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第二章
6 名画
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K書店出版の社屋がある文京区から車で約1時間。
現場は八王子市。殿入中央公園テニスコート脇の私道だった。
その路肩に、ナンバーの付いていない不審な3tトラックが、エンジンが掛った状態で放置されているとの通報があったのだ。
氷室と翔平は、テニスコート前の砂利が剥き出しになっている駐車スペースに車を止めると、歩いて現場へとむかった。
トラックが放置されていたのは舗装もされていない道路で、道幅も狭く、車2台が行きかうのもやっとと言った細い道だ。
その路肩へ寄せるようにして、3tの冷凍車が止まっていた。
シルバーの車体は傷だらけで薄汚れており、サイドバンパーには錆が浮いている。
そして確かにナンバーが付いていなかった。
「また冷凍車ですね」
既に現場に到着していた森永に声掛ける。
森永はちらと氷室を振り返ると小さく頷いた。
それと同じタイミングで、トラックの横に立つ鑑識がOKの合図を出す。どうやら鑑識の作業が終わったようだ。
「入れるようです。行きましょう」
森永は待ちきれないと言った風にトラックへと向かう。
氷室と翔平は、その後に続いた。
トラックは、所謂跳ね上げと言うゲートで、観音扉の上に重なるようについているタイプだった。
最近では格納ゲートが主流であるから、割と古いタイプのトラックと言える。
鑑識員がゲートを倒して下降させると、ゆっくりと観音扉が開かれた。
まだ残暑厳しい夕方の参道に、トラックの庫内から雲海のような冷気が放たれる。
森永と氷室、そして翔平は、ゲートに乗ると、いまだもうもうと白い冷気を放つ庫内へと足を踏み入れた。
「さむーっ!」
翔平はそう言うと、自分の身体を抱く。氷室も思わず自分の頰や首筋を撫でる冷気に体を丸めた。
冷気は刑事たちの脇を生き物のようにすり抜け、外へと流れ出て行く。そしてついに庫内が露わになった。
「え……」
翔平は目を剥くとその場に尻もちをついた。
「ひえぇぇっ!」
「これは……」
翔平は叫び、氷室は息を呑む。
森永も目を見開いた。
そこにあったのは、木箱の上に乗った腰高窓程の大きな金の額縁。
そしてその奥には、凍った睫の向こうからこちらを見つめる女の姿があった。
青白い、青磁器のような肌。黒く長い髪。茶色いビロードのドレスを纏い、胸の下で手を重ね、微笑んでいるかのように見える。
「モナ・リザ……」
氷室の口から、レオナルドダヴィンチの有名な絵画の名が零れ落ちた。
それを拾うように、背後から関西弁が後を継ぐ。
「やろな~。別珍のドレスがよう似合っとる」
「竹さん……」
鑑識の竹山だった。
よっこいしょと言いながらゲートによじ登ると、うーんと腰を反らす。
そして庫内に入ると、凍り付いたモナ・リザを指差した。
「木箱の上に、額縁とその子が固定されてんねんけど。不自然な高さやろ?」
「確かに……そうっすね」
翔平は恐る恐るモナ・リザを見やり、顔を引きつらせる。
竹山の言う通り、箱の上に座っているとなると低過ぎ、箱の後ろに座っているとなると高過ぎるのである。
「その子、脚、切られてんで」
「切らっ──?」
「つまり……ウィトルウィウスの、足の持ち主……?」
氷室の言葉に、竹山は頷く。
「科捜研で鑑定せなハッキリした事は言われへんけど、まぁ間違いないやろな」
「なんでこんなこと……」
翔平が眉尻を下げ、唇を噛んだ。
誰にも理解出来ない。
しかし、ふと竹山が口を開いた。
「単純に、そうしたかったんちゃうかな」
その場の全員が、驚きの表情で竹山を見た。
その視線に気付き、竹山は困ったように頭を掻いたが、表情を引き締めると、トラックの天井を見上げるようにして言った。
「さあゲームの始まりです。愚鈍な警察諸君 ボクを止めてみたまえ──」
「それは──」
森永が顔を強張らせる。
氷室も顔を顰めた。
しかし、翔平だけがきょとんとして、急な竹山の言葉に首を傾げている。
「んん? なんすか竹さん、それ」
「ん? ああ。そうか。ウッチャンはまだ生まれてへんかな」
「昔の話?」
「まあ、昔の話やな」
そう言って竹山が苦笑すると、森永が代わって翔平に説明した。
