上 下
6 / 13

5

しおりを挟む
 一旦鑑識に戻った竹山は、領収書の束と饅頭の箱を持って小走りに総務課へと向かった。梅本がいる庶務係はその中にある。
 饅頭は鑑識の連中と一緒に食べようとよけておいた物だが、梅本に呼ばれたとあっては手ぶらとはいくまい。
 饅頭で機嫌が取れるとは思えないが、なんとかこれで小言を封じ、早々に退散したかった。
 何しろ、これから高瀬と柴田とともに、監察医務院で遺体を引き取り、T大の法医学教室へ向かわねばならないのだ。既に二人は駐車場で竹山を待っている筈である。
 竹山はカウンターに饅頭の箱を置くと、目の前の若い婦警に梅本はいるかと聞いた。
「あら、竹さん。梅本さんはー……あれ。さっきまでいたんですけどねぇ。探してきます?」
「いや、ええよ。多分領収書の事やねん」
 言いながら、竹山は胸を撫で下ろしていた。
「せやから、後で、竹山が領収書持って来た言うてくれたらええよ。あ、これ、皆で食べてな」
「有難うございますぅ~」
 竹山が差し出した饅頭を、婦警が立ち上がって受け取った時だった。
「あ、美香、伝線してるよ?」
 後ろから別の婦警が、饅頭を受け取った婦警、美香の足を指差した。
 見れば踵から一直線に筋が入っている。ストッキングが縦にほころんでしまっているのだ。
「やだっ、ホントだあ。誰か替えのストッキング持ってない?」
 美香は体をねじって押さえると、まるでスカートが裂けでもしたような顔をしている。
 そして、その様子を気の毒そうに見ながら、まわりの婦警は手を合わせ、口々に「ごめん、切らしてるー」と言った。
 竹山はそれが酷く不思議だった。
「別にええやん、そんなもん」
 それくらいどうだと言うのだろう。下着が見える訳でもないのだ。そんなに恥ずかしい事だろうか。それに、代わりがなければ、半日ぐらい穿かなければいいではないか。
 しかし、美香は眉尻を下げると言った。
「そう言う訳に行きませんよぉ」
「なんで? それに、ここはエライことエアコン利いてねんから、別にタイツなんか穿かんでも寒いことあれへんやろ」
「タイツじゃありませんよ。厚さが全然違いますもん。それに、働く女性は、真夏でも生足でパンプスなんか履きませんよ。ねー?」
「そそ。常識ってヤツだよね」
 竹山は腕を組むと首を傾げた。
 生足と言うのは素足のことで、パンプスと言うのは、どうやら彼女達が履いている靴の事らしい。それは分かった。
が──。
「常識……?」
「そうですよ。マナーっていうか。会社によっては、服装規定で決められてるとこもあるくらいですし」
「まあ、決められてなくても、一応社会人としてのルールみたいなトコがあるよね」
「そうそう。どこも梅本さんみたいなお局が目を光らせてるからさ」
 美香が声を落として言うと、まわりの婦警が口を押さえ、肩を揺らして笑った。
「あとでコンビニ行ってきなよ。ついでに、まるごとバナナ買ってきて」
「あたしのもー」
「わたしプリンね~」
「ちょっとぉ。今お饅頭貰ったんだよ? どんだけ食べる気?」
 婦警と言うより、女子高生のような彼女達を尻目に、竹山は未だ首を傾げていた。
 頭の中で繰り返されるのは、彼女達の言葉。そして、次々と先ほど見た現場写真がフラッシュバックした。
「そうか!」
「きゃっ!」
 竹山の声に、美香は饅頭の箱を抱きしめ飛び上がった。
「びっくりした。どうしたんですか、竹さん……」
「あ、いや。すまんすまん。助かったわ」
「え?」
「喉に引っ掛かってた魚の骨が取れた。ほなな」
 わけも分からずきょとんとしている婦警達に手を上げると、竹山は総務課を後にした。
「……魚の……骨? なにそれ」
「ほら、年取ると、ヤバイって言うじゃん。正月なんかそれでよく……」
「ねえ。それって、餅じゃないの?」


