PRISONER 3

桜坂詠恋

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 渋々向かった圭一の家で、都筑は鈴音と出合った。
 てっきりゲタ娘だと思っていた都筑は、圭一とは似ても似つかない美少女を目の前にして酷く驚いたものだ。
 唯一、似ていたのは、意外な程に長い睫毛位だろうか。
 そんな自分を思い出し、都筑は思わず笑っていた。
「なあに? 一人で笑ったりして」
 袖を引く鈴音の声で我に返る。
 隣を見ると、長い睫毛に彩られた大きな目が、不思議そうに都筑を見上げていた。
 圭一の無駄に長い睫毛は気味が悪いが、鈴音のそれは、この上なく愛らしい。
 都筑は思った。
 一体、いつからだろうか。この少女を愛しく思うようになったのは。
 一体、いつからだろうか。この少女に囚われてしまったのは。
 出合った日の事は克明に覚えているのに、彼女に心を奪われた日の事は忘れてしまった。
 それ程、都筑にとって自然な流れだったのかもしれない。
「なんでもないよ。鈴音とこうしているだけで、嬉しくて自然と口元が緩んじゃうんだ」
「先生はまた直ぐそう……」
 都筑の言葉に、鈴音は困った顔をした。
 でも都筑はもう知っている。
 鈴音のそれは迷惑や嫌悪からではなく、どう答えればいいのか戸惑っているだけなのだと言う事を。
 そして、いつしか気が付いた。
 彼女のささやかな抵抗は、都筑にとって、甘美な媚薬になるのだと言う事に。
「ホントだよ」
「もう……」
 誰にも邪魔される事のないこの時間が、いつまでも続けばいい。
「おいで」
 都筑は鈴音の肩に腕を回した。
 ──と。
 鈴音の肩が、ビクンと跳ね上がった。
 そして、オロオロと慌てた様子で都筑のコートの脇に額を押し付けてくる。
「どうしたの?」
 鈴音の狼狽振りを不思議に思い、都筑が覗き込んだ次の瞬間。
「ああああああっ!」
 街を流れるクリスマスソングを消し去るような大声に、都筑は顔を上げた。
「あ。桜井」
 ツリーの向こう側から携帯電話を握り締めたゲタ……いや、鈴音の兄、圭一が、衣文掛けのような肩で夜風を切りつつ、鬼の形相でこちらへと向かってくる。
「どどどどどどどう言う……だっ!」
 余程興奮しているらしい。圭一は都筑の胸倉を掴んだと同時に舌を噛んだ。
 しかし、直ぐに体勢を立て直すと、縺れた舌で食って掛かって来る。
「りょーゆーことら、こりわっ!」
「どう言うって。見りゃわかるでしょ。ねぇ?」
 平然と肩を竦める都筑に、圭一の血圧が更に上がった。こめかみには青筋が浮かび、目尻には、痛みからとも興奮からとも付かぬ涙が滲んでいる。おまけに唇はわなわなと戦慄いていた。
「わかるきゃっ! しぇちゅめーしりょっ! しぇちゅめーをッ! ええっ?」
「相変わらず、顔もデカイが、声もデカイな」
「にゃにをぶれいにゃ! きしゃま、じゅいぶんとヒトが変っ……ふがっ、にゃにをしゅるっ!」
「あー、うるさい、うるさい」
 暴れる圭一の顔をぐいぐいと手の平で押しのけていると、その後ろからひょっこりと見覚えのあるロイドメガネが顔をだした。
 都筑の、そして、圭一の後輩でもある矢木である。
 矢木は、ざっくりとしたニットキャップをスポンと取ると、上目で都筑を見ながら、静電気で乱れた頭を申し訳なさげに掻いた。
「すみません、都筑先輩」
「会場はこっちじゃないだろう」
「そ、そうなんですけど。実は桜井先輩が、ケータイのGPSで妹さん探しを始めちゃって」
「なるほど。GPSか。それは迂闊だった」
