不動の焔

桜坂詠恋

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本編:第二章

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 霞が関。警視庁庁舎。
 あれから1年。高瀬は驚異的な回復を見せ、早々に復帰を果たしていた。
「じゃあ柴田、後の事は全部・・頼む」
「ちょっとちょっと! 何言ってるんですかッ!」
 柴田は勢い立ち上がると、対策室から出て行こうとする高瀬の前に回り込んだ。
「来たばっかりじゃないですか! 普通はちょっとぐらい何かしてから言うもんでしょ!」
「おい柴田」
「な……なんですか」
 高瀬は虚勢を張る柴田を壁際まで追い込むと、柴田の細い目をじっと見た。
「普通ってなんだ? お前の言うそれは、お前の股間に下がってるモンと同じくらい、ちーーーーーっさな物差しを基準にしたもんだろ? いいか。普通なんてモンはこの世に存在しないんだよ」
「じゃあ、社会的に当然のことと言い換えます」
「…………」
 思いの外、柴田は成長していた。
「何言ってんの柴田くぅん」
「ダメですよ。どうせ事務仕事が嫌なんでしょ」
 図星だった。
 こうなったら泣き落とししかない。
 高瀬は柴田に手を合わせた。
「頼む! ちょっとだけ! な? 今日は知り合いの店のプレオープンに、月見里や千里たちと行く約束してんだよ。大樹がスゲー楽しみにしてんだよ」
「大樹くんが……」
 柴田は、千里の家で鬼の襲撃に遭った際、自分に勇気を与えてくれた、小さな少年を思い出した。
 あの小さな手に自分は救われ、そして飛び出して行けたのだ。
 流石にその名を出されては心が揺らぐ。
「大樹をがっかりさせたくないだろ?」
「う~、まあ、ちょっとだけなら……」
「よっしゃ! 決まりな!」
 高瀬は手を打つと、嬉々として対策室のドアを開けた。
 が、閉めた。
「あれ? どうしたんですか?」
 柴田がそう言うが早いか、ドアがドカンと勢いよく開いた。
「高瀬ーッ!」
「と、遠子さん?」
 遠子はずかずかと対策室に入ってくる。
 高瀬は慌てて柴田の後ろに身を隠した。
「来るな」
 高瀬は慌てて柴田の後ろに身を隠し、シッシと野良犬を払うようにあしらう。
 遠子は鼻息も荒く、2人の前に立つと仁王立ちとなった。
「高瀬……。今日と言う今日は逃がさないわよ」
 そう言う遠子は、明らかにいつもよりも化粧が濃い。服装も、海外の通販サイトにあるような露出度である。
 高瀬は震え上がった。
「おい柴田、何とかしろ!」
 小声で言って柴田を前に突き出す。
 柴田は脇からジワリと汗が染み出るのを感じた。
「あの、遠子さん? 最近の特殊事件対策室は、開店休業で、閑古鳥が巣作りしちゃうくらい暇なんですよ? おかげで回ってくるのは書類仕事ばかり。遠子さんの記事になるようなネタなんか、なああんにも──」
「んなこた知ってるわよ」
「え」
 遠子の答えを聞いて、柴田の肩から力が抜けた。
「じゃあ、なんで高瀬さんを追っかけてるんです?」
「えー」
 そう言って遠子は恥ずかしそうに身を捩り、ちらと高瀬を見ると恥じらった──つもりだったが、実際はにやりといやらしい笑みを浮かべただけだった。
「遠子さん?」
「ヤボね、柴田。デートに決まってるでしょ」
「嘘だぞ柴──」
「あの日!」
 遠子は高瀬の言葉を遮ると、フーっと息を突き、つけまつ毛の目を伏せた。
「高瀬はその身を挺してアタシを護ったの。その瞬間アタシには見えたわ! 高瀬の胸にキューピッドの矢がぐさーっと刺さっているのを!」
「そうなのおぉぉぉぉ?」
 柴田は驚愕の声を上げた。その顔はムンクの叫びそのものである。
「バカ! 刺さったのは松岡の短剣だ! 誰がコイツみたいなガサツでアホな変態尻軽女なんか!」
「そんなこと言っちゃって。結婚してあげてもいいのよ」
「断る。じゃあな、柴田。あとは全部・・頼む! 祝儀は弾むぞ!」
 高瀬はムンクを遠子に押し付けた。
 そして素早く対策室を後にする。
「あっ! 高瀬さぁぁん!」
「ちょっと! どこ触ってんのよ柴田!」
 対策室から、平手打ちと柴田の悲鳴が聞こえた。
 
