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本編:第一章
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失神した柴田を事務室の栞に預けた高瀬が戻ってくると、ようやく解剖が再開された。
通常、法医学教室では外表検査等に長く時間を費やす為、実際に遺体へメスを入れる解剖は、1体あたりおよそ1時間である。
まず頸部から恥骨まで、臍を避けて正中切開で皮膚を切り開くのだが、今回は腹部が大きく裂けている為、頸部から腹部、腹部から恥骨へと、腹部の穴を広げるような形で切開された。
その一刀一刀の合間にフラッシュが焚かれ、解剖の経過が記録される。
次に胸部の肋骨を切断し、心臓、肺などの胸腔内臓器、頸部、肝臓、腎臓、腸、胃などの腹腔内臓器を調べる……はずが、腹部を広げて直ぐに、月見里が手を止めた。
「やっぱり無い」
開創器で広げられている、赤黒く変色した腹腔内を覗き込むと月見里は眉間に皺を寄せた。
「なんだよ。何が無いんだ?」
顔を上げた月見里に代わり、高瀬が腹腔内を覗き込む。が、直ぐに顔を顰めて引っ込めた。
「どう?」
「おう。メタクソ気味が悪い」
高瀬の返事にガックリと肩を落とすと、月見里はそうじゃなくて、と頭を振った。
「さっぱりわからん」
高瀬がきっぱり言い放つと、組織サンプルを作る準備をしていた宮下が覗き込んできた。
「どうしたんです……ありゃ、本当だ」
そう言うと、宮下は目をぱちくりさせている。
「何が無いんですか」
「肝臓ですよ、高瀬さん」
「は?」
宮下の言葉に、次は高瀬が目をぱちくりさせた。
「現場で彼を診た時も、あれって思ったんだけど」
解剖台に横たわる遺体をちらと見ると月見里は続けた。
「ちゃんと解剖するまでは、はっきりした事は言わない方がいいと思ってたんだ。でも、やっぱり無い」
「どっか、腹の穴ン中転がってんじゃねえの?」
高瀬の無知さに嘆息すると、月見里は血と脂にまみれた手袋を外し、マスクも取った。
「文孝、肝臓ってどれくらいの大きさか知ってる?」
「どれくらいって……」
そう言うと、高瀬は雑誌で見たフォアグラを想像した。あれは肥大させた鵞鳥の肝臓だ。人間は鵞鳥より身体が大きいのだから、ちょっとサービスして……と、両手を丸めるようにして楕円を作った。
「こう……コッペパンぐらい?」
「全然」
「じゃ、アンパン。クロワッサン」
次第に小さくなっていく例えに、月見里は困ったように眉を下げた。
「そうじゃなくて。大きいんだよ。それも凄く」
しかし、高瀬はなかなかイメージ出来ずにいるらしい。うーんと唸ると腕を組み、眉間に深い皺を寄せている。
「わかったかい?」
「わからん。教えろ」
こう言うことは諦めが早い高瀬である。直ぐに降参し、偉そうに説明を促した。
それに対し、月見里は機嫌を損ねるでもなく、ハイハイと笑顔で応じながら高瀬の横に立つと、両手の人差し指をそれぞれ高瀬の頭頂部と顎に当てた。
「こんな感じで、君の頭をスパッ!」
言いながら、頭頂部に当てた指を耳の脇を通るように、一気に顎まで滑らせる。
「……と、縦に半分に切った内のひとつ分ぐらいかな」
「妙な例え方すんな!」
月見里の手を振り払うと、高瀬は耳から顎を何度も擦った。
高瀬の反応に、解剖室内が再び和やかになった。若い写真係とシュライバーなど、背中を逸らせて笑っている。
「ったくよー。鳥肌立ったじゃねえか」
「ごめんごめん。でも、それくらい大きいんだよ。場所的には、胃と三分の一を重ねて並ぶような感じかな。だからこんな風に、この位置に大穴が開いてたら、直ぐにわか……」