「ふはははは! 見たか! 文明の利器の威力!」
 圭一はダウンジャケットの胸を反らせると、自慢げに握り締めていた携帯電話を都筑の鼻先に突き出した。
「ほう。どれどれ……」
 圭一から携帯を受け取り画面を確認する。
 画面には街の地図が表示されており、その中央で赤い点が点滅していた。
 どうやらこれが鈴音の携帯らしい。
 都筑は感嘆の声を上げた。
「へぇ。結構わかるもんだねぇ」
「どうだ。参っ……あっ! こっ、コラ!」
 それはあっという間の出来事だった。
 圭一の携帯を高々と掲げると、都筑はにっこりと微笑み、ロータリーの、ツリーを囲む道路へと投げつけたのである。
「あああああっ!」
 悪い事は続くものだ。
 運の悪い事に、配達中の運送トラックのタイヤが、狙ったようにロータリーを転がった携帯を踏みつけていった。
 否、狙ったのは都筑の方であったかもしれないが。
「あーあ。けど、破片でも、ちゃんと集めれば無償で修理だったよね」
「バカもの! 保険プランなんぞ、入っておらんわッ!」
「おやおや……。先を見越して保険を掛けるのは社会人の常識だよ? それはケチった桜井が悪い」
 自分がした事はすっかり棚上げすると、都筑は「諦めるんだな」と冷たく言い放った。
「全く。ゲタの分際でGPSとは。折角反対方向で合コンを設定してやったのに、これじゃあ意味無いじゃないか」
「な……なに? あれはお前が……?」
「うん」
 都筑はしれっと答えた。
「まさかっ! まさか都筑ッ! よもやこの俺を謀ったのではあるまいな! 貴様を信用していたのに! つーか、ゲタとは何だ! 失敬な!」
「合コンは嘘じゃないよ。それに、ゲタをゲタと言って何が悪いんだ」
「にゃんだとぅ? もういっぺん言ってみろ!」
「ゲタ」
 プシュッと音が聞こえそうだった。
 それ程に圭一は憤慨し、顔を真っ赤に染めている。
 そして、キィィィィッと奇声を上げると、頭上で行われていたやり取りをオロオロと見上げていた妹の腕を掴んだ。
「来い! 帰るぞ! 鈴音!」
「いたっ! ちょっと、圭ちゃん放し……」
「ええい! その手を放せ! こっちへ来い!」
「やだっ」
 まるで、借金の形に連れて来られた娘と、無理矢理手篭めにしようとしてる悪代官だ。
「いい加減にしろ、桜井。鈴音に嫌われるぞ」
「鈴音だとぅ?」
 悪代官は、割り込んできたイケメン奉行に詰め寄った。
「お前、人の妹を……」
 しかし、行き過ぎているとは言え、妹を溺愛しているだけで根本的に純粋な彼は知らなかった。
 イケメン奉行が、いかに黒いのかを。
「矢木。連行しろ」
「んあっ? おい、コラ! 何をする!」
 圭一は、都筑の忠実な下僕に、瞬く間に羽交い絞めにされていた。
 華奢ながら、彼も元柔道部だ。矢木は、その細い腕からは想像も付かない強い力で圭一の自由を奪うと、済まなそうに眉尻を下げた。
「悪く思わないで下さいね、桜井先輩。僕も命が惜しいんで。なんせ、都筑先輩は羊の皮を被った狼ですから」
「矢木ィィッ。貴様ー!」
「さ、行きましょ。都筑先輩が用意してくれた、飛びっきりの極上メイド娘が待ってますよ。あれ、凄腕だったかな?」
「馬鹿ッ! 大事な妹を置いて行けるか!」
「大丈夫ですよ。都筑先輩が送ってくれますって」
「お……おまっ、今あいつが羊の皮被った狼だって言ったばっかだろ!」
「あ、そっかぁ。てことは、送り狼?」
「なっ……」
「それじゃ、合コンへ、レッツらゴー!」
 矢木は高々と拳を突き上げると、どばどばと涙を流しながら妹の名を叫ぶ圭一を引き摺り、来た道を戻っていった。



