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本編:第二章
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「な……鬼……?」
バンのバックドアを跳ね上げて中に据えられたモニターを覗き込んでいた高瀬は、それだけ言うと言葉を失った。高瀬ですらと言った方がいいだろう。
根牟田は気を失っていたし、柴田も腰を抜かして座りこんでいた。
映像はかなり上下左右に振られていたが、御伽噺でしかその存在を知らなかった鬼が人間を襲っているのが見て取れた。
その様子は、これまで目にして来た映画や漫画などの比ではなかった。凄惨な現場を数多く見て来た高瀬もにわかには信じがたく、あまりに衝撃的な映像に全身が粟立ち、足が竦んだ。
次の瞬間。
「……!」
誰もがヒッと声を上げ顔を背ける中、高瀬だけが、食い入るように画面を見つめていた。
ボンネットに押し付けられ、耳を塞ぎたくなるような叫び声を上げた港の体から、ズルズルと乱暴に何かが引き摺り出されたのを。
「マジかよ……いった何す……」
言いかけた高瀬の脳裏に再び御山荘の大女将、静江の声が響いた。
そうだ。静江は言っていたではないか。
伝説の鬼は度々村へ降りては逃げ惑う人々を襲い、その腹を破って血の滴る生き肝を喰らった。人の肝こそが、鬼の命であり、力の源であったからだと。
人の肝。即ち――。
「肝臓だ。肝臓を食うつもりなんだ」
「いいいいい、生きたまま?!」
高瀬の足元で膝をついていた若い鑑識員が素っ頓狂な声を上げてモニターを覗き込み、そして直ぐに顔を顰めた。
鬼がぶら下った臓器と思われる物を乱暴に引き千切り、肉塊を口元へと運ぶと、グチャグチャと、まさに貪り喰っている。
「うぐぅッ!」
鑑識員は背中を丸め、口を覆った。
現場で数多くの遺体を目の当たりにして来た鑑識員であっても、生きた人間の腹から臓物を引き出されるところを見る訳ではないのだ。
「……っく、……すみ……ま、せ……」
何度も喉を鳴らし、こみ上げてくる胃液を飲み込みながら浅く肩で息をしている鑑識員の背を、高瀬はそっと擦った。
手のひらを伝い、小刻みに彼の震えが伝わってくる。
「すみません……」
「構わん」
言って、軽く肩を叩く。画面では若い男が鬼の次なるターゲットとなっていた。
男はアクション映画さながらに、地面を転がるようにして攻撃を避けている。常人離れした動き。恐らくこれがボクサー、豊島に違いない。
「根牟田警部!」
背後からの声に高瀬が振り返ると、色褪せたジーンズに型崩れしたポロシャツと言う、実にラフな格好の若い男が両足を揃えて敬礼をした。どうやら高島平警察の刑事らしい。
「報告しま……あ……あれ? 警部……?」
「警視庁の高瀬だ。根牟田警部は今、酷く体調がお悪い。俺が聞こう」
刑事は一瞬躊躇したが、地面に伸びている根牟田に気付くと頷いた。
「豊島伸次が所属するボクシングジムと連絡が取れました」
「面は?」
「確認しました。写真も預かってます」
そういうと、モニターをちらちらと見ながら手帳を開き、間に挟んでいた写真を差し出した。
ポロシャツ刑事は、モニターに映し出されている光景にすっかり顔色を失っている。
高瀬は黙って写真を受け取った。
所謂宣材写真というやつだろう。写真の中の男は上半身裸でグローブを嵌め、ファイティングポーズを取って此方を睨んでいる。
高瀬は何度か小さく頷いた。写真の男は、鬼に襲われている男に酷似していた。
「これが豊島で間違いないな?」
「ええ、そうで……あっ! あぶな……ッ」
刑事は高瀬の背後を指差すと叫んだ。その声に、高瀬も咄嗟に振り返る。
回していたVTRでは、いよいよ男に最期の時が迫ろうとしていた。
鬼が覆い被さり、そして野太い腕を振り上げている。
――殺される!