そこで月見里はハッとしたように口を噤むと、新しい手袋を引っ掴み、遺体を保存している冷蔵庫へと走り出した。
「お……、おい!月見里」
通常、法医学教室では外表検査等に長く時間を費やす為、実際に遺体へメスを入れる解剖は、1体あたりおよそ1時間である。
まず頸部から恥骨まで、臍を避けて正中切開で皮膚を切り開くのだが、今回は腹部が大きく裂けている為、頸部から腹部、腹部から恥骨へと、腹部の穴を広げるような形で切開された。
その一刀一刀の合間にフラッシュが焚かれ、解剖の経過が記録される。
次に胸部の肋骨を切断し、心臓、肺などの胸腔内臓器、頸部、肝臓、腎臓、腸、胃などの腹腔内臓器を調べる……はずが、腹部を広げて直ぐに、月見里が手を止めた。
「やっぱり無い」
開創器で広げられている、赤黒く変色した腹腔内を覗き込むと月見里は眉間に皺を寄せた。
「なんだよ。何が無いんだ?」
顔を上げた月見里に代わり、高瀬が腹腔内を覗き込む。が、直ぐに顔を顰めて引っ込めた。
「どう?」
「おう。メタクソ気味が悪い」
高瀬の返事にガックリと肩を落とすと、月見里はそうじゃなくて、と頭を振った。
「さっぱりわからん」
高瀬がきっぱり言い放つと、組織サンプルを作る準備をしていた宮下が覗き込んできた。
「どうしたんです……ありゃ、本当だ」
そう言うと、宮下は目をぱちくりさせている。
「何が無いんですか」
「肝臓ですよ、高瀬さん」
「は?」
宮下の言葉に、次は高瀬が目をぱちくりさせた。
「現場で彼を診た時も、あれって思ったんだけど」
解剖台に横たわる遺体をちらと見ると月見里は続けた。
「ちゃんと解剖するまでは、はっきりした事は言わない方がいいと思ってたんだ。でも、やっぱり無い」
「どっか、腹の穴ン中転がってんじゃねえの?」
高瀬の無知さに嘆息すると、月見里は血と脂にまみれた手袋を外し、マスクも取った。
「文孝、肝臓ってどれくらいの大きさか知ってる?」
「どれくらいって……」
そう言うと、高瀬は雑誌で見たフォアグラを想像した。あれは肥大させた鵞鳥の肝臓だ。人間は鵞鳥より身体が大きいのだから、ちょっとサービスして……と、両手を丸めるようにして楕円を作った。
「こう……コッペパンぐらい?」
「全然」
「じゃ、アンパン。クロワッサン」
次第に小さくなっていく例えに、月見里は困ったように眉を下げた。
「そうじゃなくて。大きいんだよ。それも凄く」
しかし、高瀬はなかなかイメージ出来ずにいるらしい。うーんと唸ると腕を組み、眉間に深い皺を寄せている。
「わかったかい?」
「わからん。教えろ」
こう言うことは諦めが早い高瀬である。直ぐに降参し、偉そうに説明を促した。
それに対し、月見里は機嫌を損ねるでもなく、ハイハイと笑顔で応じながら高瀬の横に立つと、両手の人差し指をそれぞれ高瀬の頭頂部と顎に当てた。
「こんな感じで、君の頭をスパッ!」
言いながら、頭頂部に当てた指を耳の脇を通るように、一気に顎まで滑らせる。
「……と、縦に半分に切った内のひとつ分ぐらいかな」
「妙な例え方すんな!」
月見里の手を振り払うと、高瀬は耳から顎を何度も擦った。
高瀬の反応に、解剖室内が再び和やかになった。若い写真係とシュライバーなど、背中を逸らせて笑っている。
「ったくよー。鳥肌立ったじゃねえか」
「ごめんごめん。でも、それくらい大きいんだよ。場所的には、胃と三分の一を重ねて並ぶような感じかな。だからこんな風に、この位置に大穴が開いてたら、直ぐにわか……」
そこで月見里はハッとしたように口を噤むと、新しい手袋を引っ掴み、遺体を保存している冷蔵庫へと走り出した。
「お……、おい!月見里」
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