
「なんだ、残念」
「ときどき、よくわからなくなるよ。航河君のことが」
「そう? わかりやすいと思うけどなぁ」
「全然」
「千景ちゃんに言われると辛い」
「嘘ばっかり」
「そんなことないよ? 千景ちゃんがいなくなったら俺困るし。ゲンカとかもしたくないし」
「今はそういうことにしておこう」
「ほんとだってばー!」
「めちゃくちゃ嘘っぽいもん!」
「いやいやいや! 俺が一番仲良いの、間違いなく千景ちゃんでしょ!? え、なに!? 違うの!?」
「違うって言ったらどうするの?」
「あー航河さん寝込むわ。ショックで三か月くらい寝込んじゃう」
「いや、絶対寝込まないでしょそれ」

 ――私は考えてた。航河君に告白するかしないかを。

 バイトから帰り、急いでベッドへと潜り込む。落ち着かない。もやもやする。悩ましい。

「あーもー……どうしよっかなぁ……」

 今日航河君の話を聞いて思った。美織ちゃんのときは思わなかった気がするが、航河君に彼女ができたら嫌だ。きっと、美織ちゃんのときはもう既に彼女であったことと、航河君のことを縛ることなく付き合っていたから、気にならなかったのだと思う。初めて、彼女のいる人を好きになった。それがこんなに苦しくて、醜くて脆いものだなんて知らなかった。

「誰かと付き合う……か……」
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