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大学3年冬

第57話:千景の誕生日_1

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 世の中はもうすぐバレンタインだと浮足立っているが、私からしたら気が重い。航河君にバレンタインを渡すか否か。そのふたつの間で右往左往していた。渡したい気持ちはある。が、渡したからと言ってどうかなるわけでもない。お返しは貰えるかもしれないが、バレンタインの醍醐味【告白】はできそうになかった。

(それでも、特設会場見るのはやっぱり楽しいよねぇ)

 百貨店の一部が、面白いくらいに人でひしめき合っている。バレンタインの特設会場。私は1人、この熱気に包まれた会場へ足を運んでいた。人気のあるチョコレートはすぐに売り切れてしまう。元々チョコレートやお菓子の類が好きな私は、1年に一度のこの祭典を楽しみにしていた。航河君に渡す渡さないはおいておいて、バイト先のみんなに義理チョコを渡すつもりではいたし、自分へのチョコレートと友チョコも買うつもりだった。
 どちらかというとこれがメインで、本命へはさほど重要ではない。

(……本命で渡しても、航河君美織ちゃんがいるしさ)

 どう頑張っても、勝てないだろう彼女。航河君が誰よりもなによりも愛している美織ちゃん。私は会ったこともないが、きっと素敵な人なんだろう。 悶々とした気持ちを抱えながら、人気のお店から順に回っていく。自分へのご褒美だ。今日くらい、贅沢しても怒られないのではないか。

 ――それに、今日は私の誕生日だ。自分で自分にプレゼントを渡す。労いのために。それくらい、普段頑張っているつもりなのだから。

 朝起きて広絵から、誕生日おめでとうメールが届いた。そして、どこで知ったのか祐輔からも。……一番待っていた、航河君からは未だに届いていない。単純に忘れているだけなのだろうが、少しだけ寂しく感じた。

 しかし今日は授業後、まさかの摩央を中心に、大学の友人がサプライズで誕生会を開いてくれた。どおりで、普段授業が一緒にならない友人も何故か学校にいるな、と思ったものだ。美味しいケーキに可愛いバッグチャーム。それに、筆記用具が幾つか。私の好みを完全に捉えていて、面白いくらいに自分が買う時に選びそうなものばかりだった。バッグチャームは早速バッグにつけた。キラキラと輝くビジューも、あしらわれたハートや王冠も、どれも可愛い。そのプレゼントの中でも一番気に入ったのは、よくできたジュエリーボックスだった。……渡される時『千景が結婚する時は、オーダーメイドで新しいの作るからね!』なんて言われてしまって、少しばかり泣いた。そんな先のことを……と思われるかもしれないが、その時もみんなで一緒にいようと、単純にその気持ちが嬉しかったのだ。

 ホクホクした気持ちでみんなと別れた後、1人この特設会場へと足を踏み入れたのである。だから、気持ちも緩んでいてついたくさん買ってしまう。目移りするのは当たり前のことで、お金があるのならばすべての商品をひとつずつ購入し、食べ比べしたいとさえ思っていた。甘くて美味しそうな匂いに、可愛らしいラッピング。綺麗なデコレーションと、楽しそうなお客さんの顔。

 この日のために貯めておいたバイト代を握り締め、実家に帰る時のお土産と友チョコから選んでいく。普段は買わないお高いチョコレートも、今日だけは購入の視野に入れていく。実家へは日持ちのするものを、友達には重たくならない物を。自分には、いつもならにらめっこの結果やめてしまう、ちょっと変わった物を。

(バイト先、どうしようかな……)

 実家にいたころは、バレンタインといえば手作りだった。というのも、実家の人間も親戚も、みんなお菓子が好きだったからだ。手作りに抵抗もなく、それなら……といつも作っていた。バレンタインの定番は生チョコで、手軽に量産できるうえに評判も良く、たくさんの人へあげるにはうってつけだった。

「……あ。これすごく可愛い……」

 私の目を惹いたチョコレート。それは、スプーンにチョコレートがコーティングされているものだった。ドライフルーツやクッキー、カラースプレーなどがトッピングされていて、フレーバーもミルクにビターホワイト、ストロベリーに抹茶、コーヒーなどなど、自分でも集めたくなるものばかりで心が躍る。スプーンを持ち手にして食べるのだろう。持ち手も色々な色があり、ラッピングのビニールやリボン、シールもバラバラで目移りしかしなかった。たくさん配るにはちょうど良い。好きなものを選んでもらっても良いし、私がイメージで渡すのもありだ。

「これにしよう! すみません、お願いします!」
「いらっしゃいませ!」

 ちゃっかり自分の分も数種類購入し、バイト先と友達の分を購入した。結果、大層な荷物になっている。自分へのご褒美が大きいかもしれない。……メインはコレだ。この日のために、バイトを頑張ってきたといっても過言ではない。

「ありがとうございました!」

 十二分に特設会場を堪能し、私は百貨店を後にした。まだ夕方だというのに、曇りなのと季節柄外はすっかり暗くなっている。

 ……結局、航河君の分は、本命として購入しなかった。一応、バイト先の分に含めてみんなと同じものは購入してある。まだ、バレンタインまで日にちはあるし、欲しくなっても買いに行けるだろう。そんな気持ちもあり、手が出なかったのだ。それに、あからさまな本命を買っても、渡せるかどうかはわからない。

 ――ヴーヴヴ、ヴーヴヴ――。――ヴーヴヴ、ヴーヴヴ――。

(……ん?)
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