「1997年に関西で起きた、連続児童殺傷事件です。子供を殺害し、無残にも遺体を損壊し、更に人目に晒すと言う恐ろしい事件で、犯人は──当時14歳の少年でした」
「えっ……?」
翔平は文字通り言葉を失い、ただ、森永、氷室、竹山の顔を順に見るしか出来なかった。
「ワシもその事件にちょっと関わったけど、犯人の少年は特に知能に障害がある訳でも何でもなく、動機は当人の欲求によるものやった」
竹山は、モナ・リザを見遣ると、深いため息をついた。
「不謹慎かもしれへんけど……、今回も、案外そんな気がすんねん」
「快楽殺人ですか……。しかし、有り得ないこともないでしょうね」
とはいえ、それは捜査を更に困難にさせる事を意味している。
森永は遺体の前に進み出た。
そっと目を閉じ、手を合わせる。
その後ろで、氷室、翔平、竹山もそれに倣った。
* * *
遺体を乗せたまま、トラックが現場を離れていく。
一度凍った遺体の劣化は早い。その為、下手に外へと出すよりも、凍り付いたままの方が良いと言う判断だった。
「氷室刑事」
駐車場へと向かう氷室に、森永は進捗を聞いて来た。
森永も課長を始めとする上層部へ報告を上げねばならないのだ。
氷室は森永と肩を並べながら、佐伯の友人である男に会った事を話した。
「感触は?」
「親友を犯人にしたくないようには見えましたが……」
「まあ、そうでしょうね」
氷室はふと足を止めた。翔平の言葉を思い出したのだ。
森永も歩みを止め、氷室を振り返る。
「何か引っかかるの事でも?」
「……あの男自身も、先日のプロファイルに合致するよう思えると、翔──内海が」
「ほう」
そう言うと、森永は氷室の後できょとんとしている翔平をちらと見た。
「で、あなた自身はどう思うんです? 氷室刑事」
「無駄足にならないとも限りません……。しかし、調べて損はないと思います」
「……なるほど」
「ところで、佐伯の足取りは」
氷室の問いに、森永は腕を組み、かぶりを振った。
「依然掴めていません。佐伯の家庭環境は少々複雑で──」
装前置きしつつも、森永は淡々と佐伯の両親は佐伯が幼い頃に離婚しており、佐伯は母親に引き取られたこと、その母親は彼が学生の頃に病死している事を話した。
「そんな訳で、実家と言うものもないようです」
「そうですか……」
氷室も唸った。すると、後ろから翔平が手を上げた。
「父親は生きているんですか?」
「いえ。既に他界していました。しかし、こちらも複雑でした」
森永は、戸籍から佐伯の父の人生を追ったようだ。
それによれば、父親は10年前に再婚し、相手の女性の娘を含め三人家族となった。
しかし、5年前、連れ子を残して夫婦ともに亡くなっている。
その原因は最後の住民票の在った地域の警察署で直ぐに調べることが出来、夫婦で出かけた際に起こした交通事故である事が明らかになっているとのことだった。
遺体の解剖の結果、夫である佐伯の父親に脳梗塞が見つかった事から、それが事故の要因と見られている。
「ともあれ、直接的な血の繋がりはありませんが、その遺児は佐伯の妹と言えます。
しかし、こちらも足取りがつかめません。ですが──」
森永はスマホを取り出し、氷室と翔平に差し出し画像を見せた。
透き通る肌。つややかな長い髪。小さくツンと上がった鼻。黒目がちの目を、黒く長い睫が縁取っている。
「佐伯の妹に当たる女性の友人から頂いた写真です」
写真を覗き込んだ氷室と翔平は目を見張った。
「これは……」
「うわっ! 可愛いッスね! アイドルみたい! マジ天使!」
翔平が騒ぐのも仕方がないと思えるほどに、写真に写る女性は美しかった。友人の向けるカメラに、屈託のない笑顔を見せている。
「あー。主任、ボーッとしちゃって。タイプなんでしょ!」
翔平が、ニヤニヤしながら氷室をつつく。
氷室は空笑いをしながら、そうだなと答えた。
確かに、驚くほど美しかった。天使と言うより女神のようだった。
「佐伯美憂、25歳。先日まで都内でOLをしていました」
森永はスマホをしまいながら言った。
その、「していた」という所に引っ掛かったのだろう。翔平が、今は違うんですかと質問する。
森永は頷いた。
「転職の為、有休消化中でした。ですから、正確には今もその会社に籍がある事になりますね」
森永は、引き続き捜査しますと言い残すと、捜査員が運転する車に乗り込み現場を後にした。
まもなく、氷室のスマホに画像が送られて来た。