「えっ……? 止まっ……た……?」
鬼の手が、すんでのところでピタリと止まっていた。
なぜだ。その場の全員がそう思った時、相変わらガタガタとブレる画面の端に、何かが映った。
「女?」
「女だ」
「高瀬警部補、子供もいます!」
口々にそう言って捜査員が画面を指差す。
モニターにはその場に不似合いな赤いスリップドレスの女。そして、そのすぐ傍にハーフパンツの少年が映っていた。
女は遠目にもわかる艶めかしさ。かなりの上玉だ。
夜の公園に子連れのスリップドレスの女。それだけでも充分不可解であったが、更に奇妙なことに、二人は臆する事無く鬼に近付いて行っているように見える。
到底考えられない光景に、高瀬達は息を詰め、食い入るように画面を見つめた。
「高瀬さん、この人……何か持ってます」
ふと、座り込んだままの柴田が女の手を指し示した。その手には、光る紐のようなものが握られていた。
「画面が揺れて見づらいですけど……え、ウソ、鞭……?」
柴田はそういうと高瀬を見上げる。
高瀬は答えず、ただ黙ってモニターを見ていた。
異様な光景だった。理性の欠片も感じられなかった獰猛な獣が、のろのろと豊島から離れ、まるで飼犬のように、おとなしく女と少年に従っている。
少なくとも、その場にいた捜査員たちの目にはそう映った。
「猛獣使いか女王様みた――」
「シッ!」
ぼそりと言う柴田の言葉を高瀬は遮った。
僅かながらであったが女の声が聞こえたのだ。
「今のとこ! 今んとこもう1回! 音量を上げてくれ。何か言ってる」
高瀬の指示に、VTRは即座に巻き戻され、音量が上げられた。
サーっと言うホワイトノイズの中、聞こえたのは――。
『――ユウヤ』
ユウヤ?
女は確かに少年をそう呼んだ。
ユウヤ。ユウヤ。ユウヤ。
頭の中で繰り返す。どこかで聞いた名だ。
「止めてくれ」
高瀬はVTRを一度停止させるよう命じると、ガシガシと頭を掻いた。
檻の中のトラのように、右へ左へと往復しながら考え、また頭を掻く。
じめじめとした暑さのせいで、頭皮にも汗が滲んでいる。その手をスラックスに擦り付けると、高瀬は毒づいた。
「あー。クソッ」
色々有り過ぎて、頭に突っ込んだ物が全く整理しきれていない。
子供の玩具箱のように混沌とした自身の海馬に手を捻じ込み、闇雲に引っ掻き回す。
思い出せ。どこだ? どこだ? どこで聞いた!
――君。
――ゆ……君。
はっとした。頭の中で聞こえた声は大樹だ。
落ち着け。ここで焦れば、全てが消えてしまう。
集中しろ。集中するんだ。
目を閉じ、耳を塞ぐ。周りの全ての物、音を遮断し、か細い糸を手繰るのだ。切れないように、慎重に。
頼む。大樹。もう一度――。
――ゆ……君。
――ゆーや君。
――ふじた、ゆーや君。
「よし!」
高瀬は声高に言ってガッツポーズをとった。皆が驚いたように高瀬を見たが、そんなこと知るかとばかりに、何度もよしと言いながら、両手の拳を握った。
捕まえた! そうだ。そうだった!
千里の家で、大樹が口の周りをアイスでベトベトにしながら言ったのがユーヤ。藤田憂夜の名だったのだ。
藤田憂夜に関しては、千里の家を出る際に青梅署の山根に聞き込みを頼んでいたが、すっかり忘れていた。そういや、彼も今朝から行方が分らなくなっていると言う報告を受けていたではないか。
おかげで高瀬は未だその藤田憂夜の顔を確認してはいなかったが……。
まさか。コイツなのだろうか。
「畜生。もっと近くで映ってりゃな」
高瀬は嘆息した。画面の中の少年の顔は、その距離から豆粒のようだった。
「クソ!」
そう悪態をついた高瀬だったが、先ほど背中を擦ってやった鑑識の「大丈夫です」の声に思わず上擦った声を上げた。
「ま、マジで?」
「ええ。出来ます。このカメラは意外に解像度も大きいですし、デジタルズームでかなり拡大出来ます。それでも足りなければ持ち帰って、ソフトで何とかしますよ!」
