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大学4年_春

第68話:不穏な空気_1

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 過去の自分のおかげで取得する授業が比較的少なく済んでいる私は、夜よりも昼間積極的にバイトのシフトを入れていた。できるだけ、時間があるうちにお金を稼いでおきたいのと、週末は摩央に誘われてオフ会や合コンが増えてきたからだ。それに合わせて出費も増えたため、無駄のない生活を送るように心がけていた。お店の賄いも、変わらず有効利用させてもらっている。
 実家から届く支援物資という名のレトルト食品や缶詰、日用品は地味にありがたい。必ず使う物だからまったく買わないということもできないし、ちりも積もればなんとやらで、意外と費用もかかる。いつもの御礼でまた、美味しい物でも持って実家に帰らなければ。

 ――と、私にとってはそれほど変わり映えしない日常だ。だが、ある人物にとっては違っていた。

 見たくもない航河君と美織ちゃんの誕生日デートを目撃してからしばらく経ったある日、いつもは時間よりも随分と早く来る航河君が、今日は一時間遅れてバイトに来た。不思議に思っていたが、とくに店長も理由を聞いていないらしい。店長曰く『いつも真面目に来てるから、まぁたまに遅刻しても目を瞑ろう。今日暇っぽいし?』だそうだ。

「おはようございます」
「おはよう航河君」
「……はよ」

 航河君の態度が、どこか素っ気ない気がする。私自身、あれから航河君に対して若干のよそよそしさはあったかもしれないし、連絡の回数も以前よりは減らしていたが、別に航河君とゲンカもしていないのに。……いったいどうしたというのだろうか。こういうときに浮かぶのは真っ先に『自分がなにかしたかもしれない』という妄想になってしまうのは悪い癖だが、やはり思い当たる節がまったくないわけではないから仕方がない。

(元気がない……? それとも、機嫌が悪いのかな……?)

「航河君、疲れた顔してるよ? 大丈夫?」
「……え? そう? とくには……」
「……まぁ、大丈夫なら良いけど」
「うん」
「無理はしないでね……?」
「あぁ、うん。ありがと」

(うーん。とても大丈夫に見えない!)

 この態度が、私はものすごく気になっていた。しかし、雰囲気から察するに本人はあまり喋る気がないらしい。無理に聞いて嫌な思いもさせたくないし、なにか悩んでいることだったら、それが誰かにわざわざ言うようなことでないのならば、無理に思い出させたくない気もする。自分で解決しようとしていて、誰かに頼る気がない人にとっては、余計なお世話になってしまうから。

 ――私自身、デートを見てからは気落ちしてしばらく暗い気持ちのまま過ごしていた。最近ようやく立ち直れたのだ。そもそも付き合っていると知っているカップルのデートを見て、落ち込むというのもおかしいが、実際にデート現場を見ることで『美織ちゃんという人物は実在していて、航河君は本当に美織ちゃんと付き合っている』ということを、全身で理解してしまったのだ。その衝撃は、本当に大きかった。同じように航河君にとってもなにか大きな出来事が起こったのなら、そっとしておいてほしいかもしれない。
 自分とは違う人間なのだから、自分と同じ物差しで測っても仕方がないかもしれないが、気を遣う部分に関しては構わないだろう。下手に空回って、航河君を傷つけたくはないし、自分のことで精いっぱいかもしれないのに、無駄な心配をかけたくない。

(これじゃあ聞くに聞けないよね。本人が言ってくるまでは、触れないでおくか……)

 私から見たら元気がなさそうに見えるも、航河君の接客はいつも通りだった。――でも、ふとしたときに、悲しそうな顔をする。なにかを思いつめているような、今にも泣きだしてしまいそうな。それは、今までに一度も見たことのない表情だった。明らかに強張った顔に、遠くを見る目。

 ……やはりおそらく、なにか彼にとって嫌なことがあったのだろう。たとえば、大学の講義でやたらレポートが出たとか、友人とケンカシてしまったとか。財布を落としたかもしれないし、溝にはまったのかもしれない。そんなときは、つい顔にも出てしまうだろう。……少なくとも私はそうだ。だが、それだけではないような気もする。これはただの私の勘なのだが、こういう勘は嫌なときほどよく当たるのが定説だ。

 ときどきキッチンで、ぼーっとする素振りも見せながら仕事をする航河君を、ホールのメンバーだけでなくキッチンも含め、みんなが心配していた。それもそうだろう。普段あれだけ元気で、ふざけながらたくさんお喋りをしているのだから。今の航河君を見たら、航河君を知っている人は誰だって心配すると思う。

「航河? どしたの?」
「俺はいつもどーりだよ?」
「いや、そんなことないでしょ。広絵でも分かるよ」
「えー。気のせいだって」
「ほんとに大丈夫なら良いんだけどさぁ? 思いっきり顔に出てるよ?」
「えっ。そう?」
「うん。んで、その航河の顔見て、千景が暗い顔してる」
「えええ? 私そんな顔してる!?」

 私は思わず、両手の指先で頬を摘まんだ。そんな顔で接客をしていたなんてお客さんに申し訳ない。

「してるよ? 心配でしょうがないんでしょ?」
「……まぁ」
「ご案内お願いしまーす! 二組です!」
「あ、お客さんだ。行こ、千景」
「う、うん」

 店長に呼ばれた。広絵に腕を引かれ、店の入り口へと向かう。チラリ、と振り向いたが、航河君はもう後ろを向いていて、その顔は見えなかった。

(航河君……)
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