「全く。ゴミはちゃんと片付けなきゃ。マナーがなってないなぁ」
 都筑は素早く携帯電話の残骸をかき集めると、近くのごみ箱に投げ込んだ。
 マナーを語るわりに、投げ込んだごみ箱が可燃物専用である事、自身が投げ付け携帯を破壊した事実は気にかけないらしい。
 パンパンと手を払いながら、都筑は鈴音を振り返った。
 当初の予定通り邪魔者を排除する事に成功し、頗る機嫌が良いようだ。
 整い過ぎる程に整った顔には、楽しげな笑みが浮かんでいる。
「クリスマスプレゼントだけど、来年の秋頃でもいい?」
「……別に要らないけど、なんで来年?」
「いや、仕込みは今日しますよ。でも、お渡しできる迄に十月十日程お待ち頂く事になるかと」
 製造が追い付かない人気販売店のようだが、言っている事はまごう事なきセクハラである。
 それに気付いた鈴音の目が、見るまに細くなった。
「イヤ」
「えええええええっ」
「ええええじゃないでしょ」
「でも、今すぐは無理が……」
「そうじゃなくて」
 鈴音は盛大な溜息をついた。
「私、高校ぐらいはちゃんと卒業したいもん」
「高校ぐらいって、大学は行かないの」
 都筑とて、本気で在学中に鈴音を妊婦にしようなどとは思っていない。早く彼女を独占してしまいたいと思う反面、彼女の成績を充分に知っている都筑は、当然、鈴音が進学するのであろうと思い込んでいた。
「だって」
 鈴音はもじもじと言い難そうにしながら都筑をちらと見ると言った。
「あんまりゆっくりしてたら、先生、おじいちゃんになっちゃうじゃない」
「そんな歳じゃありません」
 都筑は鈴音を睨んだ。
 あと十年待ったところで三十七歳だ。おじいちゃんには程遠い。
 勿論、そんなに待つつもりはないのだが。
 それでも、鈴音が自分との結婚を考えているのだと言う事が、都筑は内心躍り上がりたいほどに嬉しかった。
「どうやらこっちのプレゼントは無駄にならないみたいだな」
 浮かれているのを悟られないよう、精一杯落ち着いた声で言うと、都筑はゴソゴソとコートのポケットを探った。
「本当は、どこかいい雰囲気のホテルの部屋で渡そうかと思ってたんだけど。今の鈴音の言葉を聞いたら、そこまでガマン出来なくなったよ」
 本当は、平身低頭で「お願い」しても構わないと思っていた。
 確かに、どちらかがくたばる迄圭一と付き合っていかねばならないと言うのは、考えただけでヘドが出る。しかし。
「鈴音との未来。プライスレス。お金で買えない価値がある」
 突然の古臭いCMのパロディーを口にした都筑を、鈴音は呆れたように見上げている。
 そんな鈴音の前で、都筑はポケットから取り出した小さな箱を差出し、開いて見せた。
「先生、これ……」
 そこにはダイアモンドの付いた指輪が、ちんまりと収まっていた。
 石は決して大きくない。特別なカットが施されている訳でもない。それでも、直ぐ上のツリーのライトを浴びて、それはなんとも言えない輝きを放っていた。
 そして、同じ様に輝く宝石が、鈴音の目からも零れ落ちている。
 都筑はそれを指先で拭うと、フードを脱ぎ、行きかう人の目をものともせず、片手に指輪、片手に鈴音の手を取り跪いた。
 都筑自身、プロポーズなど初めての経験だ。だが、幼い頃に読んだ絵本で、王子様がお姫様にしているのを見て以来、いつか自分も、誰よりも大切な人にこうするのだと夢見てきた。
「卒業するまで待つよ」
 小刻みに震える小さな手をギュッと握ると、今にもしゃくり上げそうな鈴音を見上げ、都筑は言った。
「だから、卒業したら」
「先生……」
「直ぐに仕込もう」
「………………」
「鈴音ちゃん?」
「バカーーーーーッ!」

 王子様とお姫様の物語のエンディング。現実は少し違っていました。
 王子様はセクハラで。
 お姫様は意外に強かったのです。


  ── THE END ──
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