「そりゃスゲェ。心強いよ」
鑑識は「とりあえず」と言うと、カメラを操作する。機械音痴の高瀬にはちんぷんかんぷんであるが、あっという間に先程の女の顔がアップになった。
思わずヒュウッと口笛を吹く。捜査員からも、ため息ともつかぬ声が上がった。
「こりゃあ……とんでもねぇいい女だな……」
こんな異常な現場でなければ。
画面に映し出された白く滑らかな肌。対照的な紅い唇。先程艶めかしいと感じたのは間違いなかった。それほどに女は美しく、しかし冷たく、そして妖艶だった。この世の物とは思えぬほどに。
だが、逆にこれほどの女であれば、すぐに面が割れるかもしれない。
「プリントアウトして身元の確認を。少年の方も頼む」
「直ぐ手配します!」
言うと、鑑識は即座にスクリーンショットを取り、メールで捜査本部へと送信した。
「便利なもんだな」
IT技術の進歩のおかげで、警察の捜査の機動力は遥かに上がった。自分がイマイチそれについていけないのが残念なところではあるが。
高瀬はひとつため息をつくと、再生を促した。
再び再生が始まった画面では、豊島と思われる男が体を丸めていた。首の後ろを抱えるようにしており、酷く苦しそうである。
そんな男に少年がゆっくりと近づく。
そして傍にしゃがみ込むと、随分と場に不似合いな暢気な声で「生きてる?」と言いながら男をつつき、そして男を助け起こした。
その光景は、まるでこれまでの事が映画の撮影であったかのようであったが、それは突然起こった。
男が悶え苦しみ出したのだ。それは全身に火でも点いたかのようで、体をのけぞらせ体を掻き毟り、かと思うと地面につきそうなほどに項垂れ、全身で息をしている。
「一体何が起きてるんだ」
言ってはっとした。
――感染るのさ。
――感染るのさ。
――御山の鬼は感染るのさ。
再び静江の声が脳内に響き渡る。
まさか――。
「まさか……感染……したのか?」
「かんせん? え? 観戦?」
柴田は訳も分からずモニターと高瀬の顔を交互に見ている。高瀬はそれを無視してモニターを睨み続けた。
静江の話が本当なら。現実に起きているのだとしたら。
とてつもなく嫌な想像、いや、予感にぞっとした。男は屈強だ。もし御山の鬼の精とやらが彼の体内に侵入し、感染したとしたら。そしてその精に耐えられたとしたら。
この男も――。
しかし男は限界を迎えつつあるようにも見えた。
全身を駆け巡る熱に翻弄され、やっと意識を保っている。そんな風に見受けられる。
その時、息も絶え絶えの男の顔面を少年は突如として蹴り上げ、浅ましく血肉を啜る鬼を指さし言った。
『美味しそうに食べてるでしょう? 英明、凄くお腹が空いてたんだよ』
英明――?
全身の毛穴が痺れるような、チリチリとした感覚を高瀬は感じた。
英明。もしやあれが、あの鬼が長谷川英明だと言うのか。
憶測でしかないとは言え、狙われるのではと危惧していた行方不明のアスリート。やはり遅かったのだろうか。
しかし、あれがそうだとしてどうやって確かめればいいのか。
「たたっ、たたた高瀬さん! 大変です! 男が撃たれました!」
はっとして思考を断ち切り画面を見やる。男はぐったりとしていた。
「殺したのか?」
「分かりません」
「なんてこった」
男が鬼に襟首を掴まれ、ズルズルと引き摺られながら闇に消えていく。
弱々しい声を上げ、柴田がまたへなへなとその場に座り込む。
しかしそれとは裏腹に、現場は一気に慌ただしくなった。
「緊急配備を布け!」
「手配済みです!」
「近辺の防犯カメラのデータは?」
「パトロールを強化!」
捜査員がバタバタと散っていく。そんな中で高瀬は一人、モニターを睨み立ち尽くしていた。
何故だ。何故それを?
鬼の後をゆっくりと追う女と少年。その少年は口笛で、場違いなほど優しいメロディを口ずさんでいた。
知っている。高瀬も何度となく耳にした優しいメロディ。何故彼はこれを?
