審判【完結済】

桜坂詠恋

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第四章

3 バッググラウンド

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 捜査一課にある取調室で西島から報告を受けた森永は、じろりと西島を見遣り言った。
「任意で事情を聞けないのですか?」
 タイミングを誤ったか。森永は随分と不機嫌そうだ。しかし、のんびりはしていられない。いつ次の被害者が出るやもしれぬのだ。
 西島は背筋を正すと言った。
「ハングマンは巧妙で頭のいい人物です。
 自分が調べられていることに少しでも感づいたら、逃亡を図る可能性が大いにあります。
 しかし、確実にパクるためにも、奴のバックグラウンドを調べる必要がある。その為には──」
 捜査関係事項照会書と、それに対しての警部以上の所属長の署名捺印が必要だ。
 森永はパイプ椅子で足を組み、冷めた目で西島をじっと見ている。
 捜査一課のお荷物、厄介者の西島の頼みなどと、思っているに違いない。
 西島は腰を折った。
「自分が責任を取ります」
「あなたが? 何を言っているんです?」
 冷笑ともとれる冷ややかな声が、頭の上に降って来た。
 西島はただ自分の靴の先を見て、森永の次の言葉を待った。
「あなたがミスを犯したら、責任を取るのは我々なのです。自分が責任を取ればいいなどと、安易に言って貰っては困ります」
 過去の失敗を忘れたわけではないでしょうねと続ける森永の言葉は、西島の心を突き刺した。
 忘れるはずもない。今も引き摺っている。
「──すみません」
 森永は立ち上がり、椅子を反転させると背中を向けた。もう話は終わりだと言わんばかりだ。
 これまでか。
 西島が踵を返そうとした時だった。
「後ほど取りに来てください」
「えっ?」
 西島は驚いて森永の背中を見つめたが、森永は相変わらず背中を向けたままこちらを見ようとはしない。しかし、軽く嘆息すると言葉を継いだ。
「なんです? 私も鬼ではないのですよ?」
「森永警部……」
「忙しいんです。早く出て行って下さい」
 礼を言おうとすると、ぴしゃりと拒絶される。
 西島は森永の背中に深々と頭を下げるとその場を辞した。
「やりましたね」
 廊下に出ると、葉月が満面の笑みで両手を上げて来た。
 ハイタッチ。
 こんなこと、いつ振りだろう。西島は少し照れ臭かったが、それ以上に高揚感を感じた。
 
 *   *   *
 
 森永から受け取った捜査関係事項照会書を握りしめ、西島は戸籍謄本から新堂の出自調査を開始した。
 まだ役所が閉まるまでに十分な時間がある。
 しかし、平日でありながら役所は想像以上に人が多い。カウンター越しに役員に苛々をぶつけている者もいた。
 そんな中で、西島と葉月はベンチに並んで座り、戸籍謄本の発行を待つことにした。
 暫くして番号が呼ばれ、請求していた戸籍謄本を受け取る。逸る気持ちを押さえながら、西島と葉月は役場のロビーの隅に腰を下ろした。
 2人の間に戸籍謄本を置き、一緒に目を通していく。
 横井儀一から聞いた通り、新堂の父親は雅哉、母親は奈々未とあったが、驚いたことに2人は離婚していた。
 新堂雅哉は、妻と子供を守るためにもと、覚悟を持って横井に検査を依頼したはずだ。
 そんな2人の間に一体何があったのだろう。西島は不思議に思った。
 そして──。
 戸籍謄本に記載された、元夫婦の『子』の欄を見た西島は、衝撃の事実に息を吞んだ。
「これは──」

 そこには同じ出生日で2人の息子の名前が書かれていた。
 新堂文哉。そして、
 新堂拓哉──。

「双子──」
 
 中目黒マリア教会の神父、新堂文哉は双子だった──。
 途端、西島は足元が崩れ、奈落に転落するかのような感覚を覚えた。次いで頭の中で、ぐるぐると記憶の歯車が回り出す。
 そういう事──なのか?
 いつか、教会で会った私服の新堂に感じた違和感。
 次に会った時の新堂の言葉。

 ──おや? 私が何かお役に立ちましたか?

 あれは謙虚さから出た言葉では無く、本当に覚えがなかったのかもしれない。
 だとしたら、あの日、門のところで会った筈の葉月の事を全く覚えていなかったことも腑に落ちる。
 まさか。まさかあれは──。

「西島さん? 大丈夫ですか?」
 葉月が西島のシャツを引き、心配そうに覗き込んで来る。
「やだ、顔色が……」
 葉月はくしゃりと顔を歪めると立ち上がった。
「そのまま! そのまま待っててください! 飲み物を買ってきます!」
 そう言うと、ロビーに設置された自販機へと走って行く。
「……ッソ」
 西島は歯を食いしばった。冷や汗が止まらない。
 自分の考えに気分が悪くなった。
 胃の中がぐるぐると巻き上がるような感覚に襲われ、喉の奥に苦味が広がる。

 信じたくない。だが、俺が信頼していた彼は──。
 あの時の彼は──。


 神父の新堂文哉ではない、別人だったのかもしれない──。
 
 *   *   *
 
 役場を出ると、西島と葉月は直ぐ近くにある公園のベンチで休憩をとることにした。
 だいぶ陽が落ちて、最近は少しこの時間帯から涼しく感じる。
 西島はミネラルウォーターを飲むと、はあっと息をついた。
 冷たい水が喉を通ると、それだけですっきりする。
 それに、なにより葉月がここにいる。
「大丈夫ですか?」
 そう言うと、葉月が西島の手の甲に触れた。
 西島は何も言わず、そっと手を返して葉月の手を握る。
 ぴくんと、西島の手の中で葉月の指が動いた。
「え……。なんですか」
「なんでも」
 西島は短く答えると眼を閉じ、ベンチに背を預ける。手の中で葉月の指がぴくぴくと動くのを感じ、西島はくすりと笑った。
「くすぐったい」
「だって、なんだか恥ずかしい……」
「……俺の方が恥ずかしいよ。お前にカッコ悪いとこばっか見せてる」
 西島は、葉月のピンク色に染まった耳を見つめながら、正直に言った。
「さっきだって──」
「そんなことないです!」
 西島の言葉を遮ると、葉月はきっぱりと言った。
「助けに来てくれた時だって、凄くかっこよかったもん」
 西島は葉月を横目で見た。
「……どっちが?」
「へ?」
 思いもよらない返事だったのだろう。葉月は一瞬きょとんとしたが、直ぐに眉間に皺を寄せた。
「西島さん、ひょっとして間宮さんの事気にしてます?」
「するよ~? あいつ格好いいから」
「ばか」
「……男は馬鹿なんだよ」
「あー! 開き直っ──」
 西島は、葉月の手を引くと、ぐいとその体を引き寄せた。
 鼻先が触れそうなほどに顔が近付く。
 はっと言う葉月の吐息を感じると、西島は心臓を絞られる様な感覚に襲われた。
「惚れたら、馬鹿になるんだよ」
 もう、限界だ。
「だめ、にし……」
 

「──すんの?」

 
 突然聞こえた声に、西島の身体は硬直した。
 そして、油の切れたロボットのように、ギリギリと頭を動かす。
 そこには、しゃがみこんで2人を見ている小さな男の子がいた。
「おい……。なんだ、子供」
 思わず声を掛ける。
 男の子はまじまじと2人を見つめ、言った。
 

「ねえ、ちゅーすんの?」


「しっ……、しませぇぇぇん!」
「んがっ!」
 葉月の見事な掌底打ちが、西島の顎にヒットした。

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