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第五章
7 エピローグ
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警察から、パソコンなどと一緒に、これはあなたの作品で間違いないかと、一冊のコピー誌を渡された。
『WRONG~胡乱~』
擦り切れた表紙には、そう書かれている。
私はまじまじとそれを見た。
その様子に、刑事が眉根を寄せた。
「佐伯さん? これは、あなたの書棚から出た物ですよ?
それに、随分前ですが、あなたのブログにも、自身の処女作として紹介されていましたけど……違うんですか?」
しまった。
私は慌てて「そうでした」と答えた。
「ええ、ええ。私が昔書いたものです。すっかり忘れていました」
「そうですか。まあ、記憶障害が残ったと聞いてますし……あ、他に押収した物は、また近々お届けに参りますので」
「はい」
私は頭を下げると、小さく頷くに止め、余計な事は言わないことにした。
「ところで──、作家を引退されるとか」
「ええ」
「勿体ないなぁ。いや、僕もちょっとそれを読ませてもらいましたけどね、ホント、天才的だと思いましたよ」
「有難うございます……」
刑事は折角だからと、バインダーにサインを強請り、それを大事そうに抱えて帰って行った。
私は書斎でコピー誌をパラパラと捲った。
そこに、サモトラケのニケの挿絵が描かれていた。
思い出した。
これは森崎が学生時代に書いた作品だ。一度だけ、見せて貰った事がある。
文芸冊子を売るフリーマーケットに、ほんの数冊だけ出品したものだと聞いた。
元データはもうないとかで、自分も1冊しか持っていないのだと話していたが、この部屋にあったとは。
そもそもこの書斎は彼のものだ。それに、刑事が言っていたブログも、森崎が書いていた物だった。
そりゃあそうだ。
何しろ私には微塵の文才も無いのだから。
とあるサイトを通して声をかけて来た森崎。
「スランプに陥ってしまって──」
彼は狂気を欲していた。
そして、私たちは密約を交わしたのだ。
私が狩り、そして彼はそれを眺め文章にした。
そう。
本当の徳井呰鬼英は、森崎健吾だったのだ。
哀れな森崎。
美憂と言う獲物を横取りされ、憤慨する私を氷室から守り、そして再びの脳梗塞の後遺症により「またしても記憶を失ったことにした」私に代わり、全ての罪を背負った。
私には到底理解出来ないが、彼にとって、小説を書く事、作家になる事はそれほどに価値のある事だったのだろう。
先日、私の元に、弁護士がやって来た。
森崎が、自分の死後、遺産は全て佐伯郁門に譲るとの遺言を書いたと言う事を告げるためにやって来たのだった。
彼が株によって大きな財を築いたと言うのは本当だったようだ。
被害者が判明した場合は賠償の必要もあるとのことだったが、恐らくそれはないだろう。
死体の処理は完璧なのだ。
気が付けば、部屋の中が暗くなっていた。
最近は陽が落ちるのも早い。
これから着替えて出掛ければ、丁度いいだろう。
佐伯は、クローゼットからブリオーニのスーツを取り身に着けた。
そして、ダンヒルの香水、『エディション』を振る。
数日前から目を付けている獲物がいる。
そろそろ良い時期だろう。
足早に歩く女との距離を詰め、そしてその脇を通り越す。
ちらと振り返ったら声を掛けるのだ。
こんばんは──。と。
獲物を手に入れることはそう難しくない。
重要なのはアドレナリンをコントロールする事。
そして、己の見てくれに気を遣う事だ。
──了。
『WRONG~胡乱~』
擦り切れた表紙には、そう書かれている。
私はまじまじとそれを見た。
その様子に、刑事が眉根を寄せた。
「佐伯さん? これは、あなたの書棚から出た物ですよ?
それに、随分前ですが、あなたのブログにも、自身の処女作として紹介されていましたけど……違うんですか?」
しまった。
私は慌てて「そうでした」と答えた。
「ええ、ええ。私が昔書いたものです。すっかり忘れていました」
「そうですか。まあ、記憶障害が残ったと聞いてますし……あ、他に押収した物は、また近々お届けに参りますので」
「はい」
私は頭を下げると、小さく頷くに止め、余計な事は言わないことにした。
「ところで──、作家を引退されるとか」
「ええ」
「勿体ないなぁ。いや、僕もちょっとそれを読ませてもらいましたけどね、ホント、天才的だと思いましたよ」
「有難うございます……」
刑事は折角だからと、バインダーにサインを強請り、それを大事そうに抱えて帰って行った。
私は書斎でコピー誌をパラパラと捲った。
そこに、サモトラケのニケの挿絵が描かれていた。
思い出した。
これは森崎が学生時代に書いた作品だ。一度だけ、見せて貰った事がある。
文芸冊子を売るフリーマーケットに、ほんの数冊だけ出品したものだと聞いた。
元データはもうないとかで、自分も1冊しか持っていないのだと話していたが、この部屋にあったとは。
そもそもこの書斎は彼のものだ。それに、刑事が言っていたブログも、森崎が書いていた物だった。
そりゃあそうだ。
何しろ私には微塵の文才も無いのだから。
とあるサイトを通して声をかけて来た森崎。
「スランプに陥ってしまって──」
彼は狂気を欲していた。
そして、私たちは密約を交わしたのだ。
私が狩り、そして彼はそれを眺め文章にした。
そう。
本当の徳井呰鬼英は、森崎健吾だったのだ。
哀れな森崎。
美憂と言う獲物を横取りされ、憤慨する私を氷室から守り、そして再びの脳梗塞の後遺症により「またしても記憶を失ったことにした」私に代わり、全ての罪を背負った。
私には到底理解出来ないが、彼にとって、小説を書く事、作家になる事はそれほどに価値のある事だったのだろう。
先日、私の元に、弁護士がやって来た。
森崎が、自分の死後、遺産は全て佐伯郁門に譲るとの遺言を書いたと言う事を告げるためにやって来たのだった。
彼が株によって大きな財を築いたと言うのは本当だったようだ。
被害者が判明した場合は賠償の必要もあるとのことだったが、恐らくそれはないだろう。
死体の処理は完璧なのだ。
気が付けば、部屋の中が暗くなっていた。
最近は陽が落ちるのも早い。
これから着替えて出掛ければ、丁度いいだろう。
佐伯は、クローゼットからブリオーニのスーツを取り身に着けた。
そして、ダンヒルの香水、『エディション』を振る。
数日前から目を付けている獲物がいる。
そろそろ良い時期だろう。
足早に歩く女との距離を詰め、そしてその脇を通り越す。
ちらと振り返ったら声を掛けるのだ。
こんばんは──。と。
獲物を手に入れることはそう難しくない。
重要なのはアドレナリンをコントロールする事。
そして、己の見てくれに気を遣う事だ。
──了。
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