「お疲れ様。何か分かっ――」
「月見里!」
月見里の姿を見止めると、高瀬は駆け寄り、ぐいっと親友の腕を引いた。
「え? なに? どうしたの?」
ただならぬ雰囲気に、月見里も足早に従う。そしてモニター前に立つと、高瀬は鑑識員に少しVTRを巻き戻すよう指示した。
「聞け」
再び件の少年の口笛が流れる。
すると、月見里もぎょっとしたように目を見開いた。
「文孝、これは……」
「昔、優香が歌ってるのを聞いたことがある。違うか?」
暫し無言で立っていた月見里であったが、鑑識員がVTRを停止させると、真っ直ぐに親友の目を見た。
「間違いないよ。僕らが……僕や優香が育った、施設の園歌だ」
バンのバックドアを跳ね上げて中に据えられたモニターを覗き込んでいた高瀬は、それだけ言うと言葉を失った。高瀬ですらと言った方がいいだろう。
根牟田は気を失っていたし、柴田も腰を抜かして座りこんでいた。
映像はかなり上下左右に振られていたが、御伽噺でしかその存在を知らなかった鬼が人間を襲っているのが見て取れた。
その様子は、これまで目にして来た映画や漫画などの比ではなかった。凄惨な現場を数多く見て来た高瀬もにわかには信じがたく、あまりに衝撃的な映像に全身が粟立ち、足が竦んだ。
次の瞬間。
「……!」
誰もがヒッと声を上げ顔を背ける中、高瀬だけが、食い入るように画面を見つめていた。
ボンネットに押し付けられ、耳を塞ぎたくなるような叫び声を上げた港の体から、ズルズルと乱暴に何かが引き摺り出されたのを。
「マジかよ……いった何す……」
言いかけた高瀬の脳裏に再び御山荘の大女将、静江の声が響いた。
そうだ。静江は言っていたではないか。
伝説の鬼は度々村へ降りては逃げ惑う人々を襲い、その腹を破って血の滴る生き肝を喰らった。人の肝こそが、鬼の命であり、力の源であったからだと。
人の肝。即ち――。
「肝臓だ。肝臓を食うつもりなんだ」
「いいいいい、生きたまま?!」
高瀬の足元で膝をついていた若い鑑識員が素っ頓狂な声を上げてモニターを覗き込み、そして直ぐに顔を顰めた。
鬼がぶら下った臓器と思われる物を乱暴に引き千切り、肉塊を口元へと運ぶと、グチャグチャと、まさに貪り喰っている。
「うぐぅッ!」
鑑識員は背中を丸め、口を覆った。
現場で数多くの遺体を目の当たりにして来た鑑識員であっても、生きた人間の腹から臓物を引き出されるところを見る訳ではないのだ。
「……っく、……すみ……ま、せ……」
何度も喉を鳴らし、こみ上げてくる胃液を飲み込みながら浅く肩で息をしている鑑識員の背を、高瀬はそっと擦った。
手のひらを伝い、小刻みに彼の震えが伝わってくる。
「すみません……」
「構わん」
言って、軽く肩を叩く。画面では若い男が鬼の次なるターゲットとなっていた。
男はアクション映画さながらに、地面を転がるようにして攻撃を避けている。常人離れした動き。恐らくこれがボクサー、豊島に違いない。
「根牟田警部!」
背後からの声に高瀬が振り返ると、色褪せたジーンズに型崩れしたポロシャツと言う、実にラフな格好の若い男が両足を揃えて敬礼をした。どうやら高島平警察の刑事らしい。
「報告しま……あ……あれ? 警部……?」
「警視庁の高瀬だ。根牟田警部は今、酷く体調がお悪い。俺が聞こう」
刑事は一瞬躊躇したが、地面に伸びている根牟田に気付くと頷いた。
「豊島伸次が所属するボクシングジムと連絡が取れました」
「面は?」
「確認しました。写真も預かってます」
そういうと、モニターをちらちらと見ながら手帳を開き、間に挟んでいた写真を差し出した。
ポロシャツ刑事は、モニターに映し出されている光景にすっかり顔色を失っている。
高瀬は黙って写真を受け取った。
所謂宣材写真というやつだろう。写真の中の男は上半身裸でグローブを嵌め、ファイティングポーズを取って此方を睨んでいる。
高瀬は何度か小さく頷いた。写真の男は、鬼に襲われている男に酷似していた。
「これが豊島で間違いないな?」
「ええ、そうで……あっ! あぶな……ッ」
刑事は高瀬の背後を指差すと叫んだ。その声に、高瀬も咄嗟に振り返る。
回していたVTRでは、いよいよ男に最期の時が迫ろうとしていた。
鬼が覆い被さり、そして野太い腕を振り上げている。
――殺される!