それは森永からで、送られて来た画像は先程の佐伯美憂の写真だ。
「妹……か」
氷室はそれをスマホの待ち受けに切り替えると、ポケットに滑り込ませた。
現場は八王子市。殿入中央公園テニスコート脇の私道だった。
その路肩に、ナンバーの付いていない不審な3tトラックが、エンジンが掛った状態で放置されているとの通報があったのだ。
氷室と翔平は、テニスコート前の砂利が剥き出しになっている駐車スペースに車を止めると、歩いて現場へとむかった。
トラックが放置されていたのは舗装もされていない道路で、道幅も狭く、車2台が行きかうのもやっとと言った細い道だ。
その路肩へ寄せるようにして、3tの冷凍車が止まっていた。
シルバーの車体は傷だらけで薄汚れており、サイドバンパーには錆が浮いている。
そして確かにナンバーが付いていなかった。
「また冷凍車ですね」
既に現場に到着していた森永に声掛ける。
森永はちらと氷室を振り返ると小さく頷いた。
それと同じタイミングで、トラックの横に立つ鑑識がOKの合図を出す。どうやら鑑識の作業が終わったようだ。
「入れるようです。行きましょう」
森永は待ちきれないと言った風にトラックへと向かう。
氷室と翔平は、その後に続いた。
トラックは、所謂跳ね上げと言うゲートで、観音扉の上に重なるようについているタイプだった。
最近では格納ゲートが主流であるから、割と古いタイプのトラックと言える。
鑑識員がゲートを倒して下降させると、ゆっくりと観音扉が開かれた。
まだ残暑厳しい夕方の参道に、トラックの庫内から雲海のような冷気が放たれる。
森永と氷室、そして翔平は、ゲートに乗ると、いまだもうもうと白い冷気を放つ庫内へと足を踏み入れた。
「さむーっ!」
翔平はそう言うと、自分の身体を抱く。氷室も思わず自分の頰や首筋を撫でる冷気に体を丸めた。
冷気は刑事たちの脇を生き物のようにすり抜け、外へと流れ出て行く。そしてついに庫内が露わになった。
「え……」
翔平は目を剥くとその場に尻もちをついた。
「ひえぇぇっ!」
「これは……」
翔平は叫び、氷室は息を呑む。
森永も目を見開いた。
そこにあったのは、木箱の上に乗った腰高窓程の大きな金の額縁。
そしてその奥には、凍った睫の向こうからこちらを見つめる女の姿があった。
青白い、青磁器のような肌。黒く長い髪。茶色いビロードのドレスを纏い、胸の下で手を重ね、微笑んでいるかのように見える。
「モナ・リザ……」
氷室の口から、レオナルドダヴィンチの有名な絵画の名が零れ落ちた。
それを拾うように、背後から関西弁が後を継ぐ。
「やろな~。別珍のドレスがよう似合っとる」
「竹さん……」
鑑識の竹山だった。
よっこいしょと言いながらゲートによじ登ると、うーんと腰を反らす。
そして庫内に入ると、凍り付いたモナ・リザを指差した。
「木箱の上に、額縁とその子が固定されてんねんけど。不自然な高さやろ?」
「確かに……そうっすね」
翔平は恐る恐るモナ・リザを見やり、顔を引きつらせる。
竹山の言う通り、箱の上に座っているとなると低過ぎ、箱の後ろに座っているとなると高過ぎるのである。
「その子、脚、切られてんで」
「切らっ──?」
「つまり……ウィトルウィウスの、足の持ち主……?」
氷室の言葉に、竹山は頷く。
「科捜研で鑑定せなハッキリした事は言われへんけど、まぁ間違いないやろな」
「なんでこんなこと……」
翔平が眉尻を下げ、唇を噛んだ。
誰にも理解出来ない。
しかし、ふと竹山が口を開いた。
「単純に、そうしたかったんちゃうかな」
その場の全員が、驚きの表情で竹山を見た。
その視線に気付き、竹山は困ったように頭を掻いたが、表情を引き締めると、トラックの天井を見上げるようにして言った。
「さあゲームの始まりです。愚鈍な警察諸君 ボクを止めてみたまえ──」
「それは──」
森永が顔を強張らせる。
氷室も顔を顰めた。
しかし、翔平だけがきょとんとして、急な竹山の言葉に首を傾げている。
「んん? なんすか竹さん、それ」
「ん? ああ。そうか。ウッチャンはまだ生まれてへんかな」
「昔の話?」
「まあ、昔の話やな」
そう言って竹山が苦笑すると、森永が代わって翔平に説明した。
「1997年に関西で起きた、連続児童殺傷事件です。子供を殺害し、無残にも遺体を損壊し、更に人目に晒すと言う恐ろしい事件で、犯人は──当時14歳の少年でした」
「えっ……?」