 竹山が駐車場に到着すると、覆面パトカーのタイヤを蹴り付け、肩を上下させている高瀬が目に入った。遠目にも随分と憤慨している様子が見て取れる。
「おいおい、どないしてん」
 駆け寄ると、高瀬は振り返り、車に寄りかかったかと思うと、ズルズルとそのままそこに座り込んで吐き捨てるように言った。
「日売の……水野ッスよ! あのアマ、ネタを掴んでトンズラこきやがった!」
「水野……?」
 竹山は繰り返した。だが、それが誰だったかを思い出すのに、時間は掛からなかった。
 日売の水野と言えば、スッポン、ショタコン、勘違いなど、不名誉な異名を欲しいままにしている、水野遠子。捜査一課長因幡の想い人であり、現警視総監、水野敬一の一人娘だ。
 竹山の口からも、否応無しに溜息が漏れた。
 水野遠子は、女だてらにサツ回り記者として常にこの辺をうろついている。鑑識ネタを拾う為に、竹山も何度となく追い回された経験があるが、実にしつこかった。おまけに、総監である父親の血のなせる業か、異様なほどに鼻が利く。
 恐らく、庁舎を出る西川を見てピンと来たに違いない。
 連続婦女暴行殺人事件に隠れ、自殺とされた西川小春の記事はごく小さなものであったろう。しかし、あの娘が西川の姿を捉えて何も感じなかったはずはない。
「西川さんを捕まえて喋らしたかな」
「そのようで」
 この寒空の下大量の汗を掻き、未だ息を切らせている高瀬に、リング脇のセコンドさながら、ハンカチとミネラルウォーターのペットボトルを渡していた柴田が答えた。
「直ぐそこで、自転車を引いた総監のお嬢さんが、西川さんをタクシーに乗せて見送るとこに出くわしたんです。ポテトを持ってたんで、多分あのマックから出てきたんだと思うんですけど……」
 言いながら、柴田は隣の合同庁舎2号館を指差した。
 総務省や警察庁等が入っているそこには、ハンバーガーを販売しているファーストフード店、マクドナルドも入っている。
 やはり水野遠子は西川に取材をしたようだ。竹山は頷いた。
「ほんで、お嬢さんは?」
「すぐに高瀬さんが追いかけたんですけど、それはもう、ママチャリとは思えないスピードで」
 逃げられたらしい。
 が、それは高瀬の様子から予想がついていた。
「西川さんに口止めしとくべきだった」
 高瀬が膝の間に頭を落とし、口惜しげに呟いた。
 きっと、明日の朝刊にはこんな見出しが躍るだろう。

──警視庁捜査ミス。水面下で再捜査。

 因幡がヒステリーを起こす様子が早くも目に浮かぶ。竹山は苦笑した。
「ま。西川さん自身が喋れる事言うても、再捜査を依頼したっちゅう話に過ぎんし、抜かれるなら、大げさに書かれた方がええかもわからんで?」
「関わった人間が、再捜査の手が回ることを恐れて出頭……とかですか?」
「んなこたある訳ねぇだろ。バカ」
 希望的としか言い様のない言葉を口にする柴田に、高瀬は間髪入れず悪態をつき、竹山は眉尻を下げた。
 高瀬の言う通り、そうそう簡単に出頭して来るなど有り得ないだろう。
「なんにせよ」
 言って短く息を吐くと、竹山はニカッと笑った。
「好転する事を祈ろうや」
 それしかない。
 水野遠子は、根っからのブン屋だ。発表を控えるよう行った所で無駄だろう。
「な、高ちゃん」
 竹山がポンと頭を叩くと、高瀬もようやく腰を上げた。
「ほな。先ずはご遺体を迎えに行こか」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

警視庁鑑識員・竹山誠吉事件簿「凶器消失」

桜坂詠恋
ミステリー
警視庁、ベテラン鑑識員・竹山誠吉は休暇を取り、妻の須美子と小京都・金沢へ夫婦水入らずの旅行へと出かけていた。 茶屋街を散策し、ドラマでよく見る街並みを楽しんでいた時、竹山の目の前を数台のパトカーが。 もはや条件反射でパトカーを追った竹山は、うっかり事件に首を突っ込み、足先までずっぽりとはまってしまう。竹山を待っていた驚きの事件とは。 単体でも楽しめる、「不動の焔・番外ミステリー」

四次元残響の檻(おり)

葉羽
ミステリー
音響学の権威である変わり者の学者、阿座河燐太郎(あざかわ りんたろう)博士が、古びた洋館を改装した音響研究所の地下実験室で謎の死を遂げた。密室状態の実験室から博士の身体は消失し、物証は一切残されていない。警察は超常現象として捜査を打ち切ろうとするが、事件の報を聞きつけた神藤葉羽は、そこに論理的なトリックが隠されていると確信する。葉羽は、幼馴染の望月彩由美と共に、奇妙な音響装置が残された地下実験室を訪れる。そこで葉羽は、博士が四次元空間と共鳴現象を利用した前代未聞の殺人トリックを仕掛けた可能性に気づく。しかし、謎を解き明かそうとする葉羽と彩由美の周囲で、不可解な現象が次々と発生し、二人は見えない恐怖に追い詰められていく。四次元残響が引き起こす恐怖と、天才高校生・葉羽の推理が交錯する中、事件は想像を絶する結末へと向かっていく。