「えっ……? 止まっ……た……?」
鬼の手が、すんでのところでピタリと止まっていた。
なぜだ。その場の全員がそう思った時、相変わらガタガタとブレる画面の端に、何かが映った。
「女?」
「女だ」
「高瀬警部補、子供もいます!」
口々にそう言って捜査員が画面を指差す。
モニターにはその場に不似合いな赤いスリップドレスの女。そして、そのすぐ傍にハーフパンツの少年が映っていた。
女は遠目にもわかる艶めかしさ。かなりの上玉だ。
夜の公園に子連れのスリップドレスの女。それだけでも充分不可解であったが、更に奇妙なことに、二人は臆する事無く鬼に近付いて行っているように見える。
到底考えられない光景に、高瀬達は息を詰め、食い入るように画面を見つめた。
「高瀬さん、この人……何か持ってます」
ふと、座り込んだままの柴田が女の手を指し示した。その手には、光る紐のようなものが握られていた。
「画面が揺れて見づらいですけど……え、ウソ、鞭……?」
柴田はそういうと高瀬を見上げる。
高瀬は答えず、ただ黙ってモニターを見ていた。
異様な光景だった。理性の欠片も感じられなかった獰猛な獣が、のろのろと豊島から離れ、まるで飼犬のように、おとなしく女と少年に従っている。
少なくとも、その場にいた捜査員たちの目にはそう映った。
「猛獣使いか女王様みた――」
「シッ!」
ぼそりと言う柴田の言葉を高瀬は遮った。
僅かながらであったが女の声が聞こえたのだ。
「今のとこ! 今んとこもう1回! 音量を上げてくれ。何か言ってる」
高瀬の指示に、VTRは即座に巻き戻され、音量が上げられた。
サーっと言うホワイトノイズの中、聞こえたのは――。
『――ユウヤ』
ユウヤ?
女は確かに少年をそう呼んだ。
ユウヤ。ユウヤ。ユウヤ。
頭の中で繰り返す。どこかで聞いた名だ。
「止めてくれ」
高瀬はVTRを一度停止させるよう命じると、ガシガシと頭を掻いた。
檻の中のトラのように、右へ左へと往復しながら考え、また頭を掻く。
じめじめとした暑さのせいで、頭皮にも汗が滲んでいる。その手をスラックスに擦り付けると、高瀬は毒づいた。
「あー。クソッ」
色々有り過ぎて、頭に突っ込んだ物が全く整理しきれていない。
子供の玩具箱のように混沌とした自身の海馬に手を捻じ込み、闇雲に引っ掻き回す。
思い出せ。どこだ? どこだ? どこで聞いた!
――君。
――ゆ……君。
はっとした。頭の中で聞こえた声は大樹だ。
落ち着け。ここで焦れば、全てが消えてしまう。
集中しろ。集中するんだ。
目を閉じ、耳を塞ぐ。周りの全ての物、音を遮断し、か細い糸を手繰るのだ。切れないように、慎重に。
頼む。大樹。もう一度――。
――ゆ……君。
――ゆーや君。
――ふじた、ゆーや君。
「よし!」
高瀬は声高に言ってガッツポーズをとった。皆が驚いたように高瀬を見たが、そんなこと知るかとばかりに、何度もよしと言いながら、両手の拳を握った。
捕まえた! そうだ。そうだった!
千里の家で、大樹が口の周りをアイスでベトベトにしながら言ったのがユーヤ。藤田憂夜の名だったのだ。
藤田憂夜に関しては、千里の家を出る際に青梅署の山根に聞き込みを頼んでいたが、すっかり忘れていた。そういや、彼も今朝から行方が分らなくなっていると言う報告を受けていたではないか。
おかげで高瀬は未だその藤田憂夜の顔を確認してはいなかったが……。
まさか。コイツなのだろうか。
「畜生。もっと近くで映ってりゃな」
高瀬は嘆息した。画面の中の少年の顔は、その距離から豆粒のようだった。
「クソ!」
そう悪態をついた高瀬だったが、先ほど背中を擦ってやった鑑識の「大丈夫です」の声に思わず上擦った声を上げた。
「ま、マジで?」
「ええ。出来ます。このカメラは意外に解像度も大きいですし、デジタルズームでかなり拡大出来ます。それでも足りなければ持ち帰って、ソフトで何とかしますよ!」
「そりゃスゲェ。心強いよ」
鑑識は「とりあえず」と言うと、カメラを操作する。機械音痴の高瀬にはちんぷんかんぷんであるが、あっという間に先程の女の顔がアップになった。
思わずヒュウッと口笛を吹く。捜査員からも、ため息ともつかぬ声が上がった。
「こりゃあ……とんでもねぇいい女だな……」
こんな異常な現場でなければ。
画面に映し出された白く滑らかな肌。対照的な紅い唇。先程艶めかしいと感じたのは間違いなかった。それほどに女は美しく、しかし冷たく、そして妖艶だった。この世の物とは思えぬほどに。