翔平は文字通り言葉を失い、ただ、森永、氷室、竹山の顔を順に見るしか出来なかった。
「ワシもその事件にちょっと関わったけど、犯人の少年は特に知能に障害がある訳でも何でもなく、動機は当人の欲求によるものやった」
竹山は、モナ・リザを見遣ると、深いため息をついた。
「不謹慎かもしれへんけど……、今回も、案外そんな気がすんねん」
「快楽殺人ですか……。しかし、有り得ないこともないでしょうね」
とはいえ、それは捜査を更に困難にさせる事を意味している。
森永は遺体の前に進み出た。
そっと目を閉じ、手を合わせる。
その後ろで、氷室、翔平、竹山もそれに倣った。
* * *
遺体を乗せたまま、トラックが現場を離れていく。
一度凍った遺体の劣化は早い。その為、下手に外へと出すよりも、凍り付いたままの方が良いと言う判断だった。
「氷室刑事」
駐車場へと向かう氷室に、森永は進捗を聞いて来た。
森永も課長を始めとする上層部へ報告を上げねばならないのだ。
氷室は森永と肩を並べながら、佐伯の友人である男に会った事を話した。
「感触は?」
「親友を犯人にしたくないようには見えましたが……」
「まあ、そうでしょうね」
氷室はふと足を止めた。翔平の言葉を思い出したのだ。
森永も歩みを止め、氷室を振り返る。
「何か引っかかるの事でも?」
「……あの男自身も、先日のプロファイルに合致するよう思えると、翔──内海が」
「ほう」
そう言うと、森永は氷室の後できょとんとしている翔平をちらと見た。
「で、あなた自身はどう思うんです? 氷室刑事」
「無駄足にならないとも限りません……。しかし、調べて損はないと思います」
「……なるほど」
「ところで、佐伯の足取りは」
氷室の問いに、森永は腕を組み、かぶりを振った。
「依然掴めていません。佐伯の家庭環境は少々複雑で──」
装前置きしつつも、森永は淡々と佐伯の両親は佐伯が幼い頃に離婚しており、佐伯は母親に引き取られたこと、その母親は彼が学生の頃に病死している事を話した。
「そんな訳で、実家と言うものもないようです」
「そうですか……」
氷室も唸った。すると、後ろから翔平が手を上げた。
「父親は生きているんですか?」
「いえ。既に他界していました。しかし、こちらも複雑でした」
森永は、戸籍から佐伯の父の人生を追ったようだ。
それによれば、父親は10年前に再婚し、相手の女性の娘を含め三人家族となった。
しかし、5年前、連れ子を残して夫婦ともに亡くなっている。
その原因は最後の住民票の在った地域の警察署で直ぐに調べることが出来、夫婦で出かけた際に起こした交通事故である事が明らかになっているとのことだった。
遺体の解剖の結果、夫である佐伯の父親に脳梗塞が見つかった事から、それが事故の要因と見られている。
「ともあれ、直接的な血の繋がりはありませんが、その遺児は佐伯の妹と言えます。
しかし、こちらも足取りがつかめません。ですが──」
森永はスマホを取り出し、氷室と翔平に差し出し画像を見せた。
透き通る肌。つややかな長い髪。小さくツンと上がった鼻。黒目がちの目を、黒く長い睫が縁取っている。
「佐伯の妹に当たる女性の友人から頂いた写真です」
写真を覗き込んだ氷室と翔平は目を見張った。
「これは……」
「うわっ! 可愛いッスね! アイドルみたい! マジ天使!」
翔平が騒ぐのも仕方がないと思えるほどに、写真に写る女性は美しかった。友人の向けるカメラに、屈託のない笑顔を見せている。
「あー。主任、ボーッとしちゃって。タイプなんでしょ!」
翔平が、ニヤニヤしながら氷室をつつく。
氷室は空笑いをしながら、そうだなと答えた。
確かに、驚くほど美しかった。天使と言うより女神のようだった。
「佐伯美憂、25歳。先日まで都内でOLをしていました」
森永はスマホをしまいながら言った。
その、「していた」という所に引っ掛かったのだろう。翔平が、今は違うんですかと質問する。
森永は頷いた。
「転職の為、有休消化中でした。ですから、正確には今もその会社に籍がある事になりますね」
森永は、引き続き捜査しますと言い残すと、捜査員が運転する車に乗り込み現場を後にした。
まもなく、氷室のスマホに画像が送られて来た。
それは森永からで、送られて来た画像は先程の佐伯美憂の写真だ。
「妹……か」
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