 *   *   *

 中目黒の地下鉄沿線付近にはお洒落なカフェが多い。
 高瀬は、中目黒駅から東京高等地方裁判所・中目黒分室に向かう途中にあるビルへと向かった。
 ビルの向かいには有料だが駐車場もある。なかなか良い立地だ。
 高瀬は駐車場に覆面パトカーを入れた。
「高瀬さああん!」
 車から降りると、大樹が飛んできた。
「おう、大樹!」
 小さな体をひょいと抱き上げる。
「はやく! はやく!」
 夏休みに皆で出掛けるのが嬉しいのか、大樹はやけにはしゃいでいた。
 ビルの前には、千里と大沢、そして月見里も待っている。
「悪い、悪い。遅くなったな」
 高瀬が手刀を切ると、千里はいつもの事だろと毒づく。
 高瀬は笑った。それもいつもの事だからだ。
 
 その店は、ビルの1階にあった。
 野良猫を保護し、定期的に譲渡会を行い、殺処分を無くしていく事を目的としたカフェで、『cheval doux(シュバル・ドゥー)』──フランス語で優しい馬と言う名らしい。
 勿論、このカフェの主役は保護された猫たちで、カフェの売り上げは、猫たちの保育費や医療費として賄われるそうだ。
 腰壁や床に木材を使用した内装はとても落ち着きがあり、そして良い匂いがした。
 そんな店内で、猫たちはゆったりと過ごしながら、新しい家族との出会いを待つ。
 オーナーは、とある事件をきっかけに知り合った、犬飼と言う弁護士だ。
 その犬飼は、子猫を抱いた月見里と何やら楽しそうに話し込んでいる。
 高瀬はソファーに腰かけると、膝に上がって来た猫の背を撫でた。
 この茶色い猫はキジトラ猫と言うのだそうだ。
 猫の身体はふにゃりと柔らかく、そして暖かい。丸い目を細め、ゴロゴロと喉を鳴らすその音も心地よく、猫に癒されると言うのも理解出来るなと高瀬は思った。
「お前も、早く家族が出来るといいな」
 キジトラ猫はにゃあと言うと、高瀬の手に頭を擦り付けた。
「なにデレデレしてるんだよ」
 そう言って、千里が高瀬の横に腰を下ろす。
 その胸には、白と茶色の猫が抱かれていた。アーモンドアイが実に猫らしい。
「キジシロ猫っつーんだってよ、コイツ。アンタが抱いてるその猫と姉弟らしいぜ」
 千里は、雌猫だと言うキジシロの頭を撫で、ふわふわの身体に顔を埋めた。
「んー。お日様のにおいがする」
 自分よりよっぽどデレているように見えたが、黙っておいた。言えば機嫌が悪くなるに決まっている。
「ところで千里」
「ん?」
 千里は顔を上げると鼻を掻いた。猫の毛を吸ったようだ。
「親父さんから聞いたが、サツサンを希望してるって?」
 先日立ち寄った目白不動で、天海から聞いた話だ。
 高瀬は、千里はこの先も『株を転がして』財を成すのだろうと思い込んでいたので、この話を聞いたときは随分と驚いた。
「つっても、大学出てからだぜ? 高卒だと、アンタみたいに警部補どまりだからな」
「違いねぇ」
 痛いところを突く。高瀬は苦笑した。
「大沢君は?」
「アイツは医学部だ。余裕でT大医学部に現役で入るさ」
「医者か」
「月見里先生のとこに行きたいみたいだぜ?」
 つまり、『直さない医者』だ。
「それに──」
 千里は走り回る大樹を目で追った。
「T大には託児所がある」
「そうか」
 大樹の事については謎が多い。親はいるようだが、詳しいことは聞かされていない。
 大樹が子供のままであることについては、小頭性原発性小人症ではないかとも言われている。
 しかし、そんな事はどうでも良かった。
 皆、大樹を愛している。それで十分だ。
「でも、実家はどうするんだ?」
「あのジジイは殺しても死なねぇよ」
 確かに。
「つか、息子が2人もいる・・・・・・・・んだから、いずれ定年したらアンタと俺が順番に継げばいいんじゃね? 家族なんだから、親の面倒ぐらいみねぇとな」
 千里が当たり前に『家族』と言う言葉を使った。
 高瀬は一瞬言葉を失った。
 くすぐったく、しかし、この上なく幸せを感じた。
「そう、だな」
「ねーこー!」
「あ、大樹! 無理に抱いちゃダメだよ」
 大沢が慌てて大樹のもとに走る。
 それを見て、千里はため息をついた。
「ほっとけ、引っかかれねぇと分かんねぇんだよ」
「いや、千里。猫の爪で出来た傷は痕が残ったりするぞ?」
「男なんだからいいだろ。アンタ大げさなんだよ!」
 いつもの、大樹を巡る言い争いの勃発である。
 やいのやいのと騒ぐ4人を見て、犬飼は目をぱちくりさせて月見里を見た。
「高瀬さんのお友達ですか?」
「兄弟……いや──」
 月見里はふわりと柔らかな笑みを浮かべると言った。



 ──家族だよ。


 
 ──完
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