だが、逆にこれほどの女であれば、すぐに面が割れるかもしれない。
「プリントアウトして身元の確認を。少年の方も頼む」
「直ぐ手配します!」
言うと、鑑識は即座にスクリーンショットを取り、メールで捜査本部へと送信した。
「便利なもんだな」
IT技術の進歩のおかげで、警察の捜査の機動力は遥かに上がった。自分がイマイチそれについていけないのが残念なところではあるが。
高瀬はひとつため息をつくと、再生を促した。
再び再生が始まった画面では、豊島と思われる男が体を丸めていた。首の後ろを抱えるようにしており、酷く苦しそうである。
そんな男に少年がゆっくりと近づく。
そして傍にしゃがみ込むと、随分と場に不似合いな暢気な声で「生きてる?」と言いながら男をつつき、そして男を助け起こした。
その光景は、まるでこれまでの事が映画の撮影であったかのようであったが、それは突然起こった。
男が悶え苦しみ出したのだ。それは全身に火でも点いたかのようで、体をのけぞらせ体を掻き毟り、かと思うと地面につきそうなほどに項垂れ、全身で息をしている。
「一体何が起きてるんだ」
言ってはっとした。
――感染るのさ。
――感染るのさ。
――御山の鬼は感染るのさ。
再び静江の声が脳内に響き渡る。
まさか――。
「まさか……感染……したのか?」
「かんせん? え? 観戦?」
柴田は訳も分からずモニターと高瀬の顔を交互に見ている。高瀬はそれを無視してモニターを睨み続けた。
静江の話が本当なら。現実に起きているのだとしたら。
とてつもなく嫌な想像、いや、予感にぞっとした。男は屈強だ。もし御山の鬼の精とやらが彼の体内に侵入し、感染したとしたら。そしてその精に耐えられたとしたら。
この男も――。
しかし男は限界を迎えつつあるようにも見えた。
全身を駆け巡る熱に翻弄され、やっと意識を保っている。そんな風に見受けられる。
その時、息も絶え絶えの男の顔面を少年は突如として蹴り上げ、浅ましく血肉を啜る鬼を指さし言った。
『美味しそうに食べてるでしょう? 英明、凄くお腹が空いてたんだよ』
英明――?
全身の毛穴が痺れるような、チリチリとした感覚を高瀬は感じた。
英明。もしやあれが、あの鬼が長谷川英明だと言うのか。
憶測でしかないとは言え、狙われるのではと危惧していた行方不明のアスリート。やはり遅かったのだろうか。
しかし、あれがそうだとしてどうやって確かめればいいのか。
「たたっ、たたた高瀬さん! 大変です! 男が撃たれました!」
はっとして思考を断ち切り画面を見やる。男はぐったりとしていた。
「殺したのか?」
「分かりません」
「なんてこった」
男が鬼に襟首を掴まれ、ズルズルと引き摺られながら闇に消えていく。
弱々しい声を上げ、柴田がまたへなへなとその場に座り込む。
しかしそれとは裏腹に、現場は一気に慌ただしくなった。
「緊急配備を布け!」
「手配済みです!」
「近辺の防犯カメラのデータは?」
「パトロールを強化!」
捜査員がバタバタと散っていく。そんな中で高瀬は一人、モニターを睨み立ち尽くしていた。
何故だ。何故それを?
鬼の後をゆっくりと追う女と少年。その少年は口笛で、場違いなほど優しいメロディを口ずさんでいた。
知っている。高瀬も何度となく耳にした優しいメロディ。何故彼はこれを?
「お疲れ様。何か分かっ――」
「月見里!」
月見里の姿を見止めると、高瀬は駆け寄り、ぐいっと親友の腕を引いた。
「え? なに? どうしたの?」
ただならぬ雰囲気に、月見里も足早に従う。そしてモニター前に立つと、高瀬は鑑識員に少しVTRを巻き戻すよう指示した。
「聞け」
再び件の少年の口笛が流れる。
すると、月見里もぎょっとしたように目を見開いた。
「文孝、これは……」
「昔、優香が歌ってるのを聞いたことがある。違うか?」
暫し無言で立っていた月見里であったが、鑑識員がVTRを停止させると、真っ直ぐに親友の目を見た。
「間違いないよ。僕らが……僕や優香が育った、施設の園歌だ」
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「第6回ホラー・ミステリー小説大賞」奨励賞をいただきました!
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
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