復讐の旋律

北川 悠
ミステリー
 昨年、特別賞を頂きました【嗜食】は現在、非公開とさせていただいておりますが、改稿を加え、近いうち再搭載させていただきますので、よろしくお願いします。  復讐の旋律 あらすじ    田代香苗の目の前で、彼女の元恋人で無職のチンピラ、入谷健吾が無残に殺されるという事件が起きる。犯人からの通報によって田代は保護され、警察病院に入院した。  県警本部の北川警部が率いるチームが、その事件を担当するが、圧力がかかって捜査本部は解散。そんな時、川島という医師が、田代香苗の元同級生である三枝京子を連れて、面会にやってくる。  事件に進展がないまま、時が過ぎていくが、ある暴力団組長からホワイト興産という、謎の団体の噂を聞く。犯人は誰なのか? ホワイト興産とははたして何者なのか?  まあ、なんというか古典的な復讐ミステリーです…… よかったら読んでみてください。  

WRONG~胡乱~【完結済】

桜坂詠恋
ミステリー
「それは冒涜か、それとも芸術──? 見よ。心掻き乱す、美しき狂気を──!」 コンテナ埠頭で発見された、「サモトラケのニケ」を模した奇妙な死体。 警視庁捜査一課の刑事、氷室と相棒内海は、その異様な光景に言葉を失う。 その直後、氷室たちは偶然にも激しいカーチェイスの末、車を運転していた佐伯という男を逮捕した。 そしてその男の車からは、埠頭の被害者、そしてそれ以外にも多くのDNAが! これを皮切りに、氷室と佐伯の戦いが幕を開けた──。 本質と執着が絡み合う、未曾有のサスペンス! 連続殺人事件の奥に潜むものとは──。

リモート刑事 笹本翔

雨垂 一滴
ミステリー
 『リモート刑事 笹本翔』は、過去のトラウマと戦う一人の刑事が、リモート捜査で事件を解決していく、刑事ドラマです。  主人公の笹本翔は、かつて警察組織の中でトップクラスの捜査官でしたが、ある事件で仲間を失い、自身も重傷を負ったことで、外出恐怖症(アゴラフォビア)に陥り、現場に出ることができなくなってしまいます。  それでも、彼の卓越した分析力と冷静な判断力は衰えず、リモートで捜査指示を出しながら、次々と難事件を解決していきます。  物語の鍵を握るのは、翔の若き相棒・竹内優斗。熱血漢で行動力に満ちた優斗と、過去の傷を抱えながらも冷静に捜査を指揮する翔。二人の対照的なキャラクターが織りなすバディストーリーです。  翔は果たして過去のトラウマを克服し、再び現場に立つことができるのか?  翔と優斗が数々の難事件に挑戦します!

虚像のゆりかご

新菜いに
ミステリー
フリーターの青年・八尾《やお》が気が付いた時、足元には死体が転がっていた。 見知らぬ場所、誰かも分からない死体――混乱しながらもどういう経緯でこうなったのか記憶を呼び起こそうとするが、気絶させられていたのか全く何も思い出せない。 しかも自分の手には大量の血を拭き取ったような跡があり、はたから見たら八尾自身が人を殺したのかと思われる状況。 誰かが自分を殺人犯に仕立て上げようとしている――そう気付いた時、怪しげな女が姿を現した。 意味の分からないことばかり自分に言ってくる女。 徐々に明らかになる死体の素性。 案の定八尾の元にやってきた警察。 無実の罪を着せられないためには、自分で真犯人を見つけるしかない。 八尾は行動を起こすことを決意するが、また新たな死体が見つかり…… ※動物が殺される描写があります。苦手な方はご注意ください。 ※登場する施設の中には架空のものもあります。 ※この作品はカクヨムでも掲載しています。 ©2022 新菜いに

闇の残火―近江に潜む闇―

渋川宙
ミステリー
美少女に導かれて迷い込んだ村は、秘密を抱える村だった!? 歴史大好き、民俗学大好きな大学生の古関文人。彼が夏休みを利用して出掛けたのは滋賀県だった。 そこで紀貫之のお墓にお参りしたところ不思議な少女と出会い、秘密の村に転がり落ちることに!? さらにその村で不可解な殺人事件まで起こり――

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

処理中です...